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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第六節 宇和林業


 地域の概況

(1) 位置
 当地域は愛媛県の西南部に位置し、東は北宇和郡日吉村・高知県梼原町に接し、西は八幡浜市・西宇和郡に接している。また、南は、北宇和郡広見町・三間町及び吉田町に接し、その一部は宇和海に面している。さらに北は大洲市・喜多郡肱川町及び河辺村に接している。
(2) 地形・地質
 当地域は、総面積約四万七、三〇二haで、そのうち林野面積は約三万六、七四七ha、林野率七八%を持ち、東西約三八・五㎞、南北約一六・五㎞というやや長方形に似た地形をなしている。
 これといった、特筆すべき高い山岳部はないかわりに、肱川水系の支流、宇和川・黒瀬川及び舟戸川が貫流し、これらの河川を源にした、いくつかの平野部と比較的なだらかな山岳地帯から宇和・野村などの盆地を形成している。
 地質は、当地域が中央構造線の外帯にあたり、みかぶ線と仏像線との間の秩父帯で、秩父帯は北縁を三波川帯南縁帯に接し、南縁を仏像構線によって限られ、東西に帯状に分布している。
 秩父帯はさらに、黒瀬川構造帯と魚成衝上により北帯、中帯、南帯の三帯に区分され、日本でも有数の複雑な地質構造を呈している。
(3) 気象
 年平均気温一七・六度C、年間平均降雨量は一、一九二㎜、冬期の積雪は野村町、城川町の山間地帯に多く、年間の平均積雪期間は三〇日内外で、気象条件には比較的恵まれており、おもに、マツ、ヒノキの生育に適している。

 優良材生産の推進

 昭和四八年の石油危機を契機に、我が国経済は不況に見舞われ、林業界においても外材輸入の増加、材価の低迷に加えて、賃金の上昇など林業経営条件は悪化し、採算性が問題化するに至った。そこで外材等に対抗し、地域林業を守るためには、優良材を安定的に供給することが不可欠となった。幸いにして、当地域はヒノキの生育に適する自然的条件に恵まれているうえ、宇和町の一部には、戸桟用材として「のれん」を持つ「宇和ヒノキ」の産地がある。
 こうしたことに着目し、当地域の交通至便な場所を対象に伐期を四〇年とする「ヒノキ無節優良柱材」の主産地作りを推進するため、昭和四九年度から東宇和郡林業振興推進協議会の目玉として「当地方ヒノキ育林技術体系」を作成し、これを技術指針として、枝打ちなどの施業を推進してきた。その結果枝打ち思想は着実にしんとうし、枝打ち面積も伸びてきている。
 しかしながら、一部には枝打ち技術が必ずしも十分といえないものも見受けられ、また枝打ちに続く、除間伐の実施が遅れた林分も見られるため、今後、枝打ちをはじめとする一連の育林作業を一層推進する必要がある。
 また、優良材生産は集約的な施業を必要とするため、必然的に多くの労働力が求められ、労務不足に悩む現状では、優良材生産は比較的便利な限定した場所で行なうよう、より一層啓もう指導しなければならない。
 さらに、優良材生産の推進にあたって忘れてならないのは森林組合を中心にした団地化、協業化を推進する必要があるということである。

 宇和桧と混交林

 宇和桧(山田桧)と言えば、業界では良質などとで通っているようであるが、かの良質な宇和桧の原木生産地は狭く、宇和町内のほんの一部の地域に限られている。すなわち、良質なヒノキは、主として宇和町の西部地域、特に山田・狭間・郷内・今西地区の北面ないし東北面の緩斜地においてマツとの混交林で生産された。それでは、材質優良なヒノキ材がどのような育林過程で出来たものか、地方の古老の方々に伺った事などを中心にして左記の文をまとめてみた。

(1) 宇和桧の自然環境
 当地域の標高は二〇〇~六〇〇mで、年間降雨量は一、八八〇㎜、平均気温は一四・七度Cであるが、盆地であるため気候は内陸性で寒暖の差が著しい。特長としては霧の発生が多く、日射時間は、宇和島と比べ二割程度少ないようで、空中湿度は、雨量の割には高いと思われる。またヒノキの生育に密接な関係があると言われる七月の降雨量は、二二七㎜である。地層は秩父古生層で、砂岩・粘板岩の互層や、珪岩質岩石が主体をなし、一般に表土は浅く、音地がかっている所が多いのが特長で、土地の生産力は低い方である。

(2) 宇和桧の育林方法
 イ 植え付け
 昔は植え付け間隔は九尺前後であったようで、ha当たりの植え付け本数にすると一、三〇〇~一、四〇〇本程度になる。植え付け本数で見るかぎりは、大変疎植であるが、逆に疎植であるため、マッの天然更新が容易に行なわれ、このため密度は、相当、高いものになったはずである。
 ロ 下刈り
 下刈りは、数年間、年に一回は行なったようである。ただ地力が低いため年二回の必要はなかったと思われる。
 また、天然更新してきたマツは、そのまま残して、保育につとめている。
 ハ 間 伐
 間伐をすると言う意識ではなく、天然更新してきたマツで、ヒノキの邪魔になる所、またマツの混み過ぎた所を伐採して、薪にしたり、大きくなれば、杭木や用材として中間収入を得ている。マツとヒノキの関係は、途中よりマツの上長生長がヒノキのそれを上回るため、中林となっていく。ヒノキは間伐が出来る程、植え付け本数が多くないので、ヒノキを間伐として伐る事はほとんどなかったようである。つまり、密度調整は、もっぱらマツによってなされていた。
 ニ 枝打ち
 枝打ちを目的にした枝打ち作業は行なっていないが、里山である関係上、常に薪拾いを目的に里の人が山に入り、枯枝は薪として打ち落として取っており、結果として、枯枝打ちが行なわれていた。しかし生枝を切ると叱られたようで、生枝打ちは行なわれなかった。
 ホ 伐 期
 林業家は、農業を主業とする農家林家が大部分であり、林業の経営規模がきわめて小さいこともあって、林業がどうしても従となり、自然と財産保持的な経営となる。林業家に特別な事情がないかぎり、伐採は行なわれないので、自然と伐期が長くなっていった。また、生長が悪いために、柱材で五〇年以上、戸桟材で七〇年以上ほしいところであり、その点からも伐期が長くなったと思われる。

(3) むすび
 宇和地方の自然条件は、ヒノキに適しており、それに、ヒノキとマツの混交林に要求される手入れと、林業家の生活形体がうまくかみ合って、集約ではないが、必要な保育が出来た結果、必然的に、材質優良な桧材が生産されたものと思われる。
 現在は、農業家の生活が一変した事や、マツの利用価値の低下、県の一斉林仕上げの指導などにより、混交林に対する考え方も変わってしまった。それに近年はマツくい虫の被害により、宇和町内に於ては、健全なマツとヒノキの混交林は、ほとんど見られなくなった。そのため昔ながらの育林方法で、ヒノキの良質材を生産しようとする林業家は数少ない。
 このような中で、宇和桧と言う誇りを消さないため、新しい育林体系で優良材の生産にとりくみ、努力され始めている。

図2-4 愛媛県の地質構造

図2-4 愛媛県の地質構造