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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第五節 肱川林業

 地域の概況

(1) 位置・面積
 肱川地方は愛媛県の西南部にあって、東端は河辺村大字北平字長崎の東方約一・五㎞で東経一三二度五二分、西端は長浜町大字出海鵜の碆で東経一三二度二六分、南端は肱川町大字予子林字藤の原鹿野川湖中で北緯三二度二六分、北端は長浜町大字青島で北緯三三度四四分の間に位置していて、東は上浮穴郡、南は東宇和郡、西は八幡浜市、西宇和郡、北は伊予郡と境を接しており、北部の長浜町は伊予灘に臨んでいる。
 また、東西三八㎞、南北三六㎞に及ぶほぼ四角形の区域であり、総面積は五九一平方キロメートルで本県総面積の一〇・四%に当たっている。林野率は七一・五%で四二三平方キロメートルの内民有林が九九・七%で四二二平方キロメートルを占める農山村地域である。

(2) 地形・地質・土壌
 当地域は四国山脈の西走に従い比較的なだらかな葉脈状の傾斜となっている。地形は複雑で、平坦地は大洲盆地、内子盆地があり、残りは肱川の本支流に沿って小面積の農耕地が散在している。主な山岳としては、北から牛の峰(八九六m)、長藪山(七四八m)、壷神山(九七一m)、雨包山(一、一一一m)、金山(八一二m)、御在所山(六六九m)等があり、これ等の諸山に源を発した各支流は中山川、小田川、宇和川、黒瀬川、舟戸川、その他四七四の支流を合わせて肱川本流となり、その名の如く肱形に屈曲しながら水量豊かに北に流れ、長浜町で伊予灘に注いでいる。地質は中央構造線の外帯に当たり、中央構造線とほぼ平行して東西に走る御荷鉾線によって三波川帯、秩父帯に分かれている。大洲市北部、長浜町、内子町は三波川帯に属する緑色片岩と黒色片岩が多く、秩父帯に属する五十崎町、肱川町、河辺村の基岩は輝線凝灰岩、粘板岩、砂岩等が多くなっている。土壌は地味肥沃な適潤性褐色森林土が多く、林木の育成もおおむね良好であるが、大洲市・五十崎町の一部には地味のやや劣る乾性褐色森林土も点在している。

(3) 気象
 気候は長浜町の一部が海洋性型気候となっているが、その他は内陸性気候を呈し、地形等により多少の差が見うけられる。気温は年平均一五度C~一六度Cと温暖な地域が多く、年間降水量は平均して一、八〇〇㎜位であるが、河辺村の奥山岳地帯では二、〇〇〇㎜を超えている地域もある。積雪は東、西に地域分けして降ることが多く、一、二月を中心に一〇㎝~五〇㎝位の積雪が一〇日~二〇日位続くこともあり、高冷地域では時に一m以上も積もり、春の融雪時まで根雪となることもある。風は夏季は南東の風、冬季には北西の季節風が強く吹く。有名な霧は主として大洲盆地、内子盆地で発生し、多いときは半日間も霧におおわれる日がある。このような恵まれた条件の下に適地適木の造林が進み、それぞれスギ、ヒノキ、マツ、クヌギ等の成育に適し、特に椎茸栽培に適している。

(4) 特質
 木材についてはスギ、ヒノキの一般中、小丸太材生産、マツの上具材及び箱材、クヌギ等広葉樹のしいたけ原木生産が主体である。マツについては区域面積九三%程度がマツクイムシの被害を受け、その被害材の処理も急がれ、素材生産量の七〇%余りがマツ材で占められている現状である。
 特殊林産物の乾しいたけは本県生産量の半数を占め、農山村の主要な基幹作物としてますます健在である。その他の林産物では特記すべきものはないけれども種類も多く、見直しが必要と思われる。
 また、四二三平方キロメートルの森林を擁して、到る処に自然の景勝地があり、施設、構造物も順次増加しており、林産物の商品生産事業の推進を計り、これらの相互関係による林業観光資源の整備、開発が望まれる。

(5) 「肱川林業」のあゆみ
 「肱川林業」とは、この地方の集約的林業経営による林業地の別名で、スギ、ヒノキの小丸太生産とクヌギの切炭の二つを柱とした経営の林業を意味する。
 また、地域構成は広義では大洲市、喜多郡及び東宇和郡の大半と上浮穴郡の小田郷が包括されているが、普通の場合大洲市・長浜町・内子町・五十崎町・肱川町・河辺村の大市町村をさしており、最上流地帯の宇和町は次節において宇和林業として詳説する。

 本林業地の歴史は古く、第一節第二項大洲藩で解説した通り、今からおよそ三六〇年前徳川時代の元和三年(一六一七)加藤貞泰公が伯耆の国(現在の鳥取県)米子市から六万石の大洲城に移封され、歴代の藩主よく善政を施し、産業の振興に力を注いだ。養蚕を勧め、ハゼ、コウゾ、クヌギ、スギ、ヒノキの植栽を奨励し、特に薪炭材として最も有利なクヌギと治山治水を計るスギの造林を藩是として奨励したことにより、現在のクヌギの美林が多く、肱川林業の特異性を形成するに到ったものとされている。
 特に伊予のクヌギ切炭は古くより名声をはせ、京阪神を中心に愛用された。また、一時は宮内省納めの光栄に浴するなど輝かしい成果をおさめたが、昭和三〇年をピークとして斜陽化し、三五年から四〇年の落ち込みの後、しいたけ栽培が急速に進展し、現在全国第三位となった。本県生産量の大半を占めるようになり、主産地形成を確立するに到っている。一方木材では人工林としてスギ、ヒノキ小丸太材生産を主体とし、流送、肥培、二段林造成、また、その間の乱伐期を経て人工造林が進み、幼齢林偏在ながら人工林率は著しく増大している。また、天然更新のアカマツは良質で知られ、地域内樹種の最大の面積を有したが最近のマツくい虫による被害によって、被害材の処理と跡地の樹種転換が急がれる状況となっている。
 また、一面地域住民の生活と林業との関係を見ると、先ず古くは水量豊かな肱川を中心とした木材の流送、薪炭等の川舟搬送が行なわれ、主要道路の開設に従って荷馬車による運搬が産業交通の方法に加わった。続いて主たる集落への車道が順次開設され、追々鉄道が設置されるに及んで鉄道搬送の方法が主体となった。
 昭和四〇年代からは国道から作業道に及ぶ各道路が急激に高密度となり、また、この一〇年余りの間に主たる路線の舗装整備も進み、林産物の運搬は海路の一部を除き、トラックが主体の状況となっている。
 経営的には森林所有者の九四%が農家所有であり、自から農林業一体の複合経営が進んで来た。また、小規模農林業経営に基因する短期収入の薪炭生産事業が発展し、薪炭林経営偏重の時代が続く中での農用林的考慮に
よる農林一体の形が永続した。
 用材林の経営は、古くは薪炭林経営先行の中で篤林家的な人達によって実施される程度に止まった。昭和二五年の木材好況を契機とした林家の経営意欲の自覚と関係機関の教育指導、特に地域内森林組合の真剣な組合活動によって、組織、協業の必要性の認識と積極的な経営意欲の向上が行なわれ、植栽可能林分の殆どが造林された状況となっている。しかしながら、昭和四〇年後半からの木材不況、天然更新によるマツ林のマツクイムシ被害などによる経営の停滞がうかがわれ、経営の検討に迫られている。
 第二次世界大戦後の社会経済や教育の動揺によって住民思想の変化が甚だしく今や農林一体の経営形態が崩れ、農林業分離、第二次産業、第三次産業との兼業農業、兼業林業が増加しており、今後、合理的な農林一体の林業複合経営をどのように進めるか、薪炭林経営のしいたけ産業を如何に進展さすか、また諸問題を抱えた用材林経営をどう導くかによって、肱川林業の将来は大きく変化するものと思われる。この重大な転換期に直面している肱川林業の歴史を守り、育て、伝えるために、今こそ地域住民の総力を結集すべき時である。

 肱川林業の実態

 地域内に於ける民有林の森林面積は四万二、一六四haで針葉樹林が六六・六%、広葉樹林が二六・四%の比率である。
 針葉樹林の齢級構成は、スギ、ヒノキの三〇年生以下の林分が八八%(一万六、七九〇ha)もあり、間伐を要する林分が
約九、〇〇〇haもある。
 特に松林は九三%にも及ぶマツくい虫被害を受けている現状で、早期植栽が必要である。また、クヌギ林は森林面積の一四%の割合を占めており、県下の五〇%の椎茸生産地である当地方の特色があらわれている。

図2-2 森林面積

図2-2 森林面積


図2-3 森林蓄積

図2-3 森林蓄積