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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

五 林道事業の沿革①


 林業共同施設奨励事業と森林組合

 大正一五年五月農林省令第一二号をもって「林業共同施設奨励規則」が公布され、森林組合等の実施する林道および貯木場、木炭倉庫の設置を助成することになった。
 これは、わが国の森林の現況は一方に極度に利用されているものもあるが、他方林道等の欠如、あるいは不完全なため全く利用されず、徒に死物化しているものが少なくない。また植林をするにも林道等の計画をたてず漫然と造林するため伐期に達しても有利に利用することが出来ず、間伐材の如きも林道がないため搬出利用することが出来ず、経営上大変な不便を感じていた。
 これらの森林に対し、林道を開設し、運搬設備の普及改善を図ったならば林産物の供給は増加するのみならず、森林施業を集約的に行なうことが出来るとともに、更に木材の生産費の大部分を占める搬出費を軽減して、直接生産費を低下させることが出来る。また、これに貯木場、木炭倉庫を併せて設置すれば林産物の処分を一層有利にすることが出来ることになる。等の理由によるものであった。
 この規則により初めて民有林林道に対し、国庫補助金が支出されるようになり、民有林林道補助政策が開始されることになった。
 林業共同施設奨励事業は、森林組合の施行する林道に限定して助成されたため、従来極めて低調であった森林組合の設立を刺激した。すなわち、明治四五年、造林、保護工事及び植樹等の目的で設立された施業森林組合は瀬戸崎村施業森林組合を始め、大正一四年迄に設立された組合は一八組合であったが、今回の改正で昭和二年二月に東宇和郡宇和町山田土工森林組合が林道改築の目的で以て設立せられたのを始め、昭和四年までに林道改築の目的を持つ三一の施業土工森林組合が設立せられ、本県の林道開設が挙行せられた。
 本県における林道は昭和二年度より開始せられ、当年度の施行組合一八組合、車道延長三万m、木馬道一万四、〇〇〇m、工事費一〇万八、八九四円、国補一万七、七七三円、県補八、八八七円、計二万六、六六〇円で開始せられた。
 昭和二年林業共同施設奨励規程を制定し昭和八年時局匡救事業としての林道が開始されるまでの七か年間の事業量は、延長二二万七、四二〇m、施設経費七六万三、七九二円、補助額一七万六九六円であった。

 時局匡救事業

 昭和六年九月、満州事変勃発、この年、農作物は凶作、農村の困窮はいっそう深刻化した。政府は、昭和七年、農業恐慌の破局的進展により疲弊の極に達した農山村および農民を救済するため、いわゆる救農国会を開き、時局匡救土木事業を主軸とする一連の救農事業を実施することとなった。
 この救農土木事業に、林道開設事業も組みこまれたため、事業量は飛躍的に拡充され、山林の開発と山村の振興に寄与するところが大きかった。
 なお、昭和九年には西日本を中心に旱害が、東北地方では冷害が発生し、農作物の減収により農家が大きな被害を受けた。
 政府はこれら被災農家に賃金収入を得させるため災害費により林道開設事業を実施した。
 この事業は昭和七年に始まり昭和九年に終了した。この事業で、はじめて地方公共団体の施行する林道開設事業に補助が行なわれ、府県における林道技術者とその施行指導体制の充実整備に寄与するところが大きかった。
 この期間に竣功せる本県の林道は二二三路線、延長一四万二、九〇六m、此の工事費三〇万七、七六六円、就労人員延べ三四万一、二五〇人にして窮乏せる地方民に就労の機会を与え、山村住民の生計を助け救済の実を挙げ、その利用せらるる区域の面積約三万一、八五五haに及び将来地方林業の振興に及ぼす効果実に甚大なるものがあった。
 このように、地方公共団体により林道工事が施行され、森林開発ならびに地域開発上、きわめて有用であることが認識され、昭和一一年度より産業奨励費をもって林道開設事業に助成することとなった。

 産業奨励費による林道開設事業

 この事業は、地方公共団体、森林組合の施行する林道(軌道、車道の二種類のみ)、流送路、ならびに貯木場の新設に要する費用に対し助成されるもので、補助率は四割以内、府県一割となっている。なお、この事業を実施するに当たり、政府は各府県に対し、重要幹線林道計画を樹立させ、この重要幹線林道は府県営で施行するよう指導し、予算配布に当たっても別枠として重点施行させることとした。
 重要幹線林道の中でも群を抜き規模の大きいのは、なんといっても「銅山川幹線林道」である。昭和一八年、時あたかも第二次世界大戦が熾烈をきわめているとき、県営でこの林道の第一歩が印されたのである。じ来、春風秋雨三〇幾星霜、銅山川流域二万ha余に及ぶ林野を開発すべく、旧宇摩郡新立村大字市仲(現新宮村)から、金砂村および富郷村(現伊予三島市)を貫き、終点別子山村中七番に至るまでの五〇㎞に及ぶ大幹線林道である。さらにこれを骨格に支線として中之川線、上小川線、猿田線を、また標高八九二mの翠波峰に当時県下最長の法皇トンネル一、六六三mを掘さくし、峰越で銅山川流域の中央部を伊予三島と結ぶ宇摩嶺南開発林道の開設へと発展して行ったのである。その総延長が一〇〇㎞にも及ぶ一大林道の整備を達成したのである。

 林道開設長期計画

 林道は森林の経済的機能を発揮するための基盤的施設として重視されてきたが、最近にお0 ては農山村の生活環境の向上等、地域振興の効果も大きいため林道網の早期整備が強く要望されている。
 今後の林道網整備は地域森林計画に基づき、昭和五八年度から昭和六七年度の一〇か年間に表1―17のとおり開設が計画されている。
 ア、林道開設の動き
   昭和二年以来、民有林開発のため林道開設を進めてきたが、自動車道については、昭和五七年度累計で二、三四八㎞
  に達した(近年の状況は表1―18)。
 イ、林道の管理
   林道の多面的利用が高まり、林道上の事故に対する管理者の責任問題が重視されている。これに対処するため表
  1―19・表1―20のとおり直接賠償責任保険の加入を促進している。

 林業構造改善事業

 木材生産の増大と国土の保全、保健休養など、森林の公益的機能の確保に対処するため、資本装備及び生産基盤の整備を図り、林業の生産性の向上並びに林業従事者の所得向上を目的として事業が実施せられた。
 ア、年度別指定数並びに実施町村数
   第一次林構は有資格三三地域のうち二五市町村を指定し、このうち四九年度までに二五市町村が事業を終了した。ま
  た四七年度からは第二次林構が始まり、五四年度の指定をもって終了したが、その間、二七(追加 六)市町村が指定され
  た。
 イ、新林業構造改善促進対策実験事業
   新林業構造改善事業への円滑な移行を図ることを目的とした先駆的事業として、五四年度に久万地域(久万町、面河
  村、美川村、柳谷村)を指定し、即着として実施した。総事業費五億八、八八〇万八千円。
 ウ、林構関連事業
   五〇年度以降林業構造改善事業に関連して表1―25のような特別事業が実施せられた。
 エ、地区林構(表1―26)


表1-17 林道10か年計画

表1-17 林道10か年計画


表1-18 最近5か年の林道整備実績

表1-18 最近5か年の林道整備実績


表1-19 昭和56年度道路賠償責任保険加入状況

表1-19 昭和56年度道路賠償責任保険加入状況


表1-20 昭和56年度末の林道管理状況

表1-20 昭和56年度末の林道管理状況


表1-21 第2次林構指定状況

表1-21 第2次林構指定状況


表1-22 [第2次事業]年度別実績

表1-22 [第2次事業]年度別実績


表1-23 [第2次事業]林道の開設

表1-23 [第2次事業]林道の開設


表1-24 林道の開設(新林業構造改善促進対策実験事業)

表1-24 林道の開設(新林業構造改善促進対策実験事業)


表1-25 林道の開設(林構関連事業)

表1-25 林道の開設(林構関連事業)


表1-26 林道の開設(地区林構)

表1-26 林道の開設(地区林構)