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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 採肉鶏の変遷


 ブロイラー発展の概要

 採肉鶏については、わが国では長く卵に主力が置かれ、つぎに肥料としての鶏糞、最後が廃鶏処理の肉といった有り様の形態・内容が踏襲されてきた・しかし、外国では卵・肉双方を目標にしているのが養鶏の常道的な発達過程であるため、戦後駐留軍用の需要などに刺激された点などもあり、またわが国の市民の嗜好にも適しており、三〇年ころから大都市周辺で飼養が始まり、本県では昭和三九年に初めて大洋漁業の松山進出によりブロイラーが出現し、一〇〇戸・延べ一六万五、〇〇〇羽にはじまり、同四一年が二五〇戸、三三万九、〇〇〇羽、四五年が二七〇戸・一一一万七、〇〇〇羽と増加傾向にあった。その後戸数・羽数ともに減少に転じたが五二年より再び羽数は微増しはじめ五八年には一四四戸・一四六万羽となった。こうした発展は採卵鶏について述べたように、飼育管理技術の進歩、飼料品質の向上、外国ブロイラー専門種の導入など同様の原因によるものであるが、高度経済成長に伴う国民の食生活の向上などによる旺盛な需要に支えられたことも見逃してはならない。
 しかし、本県ブロイラーは、ひなの自給率が低く、一時は七〇%以上が県外よりの移入びなによって生産される状態がみられ、いわゆるインテグレーションによる生産が主体となっていることや一戸当たりの年間出荷羽数が増加と減少の境といわれる階層分岐点以下の飼養規模が全国平均より一〇%も低いことなど、素びなの自給率向上や飼養規模の拡大などが今後の大きな課題である。加えて、タイ国など外国ブロイラーの輸入がとめどもなく増えており、今後の輸入圧力はさらに強まってくるとみられるので、系統農協や愛媛県食鳥協会などの組織の強化拡充により計画生産・価格安定制度の推進を図りながらの対応が迫られている。
 参考までに五一年における採卵用成鶏めす及びブロイラーの飼養羽数分布図を示すと図2-3のとおりである。


図2-3 成鶏めす及びブロイラー飼養羽数分布図 (51.2.1現在)

図2-3 成鶏めす及びブロイラー飼養羽数分布図 (51.2.1現在)