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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 本県和牛の源流となった原種牛


 概説

 古来由緒ある歴史的経過を経て今日に至っている肉牛として名ある牛は三田牛(兵庫)、江州牛、伊予牛、神石牛(広島)、出雲牛、但馬牛(兵庫)、作州牛(岡山)、長州牛があげられる。
 伊予牛を代表するものに、南宇和郡の原産にして、その代表地たる御荘郷の名を冠せる「御荘牛」と西宇和郡三崎半島の原産「三崎牛」について概説する。

(1) 御荘牛
 古来御荘郷は良牛の生産地として名があり、既に慶長年間の昔より畜牛の放牧が盛んに行われており、御荘牛と称し、被毛黒く、体く膨大ならず、相貌勇壮、性温順冷俐にして耐久力に富み、飼養管理容易にして、粗飼料をもって良肉牛を産するといわれた。
 この在来種を原種として、幕末のころ外国船に舶載するデボン種及びショートホーン種が交雑改良され良牛が続出し、一層御荘牛の名をなしたものに次の二系統六種の蔓牛がある。

   福浦系統(ショートホーン系)  親分牛種 白羽牛種 与次郎牛種
   小幡系統(デボン系)       御台場牛種 小幡牛種 橋本牛種

(2) 三崎牛
 古くより牛馬が舎飼いされていたが藩政時代は軽くな駄馬、三崎馬で知られていた。
 明治の初期から在来種和牛が飼われ始め、その肥育したものは灘牛の名で近郷に知られるようになった。
 この灘牛を明治三四年ころまで御荘牛で改良したが、その後はデボン種、シンメンタール種あるいはブラウンスイス種などの洋種で四一年ころまで改良が続き在来の灘牛の面目を一新した。
 その後も御荘牛とデボン種の交雑による改良が進められ、やがて三崎牛の名をもって、肉牛の逸品として広く賞用されるようになった。
 三崎牛の特徴は被毛皮ふともに黒く、体格は大きくはないが頭部がやや重大で、角は上方に向かって立ち、背は広く、胸がよく張り、四肢強健、蹄は堅く小さく、力役に耐え、後くの発育も良好なことである。