データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 オレンジ・果汁の輸入枠拡大(五三年)


 牛場・ストラウス会談

 オレンジは、これまで輸入割当制がとられており、三九年二、五〇〇t、四五年七、〇〇〇tと割当数量が増加してきたが、さらに四六年八、○○〇t、四七年一万二、〇〇〇t、四八年一万五、〇〇〇tと年々拡大し続け、五二年まで一万五、〇〇〇t水準で推移してきた。ところが五二年ころより貿易不均衡の是正を強く求める米国から、農産物、とくにオレンジ・果汁・牛肉の自由化要請がにわかに強まる。これに対し生産者や関係団体は、再三にわたり抗議集会を開いた。たとえば、五二年一二月二七日に東京の日比谷野外音楽堂で全国から六千人が集まり「牛肉・オレンジ・果汁輸入自由化・枠拡大阻止緊急全国農協代表者大会」が開かれ、それをうけて、一二月二九日に松山市民会館で二千人が集まり「愛媛県農協農委代表者大会」が開かれた。それと合わせて、国や県、国会議員などに陳情を繰り返すなど、激しい反対運動を展開した。しかし、五三年一月の日米経済交渉(いわゆる牛場・ストラウス会談)の結果、五三年四月からオレンジの輸入枠は、一挙に三倍の四万五、○○○tに拡大されることになった。もっとも、国産柑橘への配慮から、六~八月(季節枠)五〇%、その他の時期(年間枠)五〇%が割当てられることになった。

 中川・ウルフ会談

 一月の決定は、再び生産者と関係団体に深刻な衝撃を与え、愛媛県では、生産者組織が五万人の反対署名運動を展開(六月)、県青果連が米国有力紙(ワシントンポスト紙とロサンゼルスタイムズ紙)に輸入枠拡大反対の意見広告を掲載(八月)するなど、活発な反対運動を実施する。さらに七月三日に全国から一万一、〇〇〇人が集まり日本武道館で開かれた「農産物輸入自由化・枠拡大阻止全国農協代表者大会」などに本県から多数の代表を送り、全国反対運動の中核かつ指導的立場で活動する。
 しかるに、五三年一二月五日、東京ラウンドでの日米農産物交渉(いわゆる中川・ウルフ会談)が、表7-8に示した内容で合意決定された。それによると、五三年度の四万五、〇〇〇tが、さらに五五年から六万八、〇〇〇tに拡大され、以後年々拡大されて五八年には八万二、〇〇〇tにするというものであった。またその合意内容には、次のような付帯事項がつけ加えられていた。

 (一)オフシーズン(六~八月)における開放的な市場の状
   況をもたらす。
 (二)東京ラウンドの中間にあたる昭和五八年下期前後
   に、目的達成とその後の方途について協議する。
 (三)さらに、かかる協議の開催は、東京ラウンドの実施
   期間中二年ごとに予定される。
 (四)枠拡大に見合う新規輸入業者の参入を認める。

 なお、この五三年の輸入枠拡大を契機に、これまで果樹と畜産の生産者・関係団体が主体に反対運動を展開していたものが、広く農林漁業全体に拡大し、生産者と関係団体が一丸となって日本の農林漁業を守り、農林水産物の自由化・枠拡大を阻止しようとする体制が形成されたことは特筆すべきであるが、このことはまた、わが国の農林漁業がおかれた国際環境のきびしさを物語るものでもあった。


表7-8 昭和53年12月の日米農産物交渉合意内容

表7-8 昭和53年12月の日米農産物交渉合意内容