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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 グレープフルーツの自由化


 夏ミカン農家に衝撃

 第六章第四節でふれたように、柑橘類ではレモンが三九年、ライムが四三年、ポンカンが四四年に自由化され、三八年のバナナ自由化と合わせて、国産柑橘にも次第に自由化の波が押し寄せてくる。四四年の日米経済交渉の際、四六年末までにグレープフルーツを自由化することが示唆され、生産者と関係団体は、抗議集会を開くなど活発な反対運動を展開した。との背景には、四二年の大旱ばつ、四三年のミカンの価格暴落(第一次)、夏ミカンの需要不振など、きびしい局面が存在した。とくにグレープフルーツの自由化は、品質面で類似している夏ミカンに大きな打撃をあたえると予想されたので、とくに夏ミカンを多く栽培している南予の生産者が強く反対した。
 この自由化は、一時延期されたかにみえたが、四六年六月の参議院選挙直後に、抜き打ち的に自由化が決定し、生産者と関係団体に激しい衝撃を与えた。県では七月一三日、松山市民会館に関係者二、五〇〇人が集まり、「自由化対策緊急生産者大会」が開かれ、また七月二三日、東京の共立講堂に全国から二、五〇〇人が集まり、抗議集会が開かれた。このグレープフルーツの自由化をきっかけに、愛媛県の果樹生産者は、貿易摩擦のきびしさを身近に体験するとともに、前途に一層の危機感を持つにいたった。
 五〇年一二月、さらにタンカンが自由化された。