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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

三 果樹の選択的拡大


 供給面での特徴

 三六年から四三年(または四六年)の期間に、生産ないし供給面で指摘しておかなければならないことは、以下の四点である。第一に、三四年以降の果実の高価格を反映して、あるいは「成長部門」としての積極的な行政的助成(構造改善事業、果樹濃密生産団地形成事業など)によって、果樹の増反新植が全国的に活発に進められたこと。とくにミカンの未成園面積をみると、三五年の一万九、〇〇〇ha(愛媛二、五三〇ha)から、四五年の一〇万一、〇〇〇ha(愛媛一万五、八〇〇ha)へと急増している。第二に、これらの新植が、従来の個人規模の開園に加えて、機械開墾による大規模な樹園地造成という形で進められたこと。これらの動向は、多少にかかわらず、前述した農業構造改善事業と関係がある。第三に、ミカン新植園の多くが、計画密植栽培法を採用するようになったこと(注二)。このため、新植園の成園化にともなう生産量の増大は、一層大きなものとなった。第四に、三五年以降、経済成長にともなう農村労働力の流出によって、農村における労力不足と賃金上昇が顕著となり、省力栽培技術の要請、機械化、大規模化などの動きがめだつようになる。その一方、生産量の増大にともなう産地間競争の激化、生活水準の上昇にともなう消費の高級化などを背景に、品質向上あるいは品質管理の要請が一段と強まってきたことである。

 ミカンヘの傾斜

 三五年以降の愛媛県における果樹栽培面積の推移をみると、表6-4に示したように、温州ミカン・夏ミカン・伊予柑などの柑橘類と、落葉果樹ではクリの増反がとくに著しい。温州ミカン・夏ミカンは、栽培が比較的容易で、個人または集団で開園新植が進められ、作付面積も年々増加してきたが、その後の需給と価格関係から、夏ミカンは四三年の四、二八四ha、温州ミカンは四七年の二万三、九五五haをピークに、以後減少傾向をたどっている。それに反し、ネーブル・伊予柑・ハッサクなどの中晩生柑橘類は、第七章でふれるように、ミカンの更新品種として、四七年以降急増している。落葉果樹では、クリが、中山町などの旧産地に加えて、基幹作目に恵まれない中山間、山間地区に導入され、五〇年当初まで着実に増加してきた(注三)。カキは、東予・中予の主産地がミカンに転換したため、最盛期の半分に減少している。

 (注一)御荘町平山地区五四ha、玉川町小鴨部地区三八haなどが大規模の部類に入る。愛媛県におけるミカン園の最初の機械開墾は、三五年五月に実施された周桑郡小松町のものといわれる。愛媛県の農林水産開発機械公社は、三五年六月に設立された。
 (注二)ミカンの植栽本数は、これまで一〇a当たり七〇~八〇本が標準であった。計画密植栽培では、早生温州で二五○~三〇〇本、普及温州で一五〇~二〇〇本程度といわれ、定植翌年に一~一・五t程度の収量をあげることができるという。
 (注三)クリの主な産地は、伊予郡中山町のほが、上浮穴郡(小田町)、大洲市、喜多郡(内子町、肱川町、河辺村)、東宇和郡(野村町、城川町)、北宇和郡(広見町、松野町、日吉村)などである。




表6-4 愛媛県における果樹栽培面積の推移

表6-4 愛媛県における果樹栽培面積の推移