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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 病害虫防除①


 病 害

 大正時代柑橘類の主要な病害としては、そうか病・かいよう病・枝枯病・虎斑病・黄斑病・斑葉病などがあげられている。落葉果樹では、梨の黒星病・黒斑病・赤星病・褐斑病、洋梨の尻腐病、桃の縮葉病・せんこう性細菌病・黒星病、柿の炭そ病・黒星病・落葉病・胴枯病などがあった。

 害 虫

 柑橘類の害虫で、大正時代本県に侵入して恐れられた害虫は、ヤノネカイガラムシとイセリヤカイガラムシである。ヤノネカイガラムシは、大正五年に周桑郡で発見され、更に大正八年には温泉郡で発見された。その駆除には、被害樹の伐採、焼却、被害果実の青酸ガスくん蒸などを実施し、懸命の努力が払われた。それでも次第に県下に分散するようになった。イセリヤカイガラムシは、大正一〇年に温泉郡で発見され、更に伊予郡、越智郡などにも相次いで発生した。これも被害樹の伐採、焼却などが実施されたことはヤノネと同様であるが、大正一一年には、農事試験場が、イセリヤカイガラムシの天敵であるベタリヤテントウムシを飼育して無償配布の態勢をとって防除につとめた。その他の害虫には表3-5のようなものがある。
 落葉果樹の害虫では、梨のヒメシンクイムシの被害が最も大きく、その防除に多くの研究努力が重ねられた。大正五年には、晩生梨がこの被害により半減するまでになったという。その後袋掛けや薬剤防除の研究、共同防除の推進などにより被害の軽減につとめたが、大正時代には、完全駆除の域に達し得なかった。害虫名は表3-5のとおりである。

 防除剤と防除法

 大正時代は第一次世界大戦後の化学技術の発達とともに、病害虫防除の研究や調合薬剤の開発が進んだ。(表3-6)
 これら多様な防除剤を使用した病虫害防除の体系化が実現するようになった。しかし、この防除剤の多くは、硫黄・油・ソーダ・除虫菊・タバコ粉・砒素などを原料とした自家調製薬剤のため、薬害の危険、防除効果の不確実性などがあった。そのため大正時代は、あらゆる機会に、被害部の採集焼却、虫の捕殺が強く指導されている。大正中期には、主要果樹に対する栽培管理の作業暦ならびに病害虫の防除暦が作成されて栽培技術の向上が図られるようになった。(表3-7)及び(表3-8)
 防除剤と防除法の技術は間断なく進み、大正一三年ころには、砒酸鉛の開発によって、柿のヘタムシ・ハマキムシ類、梨のヒメシンクイムシなど、今まで手を焼いてきたそしゃく性の害虫駆除に大きな効果がもたらされた。また大正一五年には硫酸ニコチンの輸入によって、アブラムシ・カイガラムシ・ハムグリなどに安全に使える農薬として盛んに使用されるようになった。次いで大正末期から昭和初期にかけて、今まで石油や揮発油を原料としてつくられていた油剤が、機械油乳剤に変わり、これまでの油剤より薬害が少なく、カイガラムシにはより強い殺虫力を持つことになって、大きな転機を迎えることになった。しかし、青酸ガスくん蒸は、その効果が早くから認められていながら経費(天幕など)と薬害の危惧から大正時代にはあまり普及しなかった。県下の地域によっては、天幕の購入助成などにより普及を図ったところもあった。



表3-5 果樹害虫 (大正時代) 一覧表

表3-5 果樹害虫 (大正時代) 一覧表


表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ①

表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ①


表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ②

表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ②


表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ③

表3-6 柑橘主要病害虫防除剤一覧表 (附其他防除剤) ③


表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ①

表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ①


表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ②

表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ②


表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ③

表3-7 柑橘栽培作業 (防除) 暦 ③