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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 初期の増産政策


 酒精原料甘藷の増産と施策

 戦争の長期化と食糧の窮迫が顕著になった昭和一四年以降は、農政も営農指導の目標も、食糧の増産に集中するようになったが、開戦直後の昭和一三年一月に県が策定した最初の増産計画は甘藷・玉蜀黍・茶の三作物と、産業督励部が取りあげた苧麻の四作物を対象とした戦時色の希薄なものであった。甘藷は酒精原料作物として戦前から重視され、本県には農林省の指定試験地が設置されていて、各種の試験研究を実施していたが、開戦と同時に甘藷の重要性が倍加し、増産作物の第一号に掲げられた。当初は県農会が樹立した一、四〇〇万貫の増産を目標(昭和一一年の生産量二、八九八万貫の四八%に当たる)とした「甘藷増産五か年計画」から始まったが、昭和一四年九月に酒精原料甘藷増産奨励規程(資料編社会経済上五四頁)が制定され、(一)共同採種圃の設置 (二)共同育苗圃の設置 (三)同上指導員の設置 (四)実地指導地の設置 (五)増収競技会の開催(六)甘藷裁断機の購入設置 (七)配給斡旋に関する施設 などに対して県から補助金が交付されるようになり、増産意欲の高揚とともに栽培面積も急増し、昭和一六年の作付面積は一万町歩を突破した。(昭和一一年作付八、八七五町歩)

 茶の増産奨励

 茶の増産奨励は、県内の各地に放置されている未利用資源の開発と、戦時下における農村の振興策として企画され、製茶の機械化を中心として実施された。奨励された製茶機械(火儘を附設するものも含む)は茶葉蒸熱設備・茶葉萎凋設備・茶葉醗酵設備・茶葉粗揉機・中揉機・再乾機・精揉機・乾燥機・篩分機(紅茶の製造設備に限る)・揉捻機の一〇種類におよび、機械製茶設備設置奨励金交付規程により、設備の半額が奨励金として交付された。昭和一七年には食糧農産物の栽培区域以外の不良環境地帯(砂止用地・石垣代用傾斜地・工場学校の生垣・その他堤防・陰地)に自家用茶の栽培を奨励し、総額一、三五〇円を助成して一五町歩(伊台村・庄内村・千足山村・成妙村・三間村・高光村各二町歩、中津村・中萩村各一町歩、面河村・弘形村各五反歩など)が新植された。しかし増産政策の対象となった他の作物が例外なく伸長する中で、ひとり茶だけは積極的な奨励、指導が行われたにもかかわらず減反の一途をたどり、昭和一六年には一九七町歩に激減した。(昭和一一年三三六町歩)
 食糧不足の深刻化と太平洋戦争の勃発で、労力の大半が食糧と軍需作物に動員され、不急作物の維持が困難になったことがその原因であった。

 苧麻・玉蜀黍の増産と施策

 苧麻(ラミー)は軍需を中心にして戦前にも四、〇〇〇万斤が消費されていたが、国内産はわずかに八〇〇万斤で残る三、二〇〇万斤は中国から輸入していた。開戦と同時に輸入が杜絶したため農林省はこの三、二〇〇万斤の補給と軍需の激増に備え、昭和一二年一一月に四、〇〇〇万斤の自給自足を目標にして、苧麻増殖五か年計画を樹立し、主産地で苗木の繁殖をはかるとともに、苧麻苗の移出(対朝鮮)を禁止して全国的増産運動を展開した。昭和一二年の本県の苧麻はわずかに一八町歩の作付面積であったが、県内には好適地(推定三〇〇町歩)が多く、農林省の計画に基づき作付反別三〇〇町歩、生産量二四〇万斤を目標とした増産計画を樹て、次の奨励事項を内容とする五、三〇〇円(国庫補助五、〇〇〇円、県費三〇〇円)の予算をもって一大増産運動を実施した。

 苧麻増殖奨励要綱
一、種苗設備補助
二、苗購入補助
三、繊維調整機購入補助
四、石油発動機補助
五、実地指導地設置補助
六、荷造機購入補助
七、講習会開催補助
八、立毛品評会開催補助

 玉蜀黍の増産は、飼料用作物として軍需の急増に備えて計画されたもので、上浮穴郡・喜多郡の主産地に一八町歩の原採種圃を特設するとともに、多収穫競作会・講習会などの開催により増産技術の普及がはかられた。
 ちなみに昭和一三年七月に農産物検査規則が改正(昭和一三年七月一八日県令第三二号)されて、検査品目に苧麻繊維が新たに追加され、また玉蜀黍の生産検査は従来の希望制が強制に改正された。
 なお燃料国策、国際収支の改善、軍需資材の確保などを目的とした上記の酒精原料甘藷・玉蜀黍・茶・苧麻の生産拡大に関係する開畑工事に対しては昭和一三年度から国庫補助金が交付され、本県では表5―2のように実施された。(県政引継書)
 以上のほか日中戦争の勃発から約一年の間に、増産の対象となった作物には、輸出あるいは農薬対策としての除虫菊(越智郡、伊予郡)、外綿の輸入減と価格騰貴を予測した棉作(温泉郡)、畜産では農家経済の安定を目指した緬羊(三間村、愛治村)・小格輓馬・兎の増殖などがあげられるが、兎のほかはいずれも地方の一般的な奨励作目で戦時色はきわめて薄いものであった。

 兎毛皮の増産と施策

 兎(兎毛皮)は開戦と同時に軍需の激増が予想され、苧麻とならびいち早く増産政策の対象となった軍需農産物の代表である。農林省は開戦と同時に畜産試験場の養兎施設の拡充、優良種兎の繁殖と無償の配布貸付、兎毛皮増産奨励金の交付、野兎集団捕獲の奨励などの増産政策をうちだし、本県もこの国策に順応して昭和一二年一一月に「軍用兎毛皮増産並びに出荷方針」を定め、県産業督励部が中心となり郡産業督励部・郡市町村農会・産業組合・小学校・青年学校・青年団・婦人団体・部落団体などの総力を結集した増産運動を推進した。
 県農会も県のこの運動と並行して、養兎農家の台帳の作成、屠殺剥皮技術の徹底、乾皮の集出荷、種兎場の監督指導などを内容とした軍用兎毛皮の供出に関する指導要綱を作成して独自の運動を展開した。




表5-2 開畑工事国庫補助金

表5-2 開畑工事国庫補助金