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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

第四節 農山漁村経済更生運動


 自力更生運動

 巨額に達した農村の負債整理を第一の目標とし、農村の窮乏を打開するため昭和七年から農林省により、大規模の全国的運動として農山漁村経済更生運動(別名自力更生運動)が開始された。
 昭和七年の初頭に、兵庫県農会の主催で同県内九か所で農村の難局打開策を討議する各種団体の代表者会議が催された。会議は神職会との共同主催で行われ、開会は厳粛な神道の儀式から始まり、神前で自力更生を誓う宣言決議を満場一致で可決して閉会したが、この異色の会合が全国の関心を集め、関西二府一七県の県農会長会を経て系統農会の全国的運動に発展した。
 昭和七年六月七日、八日の両日、帝国農会で全国道府県農会長会議が開催され、農村匡救の応急対策を審議し、その実現を要望する政府への建策、陳情に合せ、農村の自力により難局の打開を誓う「自力更生」を指導精神とする系統農会の運動方針が決議された。
 本県ではこの決議に基づき、昭和七年六月二五日に、県下の郡市農会長会議を開催し、農村救済の緊急課題として、農家の負債整理、農産物価格の引上、農家の負担軽減の三件について審議し、続いて農村の自力更生運動の促進につき次の事項を決議し直ちに活動を開始した。

     自力更生運動促進要領(愛媛県農会)

 今や我国は内外極めて多事多難にして実に危急存亡の非常時に際会し憂患この時より大なるなかるべし 之を内に見るに累年の不況は国民生活の安定を欠ぎ民心は不安焦慮の極にあり 就中農村に於ける過去数年来の加速度的の収入激減は農家の生活を破壊しつゝあるのみならず 更に巨額の負債は逐年に累加して其家計の根幹を失わしめ疲弊困憊の実情 真に言語に絶するものあり 農民の心理に一大変化を来さんを恐れ前途実に暗澹たり(中略)国家財政の窮乏より見て政府の政策にのみ大なる期待を持する能わざる現状なるを以て自力更生意識を高調し政府の助成策の伴うに至りて弥々可なる所以なりとす 従って此際地方に於ては各種自治機関、産業団体、教化団体と熟議協調し県下各農会は左記事項の必行を期し以て猛然邁進せんことを期す

       記
一、広く農村に自力更生精神の換起、高調を図るため各農会は適切なる講演会其他之が宣伝の計画を樹つること
二、各種機関と連繋しこの際農民に堅実なる理想と確固たる信念を抱かしめ農村一致更生の気運作興に努むること
三、自力更生の核心をなす農業経営並に農村生活の改善に関しては徹底的なる指導奨励の施設をなすこと 農業経営の改善
   に関しては特に艱苦欠乏に堪え且つ実行力に富める青壮年婦人の努力を促すこと
四、農村産業計画の樹立促進に努め産業計画の実行に当ること
五、多年農村の癌腫たる負債の整理は最も難事業たるべきも此際自力的償還意識を高調し堅実なる活動を促すこと
六、農村諸般の改善指導に際しては今一層 各種団体間の緊密なる連絡を保ち真に総動員の実を挙ぐるに努むること

 系統農会の運動開始と時を同じくして昭和七年八月に、異例の救農臨時国会が開かれ、農村の救済対策として応急的に現金収入の途を与える救農土木事業(期間三年)と、農村の恒久的更正を図る農山漁村経済更生運動の実施が決定し、系統農会の「自力更生運動」は国の施策へ移行することになった。しかし系統農会が重視した運動の基本である自力の精神は経済厚生運動にも貫かれ、自力厚生運動の別名で呼ばれた。

 昭和七年九月二七日 農林省に経済更生部新設(勅令第二五九号)
 同   一〇月六日   農山漁村経済更生計画に関する訓令を県に通達
 同              農山漁村経済更生計画助成規則公布(更第二三四号)
 同   一二月      経済更生計画樹立方針を指示

 運動の目標

 経済更生運動(自力更生運動)の目標と基本方針は次の県知事訓令が簡明直截に宣明しているように、不況に対処する一時の応急的政策ではなく、農村疲弊の素因を根本的に探求し、農家の自力をもって禍因を除き農業の恒久的繁栄を図ることを目的としていた。

     農山漁村経済更生に関する訓令(昭和七年一一月一五日愛媛県知事)

 現下農山漁村の窮乏は其の程度 深刻にして之が更生亦容易ならざるものあり 其原因は単に一時的財界不況の影響たるに止まらず 寧ろ主因は産業の経営各個に分立し其の組織及統制に欠くる所 多かりしに職由するものにして農村に於ける隣保共助の美風を助長し 其の精神を拡張して之を経済生活の上に活用することは農山漁家更生上 最も肝要の事項と被認候 曩に政府が農林省に経済更生部を設け 又農山漁村経済更生計画に関する訓令を発せられたるも亦叙上の趣旨に出たるものにして其の方策とする所は農業経営の基本的要素の整備 活用 生産販売購買の統制 金融の改善 産業組合の刷新普及 産業諸団体の連絡統制 備荒共済施設の充実等に依り農山漁村経済全般に亘り計画的且つ組織的整備改善を行わんとするものに有之 此等の事項は亦 本県に於ても緊急を要するものと思料せらるゝに付 今般農山漁村経済更生事業補助規則を制定し逐次農山漁村経済更生計画を樹立せしめ 単に生産技術の改善に止らず一層経営の綜合的改善を行わしむるは勿論 農山漁村に於ける産業及び経済の計画的組織的刷新を図り度計画に有之候条 町村を始め各種産業団体は互に相卒い各職能に応じ農山漁村匡救方策の樹立実行に努められ度 依命此段及通牒候也

 経済更生委員会

 運動推進の機関として中央、地方に次の事業を行う経済更生委員会が設置された。本県の委員会は知事(一戸二郎)を会長、内務部長(田中修)を副会長とし、県庁内関係各部課(学務部・警察部・教育課・庶務課・農商務課・地方課・社会課・林務課・耕地課・蚕糸課・水産課・衛生課)の部課長のほか、各団体長、農家代表ら二七名が委員に任命された。主管課は農商務課で、専任職員一名と関係職員五名が配置された。
 経済更生委員会の事業は、(一)農林漁業全般に亘る組織的統制的計画に関する調査と立案 (二)経済更生計画を樹立する農山漁村の選定 (三)経済更生計画樹立に関する指導と審査 (四)経済更生計画実行の指導と督励などであった。なお中央に設置された委員の学識経験者三一名に、本県から温泉郡余土村(現松山市)の本田常盤、喜多郡櫛生村(現長浜町)の笹本元三郎の両人が任命された。
 市町村の委員会は町村長を会長、助役・産業組合長らを副会長とし、委員には役場・農会・産業組合の役職員、学校長・青年学校関係職員・各種団体長・村会議員・区長・神職・僧侶・産業の経験者らが任命され、経済更生計画の樹立と計画実行の指導監督をおこなった。委員会には(一)生産部 (二)購買販売部 (三)家政調整部 (四)社会部などの部門が設置された。(市町村により異なる)

 指定村と更生計画

 運動の促進を図り実効を期するため、毎年補助対象の村が指定された。本県の指定村は次表のとおりであるが、指定村の中には村民の熱意と努力にもかかわらず、資力が乏しく重要事項の実行が不可能で、計画全体が水泡に帰するおそれのある町村が少なくなかった。経済更生運動は昭和一一年から第二次計画に移り、こうした村を特別助成村として再指定し、更生計画を実行するための借入金に対して利子の一部を補給する特別措置を講じ、運動を推進した。この特別助成は趣旨、方法、効果などの諸点で一般の助成施策とは異なる次のような特徴をもっていた。(一)単なる事業別助成ではなく綜合的助成であること (二)助成は村の人的、精神的協同の力を重視していたこと (三)特別助成は一時的救済ではなく村民の自力更生の精神を基調として計画の完成を図ったこと (四)少数者の模範的施設、各種の共同施設の奨励ではなく、村民個々の収支の均衡を図り、負債の整理と生活の安定を各戸の計画により実行する全村運動としたこと などである。
 指定村は詳細な現状分析を基礎にして、生産、消費の両面にわたる経済更生の実践計画を樹立した。計画の内容は各村各様であったが、おおむね次のような計画大綱に準拠して立案された。

     経済更生計画大綱
(一)指導方針の確立
 (一)家族経営農業の本質と特徴の徹底
 (二)国体と農政の関係
 (三)国体擁護の大精神と扶植
 (四)理想郷の建設
(二)自給経済の拡充
 (一)食糧の自給
 (二)自給による生活の向上
 (三)飼料の自給
(三)農業経営の改善
 (一)用水不足地における稲作地の経営
 (二)荒廃桑園の整理
 (三)簡易なる経営改善設計
 (四)生産費の節減
(四)農産物販売組織の確立
 (一)産業組合の拡充
 (二)商品としての資格条件の完備
 (三)出荷の統制
 (四)出荷の調節
(五)冗費の節約
 (一)非常時日本、非常時農村の意識の高揚
 (二)農村生活に対する根本的研究
 (三)予算生活の奨励
 (四)地方の慣行的旧習並に虚栄による冗費節約の断行
 (五)必要品の共同購入による節約
 (六)現金支出を自給に代える節約
 (七)経済簿の普及
(六)負債整理
 (一)負債の内容に関する調査
 (二)整理に関する研究

 負債整理

 経済更生運動の最大の課題であり、更生計画の樹立にあたり特に重視されたのは負債の整理である。昭和八年八月一日から農村負債整理組合法が施行され、多くの町村で負債整理組合が設立された。負債整理組合は債権者にも互譲協調の精神で負債の条件緩和を求め、隣保相助の精神を基調として負債の償還に努めたが、組合の活動により元金の約三割が減免され、残負債の半額が政府融資の負債整理資金に乗り替えられ、最後に残った負債も年利六分前後、償還年限七、八年の割賦に条件が緩和された。
 負債整理事業を推進するため、各市町村に負債整理委員会が設置され、その下に平均四組合の負債整理組合が結成された。この委員会の設置勧誘と指導のため県に三名(主事一、主事補一、雇一)の専任職員が設置された。昭和九年末までに県内で設立された負債整理組合は一〇四組合に達した。

 戦時下の経済更生運動

 日中戦争下の経済更生運動は、臨戦体制の強化とともに戦時農政の一環に編入されて次第に本来の目標が薄らぎ、「銃後における農山漁村の生産力拡充」を重点とする戦時色の濃厚な運動に変質した。開戦から二年目の昭和一三年九月に開催された県農山漁村経済更生委員会は「時局下における経済更生の指導方針」に関する知事の諮問に対し、国策に順応する経済更生計画の再検討とともに、応召農家の増加による労働力の減少と生産力の低下を重視し、労働力の調整について次の答申書を提出した。

一、町村毎に労働力調整計画を樹て、市町村内の所要労力を確保するとともに町村外供給労力の調節を図る
二、応召農山漁家に対する勤労奉仕を一層組織的に計画化し、且つ之が施設の持続強化をなすこと
三、児童、生徒、婦人等の未利用労力の活用を図ること
四、電力利用改良農具の設備普及に努めること

 また戦争と平行し、国策として大きく浮上した満州移民に関しては、「農村における土地と人口の調節を図り、根本的に農村の更生をはかる」ことを強調している。






表4-7 経済更生指定村

表4-7 経済更生指定村


表4-8 負債整理組合設立状況

表4-8 負債整理組合設立状況