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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

第二節 米価の騰落と米価政策


 米価の騰落と農政

 大正時代は米価が三年の周期で激しく騰落し、農政の課題が米価の調節(引上げ政策、引下げ政策)に集中した時代である。明治時代の米政策は、人口の増加、消費量の増大に対応する増産政策が中心となり、米価については全く無政策であった。明治末期から米価の騰勢が顕著となり、同四四年には空前の高値に暴騰し、米価の調節を求める世論が急速に高まり、翌四五年(大正元年)に米価引き下げのため関税の改正(米、籾の輸入税の低減)、台湾米の代用、鉄道運賃の割引きなどの価格政策が実施された。
 しかしこの引下げ政策と豊作が重なり、大正二年から米価は反転して下落し始め、いらい騰落が交互に繰り返され、その対策として政府米の買上げ、売り渡しによる米価調節策のほか、各種の政策が相次いで連発された。
 とくに大正一〇年に制定の米穀法は、米の調節に関する最初の恒久的政策で、必要に応じて政府が米の需給を調節するため、買入、売渡、交換、加工、貯蔵、輸入税の増減免除、輸出入の制限などを行うことが出来る画期的なものであった。しかし米穀法は数量の調節のみを目的としたものであったため、価格調節の力が弱く、米価はその後も騰落が続いた。法律の改正で昭和六年から基準米価が設定されたが、米価の調節が完全に行われるようになったのは、米穀統制法(最高、最低価格の設定)が制定された昭和八年以降である。


図3-1 米価と背景/米価政策

図3-1 米価と背景/米価政策