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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

はじめに


 部門史の農林水産業は『社会経済1』と『社会経済2』の二巻で、林業・水産業・開拓を『社会経済2』におさめ、本巻の『社会経済1』は農業・果樹園芸・畜産業・蚕糸業を扱っている。
 第一次産業は近世以前はもちろん明治以降も常に県産業の首位にあり、大正時代の中期まで全産業所得の四割就労人口の六割を占めていた。昭和三五年(一九六〇)以降の高度経済成長政策による急激な経済変動と、これに伴う産業構造の変化で、第一次産業の比率は相対的に低下したとはいえ、食料供給の大切な使命を持つ基幹産業として、今日においてもきわめて重要であることはいうまでもない。
 農業は歴史も古く舞台も広く、その起伏消長、盛衰に関する史料や断片的な研究は少なくないが、県下全域にわたり総合的にまとめられたものが無く、農業史の編さんは関係者の多年にわたる宿願であったが、今回の県史編さんにより願いの一端を果たすことができた。
 編集に当たっては、既存の史料・典籍を基礎にして、これに筆者らが研究・行政・教育などの諸機関で得た識見を加え、また各方面の現地踏査により、可能な限り史実の確認に努めた。
 本県の農業は近世以前は言うまでもなく、明治以降昭和二〇年代まで、米麦を基幹作物とする主穀農業で、製糸の発展による蚕糸業の一時的な隆盛期を除き、園芸・畜産・養蚕など、米麦以外の作目はすべて副業として扱われていた。太平洋戦争後、特に昭和三〇年代後半からの急速な経済成長、国民所得の増加により消費構造が変化し、穀類の消費量が漸減する反面、果樹・野菜・畜産物の需要が急激に増加して、農業の生産構造も大きく変貌し、今日の県農業の粗生産額比率は、米麦の一九%に対して園芸作物四五%、畜産二七%となり、この三者で九〇%を占める実態になっている。
 本巻はこうした農業全般の歩みと、政策その他の背景を第一編の「愛媛の農業」で概説し、昭和三〇年代から急速に成長した果樹園芸・畜産の史蹟と、明治以来激しい変遷をたどった蚕糸業の跡を、それぞれ「愛媛の果樹園芸」「愛媛の畜産業」「愛媛の蚕糸業」としてまとめた。
 「愛媛の農業」では、中世末~近世初期の水田農業の概説から筆を起こし、近代以降は各時代における農業の推移とその背景となった農業政策の変遷過程を考察している。明治時代は人口と消費量の増加によって食糧事情が窮迫し、営農改善と政策の目標が米麦を中心として、食糧農産物の増産と技術の開発に集中した時代であるが、稲作の飛躍的な進歩で食糧事情が安定した大正時代以降は、技術の改善に加えて農家経済の維持、向上を図る必要から、農産物の価格政策が重視されるようになった。
 昭和初期の二〇年間は、経済不況と戦争により農業が荒廃した時代であるが、第四章と第五章でその概要を述べている。戦後の農業と農政は占領下と極度の食糧危機の中で始まり、緊急食糧増産政策の推進と並行して、農地改革・農業団体の再編成など一連の戦後改革が行われた。食糧の増産は、積極的な財政投融資と、肥料・農機具・農薬などの技術革新によって著しい成果をあげ、昭和三〇年以降は食糧危機から完全に脱却したが、消費量の減退で米は昭和四五年から生産の制限を必要とする過剰時代に入り、戦後急速に伸長した園芸・畜産も海外農産物との競合が年ごとに激化し、深刻な事態に直面し今日に至っている。
 また昭和三〇年代の後半に始まった経済の発展により、農業人口の他産業への流出・兼業農家の増加・農業所得の相対的低下などが顕著となり、農業問題の抜本的な解決と農業の近代化を推進するために農業基本法が制定され、画期的な農業構造改善政策が展開され今日に及んでいる。こうした戦後四〇年の歩みを概説したのが第六章である。
 戦後に台頭した成長作目の典型は果樹園芸と畜産である。本県の果樹園芸は長い海岸線に面した傾斜地や島嶼部で明治以来商品作物として漸増し、特に昭和恐慌を転機として拡大の一途をたどっていたが、食糧作物優先の戦時下では、生産統制の対象となって衰退し、荒廃したまま終戦を迎えた。戦後は他作物を凌駕して急速に復興し、全国第一位の果樹生産県となったが、農産物輸入の自由化、生産過剰、価格の低迷など多くの難問に直面している。
 「愛媛の果樹園芸」では、古来の諸文献、各種の記録、史蹟などをもとに、こうした果樹園芸の展開過程をたどり、続いて明治・大正・昭和の各時代における生産の動向、栽培技術の推移、流通需要への対応、試験研究の発展、行政及び農業団体の果たした政策などの変遷について考察している。
 果樹と並ぶ成長作物の蔬菜園芸については「愛媛の農業」の第六章第四節で明治以降の産地と生産の推移、生産技術の進歩について概要を説いているが、主として太平洋戦争後の生産と産地の実態、県が推進した生産対策、さらに昭和三〇年以降急速に発展した施設園芸と、産地の形成が進んだ特産野菜の消長に記述の中心を置いている。
 「愛媛の畜産業」では、まず古来から今日に至る畜産全体の歩みを概説し、続いて国の畜産政策に基づき推進した県の対応策と県内の諸情勢について記述し、次いで畜種別に長らく県畜産の王座にあった和牛と馬のほか、戦後大きく飛躍した酪農・養豚・養鶏などの消長の跡、飼育形態の変遷を述べている。さらにこれら畜産振興の背景となった施策の面については、生産性、収益率向上の基盤である家畜改良事業、また畜産の変化が具体的に反映する牧野・飼料施策及び企業大型化の畜産経営で、ますます緊要性を加えた家畜防疫衛生対策など、畜産振興上大きな支えとなった注目すべき重要施策について考察している。
 廃藩の直後に士族授産事業の一環として発足した本県の養蚕は、明治一〇年代になると、一般農家の手に移り始め、以後急速に全県に普及し、明治後期から大正を経て昭和初期まで、驚異的な発展をとげ、昭和五年には農家の過半数によって営まれ、桑園面積も一万四、〇〇〇町歩を突破し、関西の雄県、全国十指中の養蚕県になった、しかし、人造絹糸・ナイロンその他の化学繊維の出現により、生糸の消費分野が浸食されて衰退の一途をたどり、今日では中国・韓国産の生糸・絹織物などの輸入に圧迫され、国内産生糸は輸出向きから国内消費に充てられている実態である。
 「愛媛の蚕糸業」では、記述の重点を興隆期の明治~大正期におき、昭和恐慌から今日までの衰退期については各時代の特徴的な事項について概説している。
 農業は古い歴史をもっているが、史料が之しいため各部門とも近世以前は略述にとどまり、また近代以降も紙面の制約により割愛を余儀なくされた重要事項や記述を簡略にした部分が多く、十分に意を尽くすことが出来なかったことをおことわりしておく。記述にあたっては、親しみ易く読みやすいように努め、また写真・図表を可能な限り多く載せ、理解を深めると共に、稿末に年表を掲げ、業界の歩みを明らかにしている。