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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

一 面河ダム


 道前道後平野農業水利改良事業

 道前・道後平野は、愛媛県における二大平野であり穀倉地帯である。しかし、この平野の耕地一万二〇九四haを涵養している流域は、道前平野一八五・六k㎡、道後平野三七四・七k㎡であって、渇水時の流出量は道前平野〇・六五立方メートル/s、道後平野二・二立法メートル/sとなっていて、耕地面積に比較してきわめて少なく、しかも、この地帯の平均降水量は一五〇〇㎜内外である。この用水不足を補うため、ため池・揚水機・湧水利用施設が設けられているが、地区内における水資源開発は限度に達しており、水不足に悩まされていた。こうした地域の水資源開発事業として面河村笠方にダムを建設し、高知県に流れる仁淀川水系面河川上流部の水を集めて貯水し、これを道前・道後両平野に導水しようとする「西の愛知用水」といわれる大規模な水利事業が道前道後平野農業水利改良事業である。
 事業の目的は大きく三つに分けられる。一つは、両平野一万二〇九四haの耕地に対し、水田の用水を補給するとともに、山麓の果樹園地帯の畑地灌漑および一部開田地域の用水として三二一五万立方メートルを確保する農業水利である。二つ目は、ダムより平野部に至る導水途中の落差四七二mを利用して三か所で発電を行ない、最大出力二万五一〇〇kWの電源開発を行なう。三つ目は、松山・松前地区臨海工業地帯に対して日量一〇・六万立方メートルの工業用水を確保することである。

      
 面河ダム 

 この事業の中心をなす面河ダムは、三五年に着工し、三八年に完成した多目的ダムである。ダムは割石川を堰き止めて建設された堤高七三・五m、堤長一五九m、総貯水量二八三〇万立方メートルの重力式直線型コンクリートダムである。全国的にはダムの堆砂現象が著しく、ダムに土砂が流入して浅くなり、使い物にならなくなっているところもあるが、面河ダムは、同現象が少ない。これは直接流域面積が二二%しかなく狭いため土砂の流入がほとんどないことや、周囲の地形がなだらかで山腹崩壊などの災害が少ないことなどによる。また、流域がほとんど原生林で、水源涵養度が高い。そのほか、上流には集落が少ないため生活汚水による汚濁がみられないなどダムの利点も多い。
 このダムに貯りゅうするための承水堰は、面河川・鉄砲石川・坂瀬川・妙谷川その他溪流に一一か所あり、取水された水は承水路の九八%(八二五七m)を隧道で導いており、ゴミが入らず管理が容易である。放水導水施設は、面河ダムから中山川逆調整池及び道後導水施設までをいう。前者は一二八三七mの隧道からなり、後者は五六〇〇mの隧道からなる。中山川逆調整池は、ピーク発電時の水を貯りゅうし、農業、工業の用水を一定流量で流すための貯水池である。国道一一号下の県営第三発電所付近にあり、コンクリートえん堤で、調整水量は一五万立方メートル、堤長五四・七m、堤高二〇・八mである。

      
 発電施設

 道前道後第一発電所は面河村杣野の面河ダム直下にあり、最大出力は三五〇〇kWのダム式発電所である。同第二発電所は川内町明河にあり、最大出力一万一〇〇〇kW、同第三発電所は川内町河之内にあり(写真7-11)、最大出力一万六〇〇kWで、第二・第三発電所は、分水途中の高落差を利用したダム水路式発電所である。これら三つの発電所は、本来一つの発電所として建設するのが望ましかったが、道前及び道後の両平野に分水するための地形上の制約から、発電所の位置が限定されたことと、地質上、分水隧道を低圧化する必要があったことなどから三つの発電所とすることとなった。この場合、三発電所を同時に同一の水で運転することになり、水の流れと電気の流れという大きな時間差のあるものを乱調を起こさないよう制御する必要があり、当時としては異例のアナログ・ディジタルコンピューターによる水理計算を行なった。二年有余にわたって検討を重ねた結果、放水路水位によって自動的に出力を調整するという、いわゆる逆水位調整方式により安定した運転が可能であるとの結論に達した。この方式の採用に当たって、第一及び第二発電所放水路水位を安定させるための逆調整池が必要となったが、最も経済的な方法として、第一発電所はダムエプロンを、第二発電所は河川をしめ切ることにより対処した。なお、発電開始はすべて三九年一月である。

図7-11 仁淀川(面河川)・黒川流域の発電所、送水管・送電線

図7-11 仁淀川(面河川)・黒川流域の発電所、送水管・送電線