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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

二 観光


 観光行事

 風早平野の春は「擢練り踊り」の鐘の音とともにやってくる。四月一五日の大祭を前に夜毎聞こえてくる鐘の音に春の到来を感ずる人々が多い。また、七月一七日の宮島祭や八月九日の高縄寺四万六千日縁日は、いずれも風情のある行事である。宗教的雰囲気に包まれ、静かな夜を送ろうとする善男善女が多く集まってくる。風早地方の観光行事の圧巻は一〇月一一日の国津比古命神社秋祭りの「あばれみこし」、一二日の鹿島神社の「海上渡禦」と「擢練り踊り」であり、勇壮と華麗を併せもった風早の秋祭りは、例えようもなく人々の心に感動を与え続けている(表4―32)。


 鹿島

 北条市の西方海上四〇〇mに浮かぶ周囲一・五㎞の小島で三一年五月に国立公園に指定された。すでに明治時代より多くの観光客が訪れており、大正時代には三津浜港より鹿島へ来る遊覧船もあった。島を巡る遊歩道は整備されており、短時間で島巡りを楽しむ事ができる。島の頂上の標高は一一三・八mであるが、ここからの眺望はきわめて美しく、風早平野はもとより忽那諸島を一望することができる。中世に河野氏の海上防衛の拠点であったことがうなずける島である。河野通信が配下数百隻の大船団を率いて壇の浦へ向かった時、あるいは通有が一族郎党を率いて元の船団に挑んだ時に戦勝を祈念したのが「擢練り踊り」の起源とも言われている。擢練り踊りをする少年の勇姿の中に伊予の中世を彩った河野一族の面影が浮かんで来るような、まことに勇壮絢爛な海上絵巻である(写真4―18)。
 鹿島の観光資源は白砂青松と鹿であったが、松はすでにほとんど枯死し、鹿の減少も拒めない。近年観光客は減少傾向(表4―33)にあるが松山近郊にある絶好の行楽地として貴重な存在である。鹿島は著名な文人が多く訪れたこともあり、多数の句碑・歌碑が建立され、「碑の島」としても有名である。また国民宿舎「鹿島」や鹿島博物展示館も新装されており、家族向け観光地として最適である。


 高縄山

 標高九八六mの山頂は、その昔河野氏が砦を築き道前道後に号令を発した所と伝えられている。三七年三月奥道後玉川県立自然公園となったが、山頂一帯は全山ぶなの原生林に覆われるなど、植物分布上も貴重な所である。山頂からの眺望はきわめて壮大で、瀬戸内海の島々および中国地方までもがパノラマのように開けている。山頂近くの杉林の中に隠見される高縄寺は、河野氏の菩提寺でもある名刹で、安置される一一面千手観音菩薩立像とともに八〇〇年の歴史を今日に伝えている。
 登山にはドライブコースとハイキングコースが設けられているが、ドライブコースとしては宝坂ドライブコース(立岩・宝人橋より)、高縄スカイラインコース(柳原より)、高縄奥道後ドライブコース(九州より)があり、ハイキングコースとしては猿川ハイキングコース(立岩・猿川より)および院内コース(正岡・院内より)が設けられている。水の便が良いため夏季は少年少女達の絶好のキャンプ地ともなっている。


 善応寺と雄甲山・雌甲山

 善応寺は河野川の上流にあり、風早平野の大部分を一望することのできる天然の要害である。河野氏ゆかりの地であり、かつては土居舘と称される居館があった。通盛は道後に湯築城を築き、河野郷に善応寺を建立した。寺伝によれば、七堂伽藍がそびえ一三の塔頭が偉容を誇っていたと言われるが、天正一三年(一五八五)豊臣の四国攻めにあい没した。現在の善応寺は江戸時代に明智庵跡に建立されたものである。
 善応寺の後砦であったものが雄甲山・雌甲山であり、善応寺から近距離にあるため同時にこれらの山を訪れる人も多い。なお雄甲山には伝説を秘めた柱石と称される柱状節理の火山岩が存在している。


 北条公園(俵原池)

 北条市の中で最大の灌漑用水源池として貴重な俵原池は、昭和一七年三月に完成したもので、周囲は約四㎞である。この俵原池一帯から波妻の鼻を経て法橋にいたる地域が、松山広域都市公園として四八年より整備された。五七年現在、レークハウス・花と水の階段・休憩所・ピクニック広場などが完成しており、四季を通じて訪れる人々は多い。特に春の新緑のころはハイキングや魚釣りあるいは山菜取りの人々などでにぎわいをみせている。近くには恵良山城跡やエヒメアヤメ自生南限地帯の腰折山などもあり絶好の散策地となっている。


 北条青少年スポーツセンター

 昭和三九年の東京オリンピックを契機として、国民のスポーツに対する関心は強くなって行ったが、その中で「見るスポーツ」から「するスポーツ」へと移行する傾向が強くなった。日本体育協会では青少年の健全育成の場として全国の各ブロックに青少年スポーツセンターを建設した。北条青少年スポーツセンターは、日本体育協会が四国ブロックに建設した施設であり、全国一一(北海道・田沢湖・南紀・湯布院・岩木・今市・本栖湖・医王山・鈴鹿・玉野および北条)の青少年スポーツセンターの一つである。
 四二年から四八年にかけて建設が行なわれ、総面積二六万二〇〇〇㎡の広大な敷地に各種競技施設や研修施設が機能的に配置されている(写真4―19)。海に面しているなど立地条件も良いため年々利用者も増加しており、五六年には五万五〇〇〇人(宿泊三万四〇〇〇人、外来二万一〇〇〇人)の人々が利用している。なお、同センター周辺の海岸は、残された数少ない美しい白砂の海岸の一つで、絶好の海水浴場となっており、夏季には多くの人々でにぎわいを見せている。

表4-32 観光行事一覧

表4-32 観光行事一覧


表4-33 北条市鹿島の渡船人員の推移

表4-33 北条市鹿島の渡船人員の推移