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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

一〇 松山(道後)平野の畜産


 役畜牛の飼育と役牛の普及

 松山(道後)平野の和牛飼育頭数は昭和三〇年代を境に減少している。表3-33は昭和二四年の郡市別の役畜の普及状況を示す資料である。役畜一頭当たり耕地面積は県平均一・三ha、温泉郡一・三ha、松山市一・五八ha、伊予郡一・二八haで農家一戸当たり役畜頭数は、温泉郡〇・五ha、松山市〇・三ha、伊予郡〇・五haと、県下最大の穀倉地帯松山平野の農家における役畜の普及状況がわかる。戦前の役畜の飼育目的は表3-34の如く農耕専用が六四・一%である。
 役畜牛の使用について、明治二四年(一八九一)愛媛県農事概要は次のように記している。

「農具並耕耘法ハ近来大ニ進歩シタルモノアリ。松山近傍五~六郡ニ於ケル農具ノ変化及耕耘法ノ改進シタル重ナルモノヲ挙クレハ牛馬耕甚タ少ナク郡ニヨリテハ殆ト人耕ノミナリシモ近来大ニ牛耕ノ増シタル事ヲ第一トス。此ニ進歩ノ為メニ五〇年前僅ニ四反歩ヲ耕作シ得タル農家モ一○年前ニハ七反歩ヲ耕作スルヲ得ルニ至レリ現今ニ於テハ一町歩ヲ耕作スルヲ得ルハ難キニアラスト云ウ。天保一〇年ノ頃久米郡ノ農奥村米作ナルモノ創メテ塊転車ナルモノヲ造リ牛力ニヨリ土塊ヲ破砕スル事ヲ始メ洽ク近郷ニ広マリタルモ亦進歩ノ一ナリ一番草ニ三叉熊手ヲ用ユル事ヲ始メタルモ近年ノ進歩トス又土地ヲ鋤キ起ス事ヲ深クシタルモ大ニ実益アリ。
深耕ノ利益
 松山近郊ニ於テハ従来兎角浅犂ニ流レ自然稲苗ノ根張繁茂宜シカラサリシカ近来漸ク強健ナル牛ヲ使用スルト農具ノ改良トニヨリ深ク耕スコトヲ得ルニ至レリ土壌ヲ深ク耕ストキハ肥料ヲ克ク浸透シ地味ヲ起シ作リ土ヲ増スヲ以テ大ニ品質収穫ヲ増進スルモノ小少ナラス為メニ年々土壌ヲ深ク耕ス事ヲ勉メリ。」

と畜力の利用は作業能率の向上と経営規模の拡大を可能にし、深耕による増収は農業経営に画期的な利益をもたらした。
 表3-35により明治中期の人耕と牛耕の割合をみると、松山平野の中心部和気・温泉・久米の各郡は牛耕率五〇%であるのに下浮穴・伊予の両郡は九五%の高率を占めている。藩政時代の馬優位から牛に移行したのは明治一四~二〇年(一八八一~一八八七)ころである。明治三七年(一九〇四)ころから和牛価格が高騰したため特に役肉牛の飼育がふえた。日露戦争従軍兵の帰還者から牛肉の美味なことを教えられ、役肉両用に利用されるようになった。明治三七年(一九〇四)日露戦争が起こると、牛馬特に肉牛の需要が増大し、また畜力の利用もかなりの程度行なわれていたが、明治以来農業労働合理化の一環として、畜力の利用が急速にひろまった。明治末期に始まる畜力鋤の普及はこの事実をうらづける。
 明治三九年(一九〇六)に牛一二頭、馬三八頭の去勢が実施され、去勢牛「キンヌキ」が県下に普及する。馬は牛に比べてはるかに少なく、郡内の生産も殆ど稀で運搬用に使用するのが八〇%、耕作用は僅か一七%である。牛馬の分布も地理的条件によって、牛耕の不適な島嶼部と山間部には耕作用のものは少ない。馬は温泉郡東部と北部に多く、郡の中央部や鉄道沿線の町村には少ない。
 松山平野では、大正三年(一九一四)に温泉郡産牛組合が松山市立花と郡中村(現伊予市)に定期家畜市場を設けた。温泉郡北条町(現北条市)は月一回の定期市・平井(現松山市)と横河原(現重信町)にも牛市場があったが不定期で市を開かぬ月もあった。近郷の博労(家畜商)が集まって盛大な取引をした。こうして、和牛飼育「牛持ち」は百姓の理想であり独立自営農民としての格付ともなった。駄屋と称する畜舎を物置きや作業場(納屋)を相棟兼用に建てて繋養し、耕作運搬採肥や食肉用にと飼育目的も多様化し、肥育牛の飼育、仔牛生産、生産牛の飼育へと発展する。
 和牛を牡と牝の別で飼育状態を表3-36でみると、松山市は牝の飼育率九・七%、温泉郡一七・五%と低いのに、伊予郡は五五・九%と高い。伊予郡と小田郷はもとから牝の肥育地帯で、特に伊予灘沿岸の上灘・下灘(現双海町)は殆ど牝牛で、仔牛の生産を兼ねた役肉牛の飼育が実施された。大正一〇年(一九一二)下灘では、村営事業として種牡牛を導入し、昭和一〇年ころからは肉質のよい但馬牛・岡山牛が導入された。こうして役牛から肉牛へと品種改良がすすめられ、毎年五月二二日と九月二二日の牛市には近郷近在の博労や肥育農家が参集して盛大に売買が行なわれ、仔牛の生産地として〝灘牛〟の名声を県内外に高揚した。
 温泉郡と松山市および久万郷は牡の役肉牛が多かった。主因は、平野部は耕地が広く牝では耕しにくく、郡中・松前地方は甘庶搾りに牝では弱いので〝コットイ牛〟(牡)を好んで飼育したという。家畜を労役に利用することは、農業における労働の生産性を高めるもので経営上有利である。しかし、家畜の導入に投下する資本部分とその維持に要する費用は相当の額に上る。したがって畜力の十分な利用がなければ経営上不利な結果となる。年間の役畜使用日数は一〇アールで二日内外、一ha経営の農家でも二〇日程度の畜力利用しかなされない。そのため零細農家が和牛を繋養することは経営上全く不利なことであり、五〇アールから一ha以上層の農家でも決して有利であるとは言えなかった。


 飼育形態の変容と農業の機械化

 和牛の飼育は使役と廐肥利用を目的として、一~二頭飼育の零細副業的な形で行なわれてきたが、最近の飼育頭数の減少(図3-21)と共に、肉生産を目的とした短期肥育・若齢肥育の形にかわり、副業的零細経営から多頭飼育の方向へ進み、企業的和牛飼育生産へと飼育形態が変容した(表3-37)。
 和牛飼育の減少要因は、従来の役肉兼用の肥育形態が非常に非能率的であったことに加えて、農機具の導入、乳牛および養豚への転換が大きく作用した。特に農業機械の質的変化は役畜力依存の農業形態を根底から変革した。脱穀籾摺作業等の調整段階に止まっていた機械化が、昭和三〇年代より耕耘過程の機械化・中耕・収穫・運搬・病虫害防除などの作業過程の機械化へ進んだ。なかでも、小型動力耕耘機・カルチベーター・動力防除機の改善普及はめざましい。こうした作業機の発達と普及は、栽培様式にも変革をもたらし完全に畜力から機械力へ転換してしまった(表3-38)。


 「預け牛」の慣習とその消滅

平坦部の牛を季節的に預かって飼育し、その手間賃を受けとる副業的畜産の預け牛(上げ牛)の習慣は藩政時代からあった。明治以降、松山(道後)平野では南伊予・郡中・北山崎(現伊予市)・北伊予・岡田・松前(現松前町)の伊予郡内と、松山市の余土・垣生・斉院・生石方面の牛は犬寄峠(三二〇m)を越えて、中山・佐礼谷(現中山町)・喜多郡の五城・立川・満穂・大瀬(現内子町)・柳澤(現大洲市)に預けた。松山平野南部の石井・浮穴地方の牛は上尾峠(四六三m)を越えて広田村へ、また東温の南吉井(現重信町)・荏原(現松山市)の牛は三坂峠(七一九m)を越して川瀬村や明神(現久万町)に預けた。周桑郡桜樹村(現丹原町)や温泉郡三内村(現川内町)・拝志村上林(現重信町)にも松山平野平坦部の農家が牛を預けた。期間は六月末、稲田の耕耘がすんでから、秋一一月の麦まきの耕耘作業が始まるまで約四か月間であった。山村は涼しく青草が豊富で、しかも、とうもろこしの茎など飼料にも恵まれ、牛はよろこんで食べよく肥えた。
 久万高原では温泉郡や松山市の穀倉地帯の農家の里牛を農閑期だけ預かって飼育した。田植えの後から麦の播種前までを夏牛として預かり、麦の播種後から翌年の田植え前までを冬牛として預かった。この牛の受け渡しは、双方の農家の手によって行なわれ、三坂峠が交換場所となって昭和初期まで続いたが、その後は野尻市が利用されるようになった。この里牛預かりの始まりは明神で、明治四三年(一九一〇)には一一〇頭もの里牛を飼育していた。その後、久万・川瀬・父二峰(現久万町)の各村にも拡まった。この預け牛飼育は、山村の豊富な野草の利用によるものであるが、その後、とうもろこしの作付が多いことから、肥育牛飼育の形態に転じ、農繁期には逆に温泉郡地方へ貸出して、農耕に使役させる貸し牛の畜産副業が盛況を呈した。
 こうした預け牛の慣習が戦後まで残存したのは犬寄峠である。大部分は七月上旬(五日が中心)から一〇月中旬(二〇日頃)までの夏草期のもので(表3-39)、有力な問屋が介在し、問屋を経て牛主と預かり手が契約し、さらに預かり期間中の生育・肉付の度合を評価して手間賃(預かり手数料)を定めていた。昭和三〇年代の初めころは、預け賃一〇〇日で約米一俵、飼育料五〇〇〇円、肉付(シシという)がよくなって戻してくると五~一〇%のボーナスをつけた。この制度は明治・大正時代からで、問屋には泉町の島田謙三郎、犬寄の飛田熊吉が斡旋した。古くから農家は牛を山村に預ける習慣があり、最盛期には犬寄峠を越して中山町だけで五〇〇頭にものぼった。戦時中は労力不足のため異常に増加したが、戦後は表3-40の如く急速に減少の一途をたどった。
 預かった山村の農家では廐肥がとれ、草が豊富で子供の日課にして三〇〇〇~五〇〇〇円の副収入になる有利な副業であった。昭和三〇年代から農業の機械化により、平野部の和牛飼育の形態がすっかり変容し、役牛の飼育が減少するにつれ、預げ牛の慣習は消滅した。

表3-33 愛媛県の都市別役畜普及状況(昭和24年)

表3-33 愛媛県の都市別役畜普及状況(昭和24年)


表3-34 愛媛県における役肉牛の飼育目的別頭数(昭和16年)

表3-34 愛媛県における役肉牛の飼育目的別頭数(昭和16年)


表3-35 愛媛県の郡別牛耕・人耕の割合

表3-35 愛媛県の郡別牛耕・人耕の割合


表3-36 愛媛県の都市別役肉牛中牝牛及び妊牛の占める割合

表3-36 愛媛県の都市別役肉牛中牝牛及び妊牛の占める割合


図3-21 松山平野と周辺地域の役肉牛の飼育頭数の増減

図3-21 松山平野と周辺地域の役肉牛の飼育頭数の増減


表3-37 松山平野における市町村別肉用牛の飼養

表3-37 松山平野における市町村別肉用牛の飼養


表3-38 松山市を中心とする市町村別動力耕耘機の普及状況

表3-38 松山市を中心とする市町村別動力耕耘機の普及状況


表3-39 伊予郡中山町の預け牛

表3-39 伊予郡中山町の預け牛


表3-40 中山町中山・内子町立川地区の預け牛

表3-40 中山町中山・内子町立川地区の預け牛