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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

五 交通路の発達と商圏の変化


 松山市の道路交通

 交通体系、特に道路の発達は地域相互間の時間距離の短縮をはじめ、自動車の普及による人口流動の活発化などによる都市圏の変容をもたらし、小売業など商業活動にも変化をひきおこす。松山市の交通機関の整備状況と商業発展の関連をまとめたのが表2-33である。これによると昭和三〇年代末から影響が出ることが読みとれる。松山市は国道四路線の起終点となっており、国道一一号(徳島~松山)は昭和四一に、国道三三号(高知~松山)は四二年に、国道五六号(松山~宇和島~高知)は四六年に、国道一九六号(松山~今治~小松)は四五年にそれぞれ完全整備された。しかし各路線ともに交通量の増加が著しく、市街地の入口付近で飽和状態に近い混雑となっている(表2-34)。一部バイパスの完成や地方道路の改修などもあり、路線別の差異はあるが、表2-35をみると交通流の変化であり、交通の絶対量は増加している。路線別にみると、国道の交通量が全般に多いが、西部の空港、港湾、工業地帯と市の中心部や道後等を結ぶ県道松山空港線、道後・松山港線等の混雑が激しい。その他中央環状線、千舟町・高岡線、中之川通線等、市を東西に走る幹線道路の交通量が多い。


 商業の構造と商圏

 松山市は四国最大の小売商業都市であり、大型店普及も最大で、その実質的商圏人口は約五四万人に及び、影響圏を含めると全県下に広がる。ひとくちに商圏と言っても議論があるが、松山地域商業近代化地域計画報告書では経験的に第一次商圏を三〇分圏内(乗用車速度四〇㎞/時)、三一分から六〇分圏内を第二次商圏として時間距離で示している(図2-30)。以上のような松山市商業の県下に占める地位をみたのが図2-31である。商店数、年間販売額のほか、従業者数、売場面積いずれも県下最大のシェアをもっているが、その比率は次第に低下する傾向にある。これは道路の発達などによる商業の地方分散のためで、特に最近ではスーパーの全県的な店舗網展開で、この傾向が強くなりつつある。これに対し卸売業の松山への集中化傾向は、卸商センターや中央卸売市場の整備により高まっている。


 消費行動の郊外化と大型店

 人口四〇万人を超えた松山市の人口移動の特色の一つは、その郊外化、ドーナツ化の進行である。松山市の地区別人口の推移をみると、本庁地区(番町・東雲校区など)の減少、支所区の増加である。中でも堀江・久枝・和気(北部方面)味生・生石・垣生・余土(西部方面)石井・浮穴(南部方面)久米・小野(東部方面)の増加が顕著である。さらに周辺部で松前町・砥部町などがこれに続く。
 こうした人口移動と結合したモータリゼーションの進行の中で、昭和五〇年代に入って郊外型の大・中型店の出店がめだちはじめた。その代表例が昭和四八年のフジ駅前店(フジショッピングスクエア)で、旧愛光学園跡地に立地したもので、三〇〇台の駐車場を持っている。表2-36により最近開設した三〇〇㎡以上の大型店を地域別にみてみると、このような大型店は地域生活圏の核となる場合が多く、その出店状況は地区構造を知るうえで一つの鍵となる。中心部では従来の番町などの中心部から清水・素鵞・雄郡地区に、都市近郊型中型店を核とした再開発的市街化の進行が読みとれる。また、余土・生石・石井地区などにも大規模な駐車場を備えた郊外型の中型店が多く立地している。ただこの中で小野・久米などの東部地区は人口規模が小さく、集落も分散傾向が強いため大型店の立地がきわめて少ない。全体をまとめると、その規模、施設、商品構成などから、まだ近隣型の域を出ず、それが中央商店街に及ぼす影響はさほど大きくはないが、今後その動向は注目する必要がある。特に松山市の道路整備計画の進行に伴う主要道路の結節点に、こうした大型店が増えることになれば、中央商店街としても影響は大きいとみられる。その意味で昭和五四年末に開店したダイエー南松山店の動向と周辺地域の変化は注目される。

表2-34 国道の松山市街入口付近の自動車交通量の推移(昭和40年~52年)

表2-34 国道の松山市街入口付近の自動車交通量の推移(昭和40年~52年)


表2-35 松山市内主要道路の交通量

表2-35 松山市内主要道路の交通量


図2-30 松山市の商圏

図2-30 松山市の商圏


図2-31 松山市商業の愛媛県に占める割合(51・54年)

図2-31 松山市商業の愛媛県に占める割合(51・54年)


表2-36 松山市の地区別大型店舗(昭54) 1

表2-36 松山市の地区別大型店舗(昭54) 1


表2-36 松山市の地区別大型店舗(昭54) 2

表2-36 松山市の地区別大型店舗(昭54) 2