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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

四 農村工業


 地域工業の現況

 本地域の工業は、従来立地条件に恵まれず、地域生産物の加工工場の域を出ない小規模なものがあるにすぎなかった。表6―3は五七年の工業統計によって広見町・松野町の現況を示したものである。五一年の製造業出荷額が広見町が約三一億円、松野町約一八億円であるので、近年の工業化の進展がうかがえる。特に広見町でその傾向が強い。両町共、農村地域工業導入事業により工業化をはかっているが、表6―4のごとく従業員一〇〇名以下の小規模企業がほとんどで、その生産性も低い。純農村地帯の本地域に資源利用型工業とでも呼べる農村工業が最初に立地したのは、昭和一四年に広見町近永に進出した国営近永酒精工場である。一六年には国内最大の生産規模を誇った時期もあったが、現在は合理化のため特殊法人化され、かつての面影はない。
 また古くから製糸工場、製材所、澱粉工場などが地場産業としてめばえたが、地域開発政策として工場立地が進んだのは四〇年代以後であり、業種的には繊維を中心に、電機、木材、食料品などの各工業である。
 以下、両町について主要工業の地域的展開を考察する。

 地域産品に関連する農村工業

 まず、広見町の製造品出荷額の半分を占めるのが窯業、土石関係であるが、松野町にはほとんどみられない。内容的には地域に密着したコンクリート関連工業以外に、地域外から進出した特殊なものも若干みられる。特に町内の人脈をたよって四五年に進出したという広島研磨工業は永野市に立地し、研削と石を生産している。町内では出目にある電機工場に次いで従業員が多い誘致工場である。その他、黒鉛製品を生産するメカニカルカーボンも小企業ながら特色がある。地域の原木に立地した製材業も共通して盛んである。

 労働力に立地した農村工業

 宇和盆地と同様に繊維・衣服の工業と電機が中心である。特に広見町では、四〇年代の後半から縫製業の新規立地が著しい。その最初は四四年に従業員一〇五名で近永に進出した北宇和縫製で主に婦人服の生産をした。それ以前に南予メリヤス編振興会が各種学校の形式で永野市に進出し、以来町内各地に補導所を設置し、繊維、衣服工業立地の基盤をつくった。野村町と共に本県製糸業の中心である本地域には、小松に北宇和蚕糸農協とその製糸工場があるが、これをみてサカエニットは進出を決めたという。同社は日吉村にも分工場的な拠点をもっているが、南予の繊維工場にはこのような進出方法がよくみられる。
 次に両町ともに電機の県外資本が大きな比率を占めているのも、宇和・野村両町と類似している。松野町は、表6―3では電機は一工場であるが、その一工場は、資料(『会社年鑑』)によると松野立石電機である。同社は、工業出荷額の約六〇%、従業員の約三〇%を占めている。京都に本社がある立石電機系で工業用のタイマーの生産専門工場である。広見町でも真鍋電器が大きい。大阪より進出し、従業員一八〇名で各種電気部品を生産している同社は、広見町以外に宇和島市や吉田町にも同様な工場が立地している。





表6-3 鬼北盆地の製造業の現況

表6-3 鬼北盆地の製造業の現況


表6-4 鬼北盆地の製造業の主要企業

表6-4 鬼北盆地の製造業の主要企業