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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

二 大三島の自然と歴史

 観光開発

 古くから大山祇神社のある島として知られてきた大三島は、全島が国の名勝で、瀬戸内海国立公園地域も多い。島内各所には水軍とゆかりの深い文化財や史跡が残され、水軍観光ルートの重要拠点となっている。
 大山祇神社を中心に年間四〇万人前後の観光客があり、海の眺めを楽しみながら島を巡回する自転車専用道路、名勝地鷲ケ頭山の自然研究路、緑の村運動公園のスポーツ施設、フィッシングセンターの釣り、海水浴、民宿など歴史とレジャーを楽しむ町として脚光を浴びている。また、本四架橋(昭和五四年三月に大三島橋が完成した)、今治―尾道ルートの進展に伴って瀬戸内海中部の観光の拠点として発展が期待されている。
 交通の便はよく大三島町の宮浦・上浦町の井口の両港を玄関口として(ほかに大三島町の口総・宗方・上浦町の瀬戸・盛の各港がある)、松山・今治・広島・三原・竹原との間に高速艇、フェリーなどによる船便が多い。島内交通においても、国道三一七号大三島橋の開通に合わせ、島内のバイパス道路も供用開始され、既存道路の拡幅・改良工事も急ピッチで進められた。


 鷲ケ頭山とその周辺

 鷲ケ頭山(四三六・五m)は島のほぼ中央部に位置する島内最高峰である。全山花崗岩からなり、赤松の老樹におおわれ、山容も美しく所々に奇岩、絶壁が見える。頂上からの眺望はすばらしく、瀬戸の島々はもちろん遠く中国・四国の山並みまで見わたすことができる。頂上近くまで自動車道が登っており、自然遊歩道も開かれていて、手軽なハイキングが楽しめる。大山祇神社から山頂まで約五㎞、登り徒歩で二時間の道のりで、鷲ケ頭自然休養林(七〇ha)内のつばき・かえで・桜・赤松の樹立が楽しめる。
 鷲ケ頭山の麓にある安神山は奇岩、断崖の峻険の地が多く雄大な景観である。その安神山の麓、大山祇神社紫陽殿の東一〇〇mにある安神山苑地は松・桜・つつじ等に囲まれた憩いの広場で、自然研究路、自然休養林の入口となっている。鷲ケ頭山の南麓には、夕日に映える高さ一五mの爆布入日の滝がある。また、自然休養村整備事業の補助事業との関連で昭和五〇年から始められたきじ・かもの養繁殖所も見られる。


 大三島大規模自転車道

 自然の美しい大三島を自転車でゆっくりと巡れるようにとのねらいから、県営事業としてサイクリングロードの建設が進められている。将来は大三島一周のコースとなる計画で、まず宮浦港から井口港までの約五kmが建設されたのに続いて、現在のところ井口港から瀬戸港まで、宮浦港から盛港まで延長されている。それに伴って善意の自転車が約四〇台宮浦港と井口港に用意されており、無料で貸し出されている。


 甘崎城跡

 内海交通の要路にあたる鼻繰瀬戸の北、上浦町字水場の沖合一五〇m、すぐ手が届きそうなところに甘崎古城島がある。多々羅岬からの眺めがすばらしい。古城の名のように中世の雄大な水軍城で天崎城・荒神城・岸城の名もある(写真5-37)。
 島全体が城跡となっており、東西約三〇〇m、南北約八〇mの規模と考えられ、海浜から海底にかけて大小三二条に及ぶ石垣遺構があり、その延長は約七〇〇mに達する。古図によると標高一八mの丘に本丸・二の丸・三の丸があり、その麓の部分を高さ約四mから五mの石垣が取り囲んでいる。また、岩礁には桟橋や防御用の逆茂木を築いたとみられる整然とした柱穴跡が多数確認されるなど旧構をよく残しており、県の史跡に指定されている。多々羅岬にある上浦町歴史民俗資料館には、ここから出土した瓦や壷など数多くの遺産とともに、ありし日の城郭図を復元展示している。


 甘藷地蔵

 瀬戸の向雲寺境内には甘藷地蔵を安置する小堂宇(木造瓦葺一坪)と拝殿(木造瓦葺五坪)がある。甘藷地蔵は、江戸初期に伊予国に初めて甘藷を持ち帰り栽培を教えたという下見吉十郎をまつるもので、高さ五〇cmほどの石地蔵である。
 吉十郎は正徳元年(一七一一)六十六部となって日本回国の旅に出た。同年一一月二二日薩摩国日置郡伊集院村の土兵衛の家で甘藷が飢饉に耐えるものであることを知り、ひそかに郷里に持ち帰って、付近の農民に栽培方法を教え凶荒に備えさせたと伝えられる。以来甘藷栽培は瀬戸内一帯に広まり、瀬戸芋といわれるようになったという。芸予諸島の農民はこれによって幾多の干害を切り抜けてきたことと思われる。村人は彼の功績をたたえて甘藷地蔵を祭り、供養祭を営んできた。現在も甘藷地蔵保存会によって毎年九月に祭典が行われ、近隣から大勢の人がお参りして徳をたたえている。大正九年(一九二〇)下見吉十郎彰徳碑が向雲寺境内に建立された。なお甘藷地蔵は当地のほか、大三島町・伯方町・広島県瀬戸田町・因島市の諸寺の境内にも見られる。


 大三島橋

 大三島と伯方島を結ぶ大三島橋は、本四架橋・尾道―今治ルートの第五橋で、本州四国連絡橋公団により昭和五〇年(一九七五)一二月に着工、建設費約六〇億円で同五四年三月に完成、同ルートの一番目の橋として同年五月に開通した。潮流最大八ノットの急流で知られ、一日約三〇〇隻以上の船舶が往来する可航幅約二四〇mの鼻栗瀬戸をまたぐアーチ橋は、全長五三五m、アーチ部二九七mで、アーチ橋としては日本一の規模を誇る。色彩も自然にマッチした明るいグレーに整えられ、風光明媚な周囲の景観との調和が図られており、新しい観光名所となっている(写真5-38)。