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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

五 今治市の金属・その他の工業

 戦後発展の鉄工業

 今治地方の中心産業であるタオルを中心とする繊維産業は、戦後の復旧過程で地元の村秀・矢原・青葉・永井・今治鋳造・田窪の各鉄工所と今治織機製作所などに大きく寄与した。また、戦後の世相の変転を洞察し、いちはやく新分野を開いたのは神村清の昭和二〇年創業の神村鉄工、神村シャッター㈱と田窪芳一の田窪工業所(昭和二一年創業)である。
 今治地方は繊維とならんで造船業も盛んである。その造船は溶接工程が随所に八られ、溶接に必要な溶接棒の製造で四国の四〇%近くを占めるのが四国溶材である。昭和二二年に村上敏明により始められた溶接棒製造は、三九年に四国溶材㈱として設立され、現在同国で唯一の被覆アーク溶接棒製造と溶接・溶断関連の機器販売を行っている。工場は今治市宅間にあり、湿度を嫌う溶接棒を保温状態で届けるコンテナを開発し、ユーザーとの距離の近さを生かした立地となっている。

      
 電機産業

 昭和一八年に、今治市旭町の広幅織物の製造を廃止した興業舎を買収して、工場疎開によって移転してきた東芝の電球工場は、二五年に分離独立してハリソン電気㈱となり、各種電球の製造を継続し、現在は月産三五〇〇万個の生産体制で、このうち自動車用ランプ二二〇〇万個は世界一の生産数を誇っている。社名の「ハリソン」は、発明王エジソンが初めて炭素電球を製造した米国ニュージャージー州ハリソンの地にちなみ、設立時に命名した。なお、最近は自動車・表示用小型電球一辺倒から、いち早くエレクトロニクス化に対応しLEDハ(発光ダイオード)、LCD(液晶)分野に進出したのをはじめ製品種類は二〇〇〇種におよんでいる。従業員は男二六〇人、女三二八人で年間売上七四億円に達している。
 昭和二一年に漁船を対象とした蓄電池の販売・充電を業として発足した渦潮電機㈱は、船舶電気業界では運輸省海運局の認定業者として全国第一位の規模を誇り、大西町九王の本社工場、波方町の波方工場、今冶市波止浜の波止浜工場に男四〇〇人、女一六〇人の従巣員を擁する。陸上部門では輸出用配電盤・制御盤をはじめ、工事部門を含めた総合業者として成長している。瀬戸内砲交通の要地に発達した造船・海運業界関連工業として立地した好例である。
 一方、家庭用電気器具、住宅設備機器、レコード卸小売や家庭電気配線、冷暖房設備設計施工を営む四国電業㈱は、昭和三年に個人創業され、二二年に法人組織に変更今日に至っている。現在、別宮町の本社(従業員一八二人)のほか、伊予三島・新居浜・西条・東予・松山・大洲・八幡浜・宇和島に一五グループ店を有し、家電の大型専門店として総従業員四五三人に達している。また、今治市南大門町に本社をおく四国通信建設㈱は、電気通信工事をはじめ、土木・建築、水道工事等にも進出し、松山・高松・徳島・高知・新居浜の各支店、三島・宇和島の各営業所を合わせた従業員は一一〇〇人に達している。

         
 出版・印刷工業

 明治四二年(一九〇九)創業の原印刷㈱は、昭和二七年には平版印刷部門を新設し、三八年には商事部門(包装資材)を分離独立し、㈱原商会を設立した。また、四一年には今治市喜田村に本社工場を新築移転し、今日の原印刷㈱とした。さらに四七年には紙器工場を新設して設備の充実と近代化をすすめ、松山と新居浜に営業所をおき、従業員一三五名で県内有数の総合印刷会社として成長をみている。なお、三八年に設立された原商会は、包装用資材、梱包機材の販売を営み、四二年には加工部門を分離させ、原産業㈱を設立した。
 昭和二四年に創業した第一印刷社は、三一年に第一印刷㈱と組織変更し、翌三二年に松山に進出した。また四四年には松山に第一プロセス㈱を創立し、今治工場において出版・事務用印刷を、松山工場において商業印刷を、第一プロセスにおいて写真製版を専門化し、各社補完して印刷文化を創造している(従業員一〇五人)。

      
 食品加工

 今治市内には多種の水産加工品があるが、代表的なものは、すまき・かまぼこである。昭和五七年の今治商工会議所会員のかまぼこ業者は一六であるが、最古は明治一一年(一八七八)創業の魚貞で、同一五年の卜部、二〇年の田中屋が古く、大正時代には中村屋(大正元年)、龍岡屋(同五年)、金屋・二宮(同一四年)が創業している.魚貞・田中屋・中村屋・龍岡・魚丈(昭和二六年)は、市の海の玄関で中心商店街の一つである新町(常盤町一丁目)に立地しており、重要産業であると同時にみやげ品としても今治の代表品である。新町付近は多くの魚屋が集まるとともに中央市場・馬越市場などに近く、原材料の仕人れに都合がよかった。昭和二八年に、原料の鮮度保持、適正価格の維持対策として今治練製品水摩加工協同組合(通称かまぼこ組合)の共同施設として冷凍冷蔵庫を備えた。三〇年頃から機械化を進めて省力化し、安価となった。販路は地元と東予一円および一部広島県におよんでいた。しかし、最近は、県内他産地が大量生産、大量販売時代に入ったにもかかわらず、近代化の遅れや販路拡大への努力がみられず、むしろ他産地に市場を侵食され、販路の縮小を余儀なくされている。
 一方、今治市東島生町には香辛調味料のほかハム・ソーセージ類、食品機械・器具、資材などの製造販売を中心に急成長をとげている日本食研㈱がある。昭和四六年にハム会社の技術者四人で畜産加工研究所を開いたのが創業へのスタートで、四七年に今治市野間に木社工場を新設移転、翌四八年に法人化した。五九年に今治工場の隣接地の東島生町に本社・工場を新築移転し(六三〇〇平方m)、主力商品である調味料部門を集中した。旧本社の第二工場ではハム・ソーセージ、そう菜を生産している.六〇年の総売上げ額は七二億円で、全国三〇か所に出先と台湾に支店を設けている。販売の八五%が業務用であるが、最近は小売用商品にも力を入れており、創業一五年で従業員は五一二人に増加している。


 今治木材工業団地

 今冶市喜田村にある今治木材工業団地協同組合は、昭和三九年に市内の木材業者の約四○%にあたる一六業者が一二業者に合併して三か年計画で移転入所をはじめ、四二年に完成をみたものである.製材業一〇名、木材加工(チップ・オガライト)一名、大割専用一名の一二組合員により構成されている。当団地は、今治市の南部臨海部に位置し、四二年東予新産業都市建設の一環として東予開発事業団が造成した六・四万平方mの用地に、国の製材集団化事業によって機械施設を整備したものである。集団化の動機をみると、生産性の向上、共同事業の推進、騒音・粉じん公害防止等が取り上げられているが、その背景には、今治市の製材業は綿業の発展にともなう綿布箱需要と、周辺の建築材需要を背景に地元小売を主体に発展してきたこと、外材への依存度増大から臨海工業的性格を強めてきたことなどから、市場の開拓と海岸線への移動という立地改善が大きな目的となっている。製材業は、生産工程、使用機械、加工技術などに比較的共通性が多く、そのため共同施設事業も取り入れやすい。また、その実施に意欲的であるのが一般的な傾向である。当組合でも共同施設として組合会館、従業員宿舎の建設をはじめ外材購入の増大に対応して、大型原木巻上機、移動式クレーン、皮はぎ機、共同大割機、目立工場、共同受電等、積極的に共同施設を取り入れている。このような設備拡大によって経営の合理化がはかられている。