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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

一 金砂湖と富郷渓谷

 金砂湖

 伊予三島市の市街地南方にそびえる法皇山脈の南側を嶺南地方という。金砂湖やは、銅山川流域の代表的な観光地で、昭和三六年には金砂湖と富郷渓谷及び翠波峰一帯の九八〇haが金砂湖県立自然公園に指定された。六一年に訪れた観光客は、金砂湖に二万人、富郷キャンプ場に二万人、翠波高原に一万七〇〇〇人である(伊予三島市商工観光課調べ)。
 金砂湖は銅山川にっくられた柳瀬ダムによる人造湖で、嶺北地方の水源として重要な役割を果たしている。柳瀬ダムは、銅山川の水を嶺北地方に分水するため、昭和二八年に建設され、同三〇年から分水が開始された。ダムの長さは一四五m、貯水量三〇〇〇万立方mで、その水は法皇山脈をくり抜いた長さ二七八三mの隧道を通って伊予三島市上柏町馬瀬谷に達し、宇摩平野の灌漑や工業用水として利用されている。
 柳瀬ダム建設と期を同じくして、嶺南の金砂・富郷両村は昭和二九年に嶺北の松柏・豊岡両村及び三島・寒川両町と合併し、伊予三島市となった。合併時の最大の課題は、嶺北と嶺南を結ぶ隧道の開設であった。法皇山脈を抜けるこの隧道は、嶺南開発林道開設事業として三三年二月に起工し、三五年八月に完成した。これが法皇トンネル(延長一六六三m、幅員四・五m、高さ四・七m)で、嶺南地方の森林開発・観光開発などに大きな役割を果たしてきた。
 法皇トンネルは、開設当初は市道三島金砂線に属し、伊予三島市と伊予三島森林組合が管理する有料隧道であった。四九年に同市道が県道に移管して高知伊予三島線となり、法皇トンネルの通行料徴収も廃止された。
 柳瀬ダムの完成によって、家屋一八六戸、田畑約五〇haが水没したが、これによって出現した金砂湖は伊予三島市の貴重な観光資源となっている。法皇トンネルを抜けて少し下ったところにある平野橋一帯は、平家の落人伝説が残る平野の里で、古い集落にはかやぶき屋根の農家も点在する(写真6―21)。
 昭和六二年八月に催された第一回湖水まつり(伊予三島市・商工会議所・銅山川工業用水・上水道企業団などによる実行委員会主催)は、伊予三島市発展の源となった銅山川の水に感謝する行事として始められた。湖水まつりは、翠波高原にある水波大権現での神事で始まり、続いて金砂小学校グラウンドで翠波おどりや子供盤座太鼓演奏などの行事が行われ、約五〇〇〇人の人出でにぎわった。

 富郷渓谷

 金砂湖の平野橋から銅山川上流に向かうと富郷橋に至り、ここからさらに上流の松野にかけての約六㎞の渓谷を富郷渓谷という。この地域の銅山川は、ほぼ東西に走る結晶片岩の岩層を横断して東流し、あちらこちらに深い峡谷を形成している。特に上瀬井野橋付近では、断崖絶壁が谷に迫り壮観である。
 富郷橋は富郷渓谷の玄関にあたり、付近には旅館や商店が並んでいる。富郷橋の上流にある戻ヶ嶽(戻りヶ崖)は、高さ約六〇mの垂直の岩壁で、岩の割れ目にはあかまつや岩つつじが自生し、富郷渓谷随一の景勝地となっている(写真6―22)。戻ヶ嶽の岩間には慈雨観音が安置され、この絶壁で岩登りを試みる登山家もいる。
 銅山川に沿う道は現在は左岸を通っているが、旧道は右岸の戻ヶ嶽を通っていた。戻ヶ嶽の絶壁は旧道最大の難所であったところからその名がつけられたという。また、銅山川の流れが戻ヶ嶽にぶつかって曲流し、その上流に広い河原を形成している。この河原は市営富郷キャンプ場として利用され、炊事場・野外テーブル・トイレなどの設備が整っている。また貸バンガロー一〇棟のほか、市の貸テントも用意されている。
 戻ヶ嶽よりやや上流に位置する栞峠付近には、青赤色の蛇紋岩の摺曲した露頭がみえ、瀬井野橋付近には蛇紋岩地帯特有のつげの自生地がある。また、藤原橋付近には両岸の岩が接近した猿飛とよばれる奇勝がみられ、その河床には大きな甑穴が連なっていて、戸女の接待とよばれる。
 また、富郷渓谷の流域には、上猿田・下猿田・藤原などの部落に、椿・つげ・いぶきびゃくしん・藤などの巨木が多く、そのうち一〇株が県や市の天然記念物に指定されている。
 このように、富郷渓谷は豊かな自然に恵まれて、伊予三島市の代表的な観光地となってきたが、富郷ダムの建設によって大きく変貌しつつある。このダムは富郷キャンプ場の上流の富郷町津根山に建設されている多目的ダムで、完成すれば堤高一一一mで四国一の高さをもち、貯水量は五二〇〇万トンで四国で二番目の規模となる。
 富郷ダムの建設にともない、松野・寺野・宮城・城師・葛川などの集落が水没する。明治一二年(一八七九)創立の城師小学校は昭和六一年三月で廃校となり、県道のつけかえ工事により富郷キャンプ場付近から宇摩郡別子山村大木谷までの約九㎞の区間が新道となる。
 富郷ダムの建設により、嶺南地方の観光も一つの転機を迎える。将来は、新しい人造湖と金砂湖を結合した観光開発が期待される(図6―13)。

 銅山川上流の観光地

 銅山川の最上流部は宇摩郡別子山村で、銅山川の保土野渓谷や南光院・別子ダムなどがある。別子ダムは、新居浜市の住友化学㈱や住友鉱山㈱などに電力を供給する目的で、昭和四一年に建設された。別子ダムからは平家平(標高一六九二m)のなだらかなスロープが展望でき、近くには旧別子銅山跡への登山口もある。
 南光院は江戸時代に阿波(徳島県)の山伏南光院快盛法印が建てたもので、別子銅山で働く人々のやすらぎの場となっていた。東宮橋を渡り対岸の山に登ると、赤石山系のニツ岳・東赤石・物住の頭などの連山がびょうぶのように連なっている姿が眺められる。
 宿泊施設としては村営別子観光センターがあり、収容人員は三〇人で、釣り堀や養魚池もそなえている。また、旧別千銅山筏津坑の資料館には、別子銅山で用いた道具や器具などが展示され、往時の銅山の姿をしのぶことができる。また、村内で産出する代表的な石類を集めて展示したロックガーデンもあり、周囲に植栽された高山植物と共に、野外学習の場としても利用されている。
 別子山村の主要道路である県道新居浜山城線は、別子山村・新居浜間の山岳地域が未開通であったが、銅山峰の下を通る大永山トンネル(長さ一一五九m)の開削工事が六二年秋に着工した。この隧道が開通すると、新居浜・西条方面から別子山村・嶺南地方への交通が大幅に改善され、銅山川流域の観光開発に大きく貢献するものとして期待されている。



図6-13 伊予三島市の富郷渓谷(門田原図)

図6-13 伊予三島市の富郷渓谷(門田原図)