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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

第一節 概説

 自然環境と歴史的背景

 宇摩平野と嶺南地域を区分する赤石山脈および法皇山脈は、笹ヶ峰付近から西赤石山(一六二六・一m)、東赤石山(一七〇六・六m)、赤星山(一四五三・二m)、豊受山(一二四七・四m)、翠波峰(八九二・一m)、平石山(八二五・六m)などを連ねる一連の山脈である。両山脈の北斜面は、鮮新世(五〇〇万年前~二〇〇万年前)末期から更新世(二〇〇万年前~一万年前)前半にかけての中央構造線の活動によって形成された石鎚断層崖をなし、顕著な三角末端面も認められる。
 燧灘沿岸東部に広がる宇摩平野は、川之江市から土居町にかけておよそ一六㎞の長さをもつ狭長な平野である。平野の南縁は石鎚断層崖によって境され、ほぼ直線状の境界をなしている。平野の形態は中央部でくびれた形となり、最も幅のせまい伊予三島市塞川町付近では幅が一㎞しかない。平野の地形は台地化した古い扇状地と金生川(一三km)や関川(一二・五km)沿いの沖積低地とから成る。南側の赤石山脈や法皇山脈の斜面から流れ出ている小河川などによってつくられた古い扇状地面は、全体として千分の一~千分の百程度の傾斜をもっていて、これらの扇状地を流れる各河川は扇状地面を五~六mも刻み込んでいる。関川や金生川沿いの沖積地も古い扇状地を刻んで流れている。
 各扇状地の扇端や海面水位に近い所は湧水地帯・揚水可能地帯となり、古くから飲料用井戸・灌漑用水源として利用され、特に江戸期以来の手漉き和紙製造、今日の製紙・紙加工業の工業用水源として活用されてきた。
 宇摩平野は稲作を主とするが、わが国三大局地風やまじ風が法皇山脈より吹き下ろしてくることもあって、さといも・つくねいも・球根類などの耐風作物の栽培が盛んで、被害を最小限に食い止める農業経営が行われている。やまじ風地域では段丘崖下に強風をさけ古い集落が立地し、住宅の多くは瓦を漆くいで固め、屋根の周辺に石塊をのせている。最近では鉄筋コンクリート造りの建造物が増えている。
 近世の宇摩郡の領主は、はじめ小早川隆景(伊予一国三五万石)、ついで天正一五年(一五八七)福島正則(湯築城主一〇万石)などを経て、近世初頭には領主交代が繰り返されたのち、おおむね天領・西条藩領・今治藩領となる。他郡と比べて所領の交代が著しいのは、幕府が別子銅山の保護と薪炭の確保のためしばしば替地を行ったからである。
 明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法によって改めて宇摩郡が発足し、郡役所を川之江村においた。成立直前は愛媛県第八大区に属していた。近世末期の五一か村からなり、明治二二年(一八八九)の町村制実施に伴い川之江・二名・妻鳥・上分・金生・川滝・金田・三島・中曽根・中之庄・松柏・寒川・豊岡・富郷・金砂・津根・野田・小富士・満崎・土居・関川・別子山・新立・上山の二四村となる。昭和二九年には市町村合併が進み、川之江町・金生町・上分町の三町と妻鳥村・川滝村・金田村の三村が合併して川之江市となり、三島町・寒川町の二町と松柏村・豊岡村・富郷村・金砂村の四村とが合併して伊予三島市となり、新立村と上山村が合併して新宮村に、長津村・小富士村・天満村・蕪崎村・土居村・関川村の六村が合併して土居町となる。
 宇摩平野の東端に位置する川之江市は、古代の官道が伊予国府と土佐国に通じ、近世の土佐道・阿波道・金毘羅道の通過地でもあった。現在も国道一一号と一九二号が市内で接合する道路交通の結接点で、さらに計画中の徳島-大洲を結ぶ四国縦貫自動車道、高松-須崎を結ぶ四国横断自動車道が互いに川之江市で交差連絡することになっている。またJR予讃本線が走り、海上交通では新居浜-川之江-神戸を結ぶ航路が昭和四五年に開かれ、翌四六年には三島・川之江港は重要港湾に指定された。このように川之江市は陸海交通の結接点として重要な位置にある。
 宇摩平野の中央部に位置する伊予三島市は、明治三一年(一八九八)に宇摩郡役所が川之江町から三島町に移されてから宇摩郡の中心として発展をとげたところである。昭和二八年に銅山川流域に柳瀬ダムによる金砂湖が造成され、海岸埋め立て工事も進み、銅山川分水のおかけで大王製紙を中心とする一大製紙工業地帯が出現した。川之汀市とともに紙・パルプ・紙加工業の日本的な産地を形成している。なお、川之江市は全国屈指のちりめんいわし、煮干しいわしの生産地である。
 宇摩郡の西に新居浜市に接して純農村の土居町がある。東西約一〇km、南北一二㎞で総面積八六・六八平方㎞で、南には東赤石山を筆頭に、西赤石・ニッ岳・赤星山など西日本有数の高峰がそびえ、北には燧灘に面して広がる平野に八五の集落が点在している。主産業は農業で産○○○haにおよぶ広大な平野は肥沃で、米と野菜を産し、特にさといもは良質で阪神市場では有名である。養豚・養鶏も盛んである。山麓沿いには柑橘園が広がり、年産約六〇〇〇トンを産する。また「赤石五葉松」の特産地として知られ、国道一一号沿線には赤石五葉松の直売所も多く、赤石山脈に生育する高山植物は県指定の天然記念物が多い。四国縦貫自動車道のうち三島・川之江インター-土居インター間一一・一kmが四国で最初の高速道路として六〇年三月に開通した(写真5-1)。近年、工都新居浜市や伊予三島市から移転してくる工場や住宅を求めて転入する人があり、人口は漸次増加傾向にある。
 川之江市の面積は六九・〇五平方㎞で人口は三万八五三八人(昭和六〇年国勢調査)、伊予三島市は一八五・二六平方km、三万八六〇三人、土居町は八六・六八平方㎞、一万七五二八人である。