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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

三 新居浜市の都市機能

 産業別就業の状態

 新居浜市の昭和五五年の全就業者数は五万八三九一人である。四五年の就業者数に比べて、新居浜市と愛媛県はともに五○年に減少し五五年に増加の推移を示す(全国はともに増加)が、愛媛県が五五年において四五年の就業者数を上回ったのに対し、新居浜市の場合は四五年の数まで達しなかった。産業別構成比では、第一次産業比は四・二%と極端に低く、県の一八・四%の四分の一以下となっている(全国は一〇・九%)。全国、県ともに低下傾向をたどってきたが新居浜市の場合は特に著しかった。第二次産業は四一・四%で、県の三〇・六%(全国三三・六%)を一〇%余り上回っているが、全国、県では増加しているのに対して、新居浜市では四五年の四五・二%から、五〇年の四四・四%に減少している。これは製造業就業者の大幅減が響いたものである。全国と県では、製造業就業者が若干の減少あるいは変化なしであったのに対して、建設業就業者が大幅に増加したが、新居浜市では建設業でもそれほどは増えず、製造業の減少が一割近くにもなった。それでもなお製造業就業者の構成比約三〇%は県全体の一・五倍に当たる。第三次産業については五四・三%で、県の五〇・九%を上回っている(全国は五五・四%)。全国や県に比べると増加率は低いものの順調に伸びてきたといえよう。第三次産業内における業種別構成比では、公務のほかは県水準より高く、卸小売業、金融・保険・不動産業・サービス業は実数、比率ともに伸びている(表4-35)。

 事業所の状況

 新居浜市における昭和五六年の事業所数は六六九一社である。構成は第一次産業〇・二%、第二次産業一五・九%、第三次産業八三・九%で、第三次産業が圧倒的に多い。第一次・第二次産業の構成比は全国、県よりも小さい(第一次は全国〇・四%、県〇・六%、第二次は全国二二・〇%、県一八・五%)が、第三次産業のそれは全国の七七・六%、県の八〇・九%に比べて大きい。このことは前述の就業者数と合わせて、新居浜市における第二次産業の事業所が比較的大規模であること、第三次産業の事業所は比較的小規模であることをうかがわせる。
 新居浜市の従業者規模別の民営事業所数および従業者数の構成比では、四人以下の事業所が六九・六%を占めているが、従業者の比率では一七・五%にすぎない。一方三〇人以上の事業所は四・四%であるが、全従業者の半分を占めている。即ち少数の大規模な事業所が市の従事者の半数を抱えているといえる。
 第二次産業における業種別事業所では、建設業は四一年から四四年にかけて事業所一、従業者八八八の減少があったが、それ以後は事業所、従業者ともに増加した。一方、製造業における推移は激しく、四一年から四七年にかけて事業所は増えたものの従業者は二万五三六二人から一万八九七二人に減った。四七年から五〇年にかけて事業所は四一〇から四六三に増加し、従業者も二万〇四七一まで回復したが、五三年にかけて事業所四の減少に対して、従業者は三五四六人の減少である。五三年から五六年の間には事業所四の増加があったが、従業者の増加は三九五にすぎなかった。

 工業機能

 昭和五八年における新居浜市の製造業は、従業者規模四人以上の全事業所で、事業所数三三四、従業者数一万三五九〇人、製造品出荷額五一三一億六四一三万円である。それぞれ県全体の六・五%、一一・二%、一七・九%を占める。事業所数では松山市の八五八、今治市の七九三に比べてはるかに少ない。従業者数も松山市の二万二一一○人よりずっと少なく、今治市の一万四〇七〇人に次ぐが、出荷額では松山にほぼ肩を並べて県下第二位である(表4-36)。
 新居浜市の製造業を業種別にみると、重化学工業の占める割合が極めて高く、それも住友四社を含む非鉄、化学、機械の主要三業種の比重が高い。また、重化学工業の出荷額のうちでも素材型の非鉄、化学、金属、鉄鋼の比重が高く、新居浜市の製造業は素材型重化学工業偏重といえる。しかしながら非鉄の激減、化学の停滞ならびに機械の好転の傾向がみられ、素材型重化学工業の比重は徐々に減退し、加工型重工業の比重が高まってきている。
 新居浜市は、別子銅山の開坑に端を発し、銅、アルミニウム、ニッケル、肥料、機械製品を主とする製造工業が建設され、これらを基幹産業として中小の下請企業が相次いで生まれるに至り、近代的生産都市へと大きく成長したものである。したがって新居浜市の工業は、西部臨海工業地帯の金属、化学、機械、電力の大企業と、これらの大企業に関連した地場中小鉄工業によってその大部分が構成されている。そこでは、県外資本の比重が高く(五五年現在県外資本の事業所は一五、このうち従業者三〇〇人以上の大企業が四、同一〇〇から二九九人の事業所が二)、従業者数で全体の過半数を、出荷額等ではほぼ九〇%を占める。一方では、従業者二九人以下の小規模事業所が全体の八割を超え、更に同九九人以下の事業所までとれば、全体の九五%にも達する。
 高度成長期に素材型重化学工業を中心に発展してきたため、移輸出型産業が中核で、昭和四六年のニクソンショックと変動相場制への移行、世界不況、更に四八年のオイルショックの影響を全面的に受けた。とくに主要三業種の構造的な不況により、地域産業は厳しい状況に陥り、ファインケミカル化、ハイテク化へ転身を図ってきている。

 商業機能

 新居浜市における商店は、昭和五七年現在で三五三一店である。これは愛媛県下の総数四万〇一四三店の八・八%に当たり、四一年当時とあまり変わっていないが、四九・五一年の九・二%よりもやや減少している。従業者数の構成比についても同じように四九・五一年の九・七%をピークに減少した。従業者の実数も五一年の一万二一二四人に対して五四年一万一八〇二人、五七年一万〇九四四人と減少し、県全体に比べて減少幅が大きい。年間販売額の伸び率は県平均を下回り、その構成比は著しく低下した。これらは新居浜市商店の販売不振と規模の零細化を意味するものといってよい。
 新居浜市では商店総数三五三一店のうち卸売業の占める割合が一一・一%で、県全体の一二%を下回り、従業者数、販売額の構成比も小売業に比べて小さくなっている。小売業の一店当たり従業者が県平均よりも高いのに対して卸売業では県平均を下回るに至り、一店当たり販売額についても、小売業では県平均を上回っているが、卸売業の昭和五七年における実績はかなり低いものである(表4-37)。
 卸売業のうち、商店数、従業者数、年間販売額ともに大きな割合を占めるのは「機械器具」で、それぞれ二八・五%、三一%、二九・八%(昭和五七年)である。商店数、従業者でそれに次ぐのは「食料・飲料」(一六・五%二〇・一%)で、年間販売額での第二位は「鉱物・金属材料」(二一・三%)となっており「食料・飲料」は一八・八%である。これを県全体の販売額上位「農畜産物・水産物」二七・一%、「機械器具」一六・四%、「鉱物・金属材料」一三・〇%、「食料・飲料」一二・四%と比べると、新居浜市の特徴がよくうかがえる。
 小売業総数は二一四七店(昭和五七年)であり、これには各種商品小売業としての大型店舗六店が含まれている。商店数、従業者数においてウェイトの高いのは、「飲食料品」・「その他」・「織物・衣服・身のまわり品」・「家具・建具・じゅう器」の順で、県全体と同様の傾向である。年間販売額では、「その他の小売業」と「飲食料品小売業」がほぼ桔抗しており、両者で小売業全体の五七%、これに「各種商品小売業」を加えると全体の約四分の三を占める。
 第一種大規模小売店舗(売場面積一五〇〇㎡以上)五店のうち四店が百貨店および大型スーパーマーケットである。そのうち新居浜大丸は昭和二五年の開店であるが、他は新しく、南海新居浜店四三年、ニチイとフジはともに五一年の開店である。新居浜市には、この他に売場面積からすれば実質的に大規模小売店舗といえる住友化学生活協同組合(複数店)と新居浜市農業協同組合(複数店)があり、マーケットが多いことにも特色がある。







表4-35 新居浜市と愛媛県の産業分類別人口の推移

表4-35 新居浜市と愛媛県の産業分類別人口の推移


表4-36 新居浜市とその他県内11市の製造業の状況

表4-36 新居浜市とその他県内11市の製造業の状況


表4-37 卸・小売業からみた新居浜市の商業の地位

表4-37 卸・小売業からみた新居浜市の商業の地位