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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

三 新居浜市の水産業

 新居浜浦と大島浦

 『西条誌』(一八四二)の中では、浦と称されているのは新居浜浦と大島浦の二浦である。新居浜浦は領内第一の漁場であり、漁家二四〇軒と記録されている。地理的には、御代島を北にひかえて冬の北西の季節風を防ぐ位置にある。将軍家に献上するための鯛の子塩辛を製造する塩辛奉行が新居浜浦に設置されており、漁民には、塩辛製造のための鯛を漁獲するための特権が与えられていた。また藩内唯一の魚座も設けられており魚の販売斡旋、漁師への漁具・漁船の融資など漁師の保護厚生もはかられていた。鯛のほかに鰆・鱸などが多く漁獲され、鰆は塩を加えて大阪に積み出し、卵はからすみとして売り出された。鱸も生船で大阪に運送していたので新居浜浦は春から初冬にかけて、雑踏、盛況を呈していた。
 大島浦は港内の水深が深く、風待ち・潮待ちの船の寄港が多く、黒島と共に西条藩内第一の海運の盛んな港であった。三月から五月の鯛・鰆の漁期には紀伊・播磨・安芸・周防等の漁船が大島を根拠に、鰆のしばり網、鯛のごち網、一本釣に至るまで群をなしたという。海岸にはイケスが五〇〇も並び、魚は生船で大阪に運ばれた。大島は海運業も盛んで、いわゆる千石船が三五隻もあったといい、長崎・堺間はもちろん、西回りで蝦夷地松前からエトロフ・ウルップ島まで魚肥を積みに行き、往荷はサラサ・織物・綿糸などを運んでいた(『愛媛県新書』)。
 西条藩沢津組十か村のうち当浦一村が財力の七割を占め、残り九か村が三割にすぎなかったので、大島のことを他所からは金島と称し、当時の俗謡は次のように唄ったという。

 天満出てから仏崎見れば島が見えます金島が(『西条誌』)

 俵物として大島のなまこは寒川産よりも良質であった。『西海巡見志』(寛文七年-一六六七年)に記載されている燧灘東部の各村浦の漁船数をみても、朔目市新居浜五六、大島四八、黒島四一艘、次いで河野江(川之江)の二〇艘であり新居浜・大島の両浦が燧灘東部の漁業の中心であったことがうかがえる。また西条藩の漁業者の負担である水主役は、喜多浜(二)、明神木(三)、船屋(三)、新居浜(五六)、大島(五八)、天満(五)となっており、常備水主は、年によって多少の差はあったが、およそ一二七名程度であった。

 幕末・明治の漁業紛争

 燧灘の漁業は明治時代になると藩の統制による旧来の束縛がゆるみ、漁民・漁船数の増加と共に、各種新漁法の発達もあって、各漁村間、或いは漁村と農村間に漁場をめぐる紛争が頻発している。「新居浜漁業誌」(『郷土研究』昭和二~四年)は新居浜浦を中心とする幕末、明治の漁業紛争について詳しく記述している。

 ①正徳三年(一七一三)新居浜浦東須賀と中須賀の紛争。東須賀漁民は、従来の実例をあげて二番漁場(垣生村笘立崎より氷見村大江横洲まで)は以前より東須賀の専用漁場であると上申している。またその際大島浦・黒島の両所との漁場紛争が三十年前にあって、笘立より新須賀村の下迄が大島分の網代であると争われたが、その折に笘立崎までが東須賀の漁場と認められている。中須賀の漁師は一銭の運上銀も出さずに新規網を使用していると抗議し、それをやめさせている。
 ②元文元年(一七三六)西條北浜との悶着。新居浜浦より移住した北浜の漁民が、新規の漁業はしないとの契約をしておりながら、ねり網(繰網)という新漁具を使用したので、使用禁止を訴えた。一方専用網代をもたない北浜は網代の所有を願い出ており、藩もはっきりとした態度を示さなかったので争いが起こったものであり、北浜の繰網が新居浜漁民によって奪い取られている。
 ③天保六年(一八三五)大島・黒嶋と新居浜浦の紛議。大島、新居浜は西條藩最大の漁村であり、隣接していたので、漁場をめぐる紛争は頻発した。天保六年の紛争は大島の餌付漁業が新居浜の春網に支障があるから止めるようにと訴え出たものである。
 ④安政四年(一八五七)大島浦たもり漕網の禁止。大島の漁民がたもり磯(こしょうだい築磯)を設けて新居浜漁民の網漁業に障害があるので禁止を訴え、認められた。
 ⑤明治七年(一八七四)漁業慣行届出における新居浜・大島の葛藤。明治四年の廃藩置県の際の旧西條藩民事署の漁場入会の発令は各地の漁民を混乱に陥れた。大島・黒島と新居浜の間では、従来の慣行どおり境界を定めたのであるが、新居浜浦の漁民は境界を無視し、大島・黒島漁場に入会漁業をしたものである。新居浜漁民の言い分は西條北浜の漁民が備前・播州の者を雇入れ、もとの二番漁場に於て桝立網を使用したので、拒絶したところ旧西條藩民事署の入会たる旨発令があった。明治七年の第二大区会所の通達も役人のみの約束事で漁民は承知しないというものであった。紛争は明治九年になって解決をみている。一番漁場(東は宇摩郡天満村、西は新居郡垣生村笘立)は大島黒島漁場とし、新居浜浦の漁民が入漁するときは入漁料を出すことになった。入会漁業条約之証、漁場借区願書、営業慣行調査等「新居浜漁業誌」(『郷土研究第七号』)に詳しく記載されている。ちなみに一番漁場の漁獲金額は五年間の平均が一四三二円八〇銭で大島が六八五円、黒島が五二六円、入会漁業の新居浜浦が二二一円八〇銭となっている。
 ⑥明治二六年新居・周布・桑村三郡と越智郡との紛議。越智郡漁民が「旧今治領村海岸図」を県に提出し、三郡の越智郡沖合の交魚権を認めなかったので紛争が生じたが、県は周桑郡と越智郡の郡界を越智郡桜井村大字大崎鼻から香川県伊吹島を見通す線をもって分界と認め、同時に漁場をも区画し、燧漁場は越智郡の所属漁場とし、新居・周布・桑村の三郡は燧漁場に入会営業権があることを認められた(明治二八年)。
 
 明治時代の燧灘における漁業紛争は、多数の藩や天領が交錯している地域の性質から、紛争が複雑なものとなったが、明治三五年の専用漁業権は従来の旧慣行を中心に許可をひろげてゆくやり方を示したので、各地では先を競って網代専用漁業権の取得がはかられた。

 水産業の現況

 現在の漁業経営は刺網漁業が一番多く次いで小型底曳網漁業となっている(表4-6)。共同漁業権区域内で行われる刺網は、船も小型であり遠浅海岸の卓越する地域で盛んに営まれ、魚種は砂中に生息するひらめやくるまえび、がざみである。垣生南地区では一七経営体のうち一六経営体が刺網を営んだことになる。小型底曳網漁業は、燧灘を代表する許可漁業であるが、当地区においては新居浜漁協が最も多い。新居浜市全体の漁船数六九四隻(昭和五八年)のうち3トン未満が四七六隻二(六八・六%)を占め、3~5トンの一九九隻を合わせると全体の九七・三%となり、内海漁業の零細性を示している。経営体は漁業就業者の老齢化と後継者不足により、漸減傾向にある。なかでものり養殖は昨今ののり価格の低迷から、経営が悪化し、経営体右減少した。
 昭和六〇年の漁獲金額をみると、小型底びき網によるものが五億二六〇〇万円(四七・七%)、刺網によるもの一一億二四〇〇万円(三五・一%)となっており、この二業種で全体の八二・八%を占めている(表4-7)。大島の船びき網は漁獲量は一〇〇〇トンを超えるが、漁獲物は、かたくちいわしであり漁獲金額は少なく、地元の加工にまわされる。昭和六〇年の魚種別漁獲量では、さわら八億五一〇〇万円が最も多く、2位がえび類三億七四〇〇万円、3位がひらめ一億九五〇〇万円となっている。当地区では、漁獲量、漁獲金額とも減少傾向にある。
 垣生地区の遠浅海岸を中心に、漁場の有効利用と水産資源の繁殖拡大をめざした種苗中間育成・放流事業が各漁業協同組合主体で実施されている (表4-8)。

 沢津漁港の整備と漁民団地の形成

 新居浜市の東須賀・中須賀地区を中心とした漁業は、従来の新居浜港が別子銅山の運搬港として整備され、かつ住友金属や住友化学の工場が群立する工業地区となって、諸問題を表面化させた。①一般船舶の増加によるけい船岸・泊地の不足、②港湾利用船泊の大型化による危険度の増加、③港湾内の海水の汚染による魚価の低下、①工業都市化による漁具置場・加工場用地の不足、⑤公害による生活環境の悪化等である。これらの問題の解決をはかるために、生産と生活が一体化した新漁港の建設が計画され、漁民と漁船の集団移転がすすめられた。昭和四一年度より実施されている「沢津漁港改修事業」である。事業着手以来二十数年が経過し、外郭施設、漁民団地の形成、上下水道設備、製氷施設、活魚施設などが順次整備された(図4-6)。
 沿岸漁業根拠地として必要な流通・加工の機能施設として、まず荷さばき所が中心に設置され、けい船岸に並列しその他の機能施設が設置された。背後の漁民団地との間には幹線道路(幅一五m、長さ四六〇m)が配置された。漁民団地は沢津地区の海浜部が埋め立てられ、漁民に配当されたものである。
 当初の計画では漁民団地は高津・中須賀・大江・東須賀の四部落の漁業世帯(昭和四一年当時、一八〇世帯)の入植を計画した。国が考えた漁民団地一戸分の区画は四○坪であったが、漁民の希望もあって一区画六〇坪(二〇〇平方m)の住宅用地が造成された。昭和五八年三月希望者一四三戸分の抽選が行われ、昭和六七年年四月二四日までの期限つきで漁民団地の移転がすすめられた。昭和六二年八月現在、六一戸が新築入居をすませている。しかし、大江・東須賀地区には旧漁港の施設もあり、新築の家を旧地区に構えたりして、新港と旧港の二重生活を強いられている世帯も多く、移転の動きはやや鈍い。
 しかし、これらの施策、対応は、新居浜市の水産業発展に大きな効果を与えている。






表4-6 営んだ漁業種類別経営体数

表4-6 営んだ漁業種類別経営体数


表4-7 新居浜市における漁業種類別漁獲量・漁獲金額の推移

表4-7 新居浜市における漁業種類別漁獲量・漁獲金額の推移


表4-8 新居浜市における種苗放流事業

表4-8 新居浜市における種苗放流事業


図4-6 第7次漁港整備長期計画沢津漁港改修事業計画平面図

図4-6 第7次漁港整備長期計画沢津漁港改修事業計画平面図