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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

第一節 概説

 西条市は東予地方の中央部に位置し、北部は燧灘に面する西条平野、南部は高知県境に接する石鎚山脈の山岳地帯である。西条平野は西隣の周桑平野につらなり、周桑郡小松町・同丹原町及び東予市に広がる道前平野を形成している。南部の石鎚山脈はほぼ東西にのびる断層山地で、西日本最高峰の石鎚山(標高一九八二m)をはじめ、瓶ヶ森(同一八九七m)や笹ヶ峰(同一八六〇m)など県内有数の高山がそびえている。
 江戸時代には寛永一三年(一六三六)に西条藩三万石がおかれ、はじめ一柳氏、のち松平氏が入封した。一柳直重は当時の神拝村の中央部に陣屋を築き、周囲に武家屋敷を建設した。また陣屋の東に町人屋敷をつくり陣屋町の基礎を築いた。陣屋を中心とするこれらの武家屋敷や陣屋町が明治二二年(一八八九)に西条町となり、のち昭和一六年に周辺の町村を合併して西条市となった。陣屋町からおこった東町や紺屋町は今日も西条市の中心商店街を形成しているが、本町・大師町などは商店街周辺の住宅地域になっている。
 西条市の中心商店街は紺屋町から南にのびて栄町商店街を形成し、東町のあおいロードと共にアーケード街になっている。この中心商店街周辺からJR西条駅にかけては人家が集中して西条市の核心地域をなしているが、道路の整備や駐車場の確保などが今後の課題である。
 堀に囲まれた陣屋跡は大手門前の堀の石垣などに当時の姿が残っており市指定史跡である。この陣屋跡は県立西条高等学校や市立郷土博物館などになっている。陣屋を中心とする地域は明屋敷とよばれ、松巷・八千代巷など武家屋敷に由来する地名が残っている。
 市街地が発達した西条平野は、市内中心部を流れる加茂川をはじめ、東部の渦井川・室川、西部の中山川などの諸河川による沖積平野である。遠浅の燧灘に面した船屋・禎瑞・氷見などには、江戸時代以降に開かれた干拓地が広く分布する。特に安永七年(一七七八)から五か年かけて築いたという禎瑞新田は、東西七三〇間、南北一四七○間で、三〇〇町歩に及ぶ大新田として知られている。
 肥沃な沖積平野や干拓地に恵まれた西条市の田の面積は二二五〇ha(昭和六〇年)で松山市に次いで多く、水稲収穫量も九六八〇トン(同年)で県内第二位を占める。また西条市の畑作は、普通畑の面積では県内第五位であるが、ほうれんそうは国の産地指定をうけた特産野菜で、神戸地区を中心に栽培されている。
 加茂川流域の荒川・千町地区では棚田や高冷地野菜の栽培がみられ、さらに南の山岳地帯は藩政時代から発達した加茂川林業の地として知られる。西条市の森林面積は一万六五三八ha(一九八〇年農林業センサス)で大洲市に次いで広く、経営形態別では国有林の比率が高いのが特色である。加茂・大保木地区で伐採された木材は、かつては筏を組んで加茂川を利用して搬出していた。
 西条市は加茂川水系の豊かな伏流水に恵まれ、打抜きとよぶ自噴水として利用している。また良質の地下水を利用して藩政時代から藩営の製紙業が神拝地区におこり、その伝統は現在も近代的製紙業にうけつがれている。
 西条市の近代工業は昭和一一年に操業を開始した倉敷絹織㈱西条工場(現クラレ西条工場)に始まる。同工場は昭和九年に着工した西条港の改修工事によって造成された工業用地に進出したもので、西条市の臨海工業地帯のさきがけとなった。昭和三八年には市域が東予新産業都市に指定され、四五年には加茂川に黒瀬ダムが完成して工業用水の確保がはかられた。さらに五〇年からは船屋から朔日市に至る海岸を埋め立てて工業用地の造成をすすめ、五五年三月に完成した二号造成地の西ひうち地区には、三菱電機西条工場のIC工場や四国電力太陽光発電所などの諸企業が進出している。
 西条市の近代工業はこうした臨海工業地帯を中核とするが、松下寿電子工業のように国道一一号沿線に立地した企業もみられる。西条市内の幹線道路は同国道のほか、昭和五三年に主要地方道壬生川新居浜野田線バイパスが一部東予有料道路として開通した。また高知市と結ぶ国道一九四号の整備も進められており、四国縦貫自動車道の土居――西条間の用地買収が六一年度から始まった。
 西条市は石鎚登山の表玄関として知られ、特に昭和四六年に石鎚登山ロープウェイが開通すると、下谷駅のある西之川は新しい登山基地として発展した。これに対し、河口から成就に至る古い登山道の今宮道・黒川道は、登山客の流れが変わったため衰退し、お山市の旅人宿としてにぎおってきた今宮・黒川の両集落も今では過疎化が進行している。ロープウェイの頂上駅周辺は石鎚ピクニック園として開発が進み、近年はスキー場が整備されて多くのスキー客が訪れるようになった。成就社の社殿や境内の旅館・土産物店は五五年一一月の火災でほとんど消失し、その後再建されたものである。また笹ケ峰の開発計画や新寒風山トンネルの建設などで山岳地域は大きく変貌しつっある。
 西条祭りは新居浜祭りと共に東予地方の二大秋祭りとして知られ、西条市の重要な観光資源となっている。西条祭りは西部の石岡神社、東部の飯積神社の秋祭りを含むが、中心は伊曽乃神社の大祭で、加茂川の川原でくり広げられる川渡りの行事には市内外から多くの見物客が訪れる。
 藩政時代の陣屋町からおこった西条市は、政治的には古くから東予の中心都市の役割をはたしてきたが、工業生産では他の都市に遅れることもあった。しかし近年は臨海工業地帯の拡充が進み、また六〇年には打抜きの水が環境庁による名水百選に選ばれるなど、豊かな自然との調和のとれた発展が期待される地域である。