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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

第五節 観光

 概要

 昭和六三年の瀬戸大橋(児島―坂出)の完成によって四国の交通内容は大きく変化するといわれる。更に現在着工中の瀬戸内海大橋(尾道―今治)、明石大橋(明石―鳴戸)や四国縦断自動車道(徳島―大洲)、四国横断自動車道(高松―須崎)も一〇~一五年後には完成が確実視される。そうなると四国は空前の交通革命時代が到来する。そしてこれに伴って観光、コンベンション、イベント等で「四国に人が集まる」現象が必然的におこってくる。観光ルートにしても「環瀬戸内海大橋めぐりルート」や「四国・九州直通ルート」等が設定されるようになろう。幸いにこれらのルートに沿う周桑地区としては先見的観光、レクリェーション対策が必要である(図2―47)。
 観光、レクリェーション活動の対象としてはその広がりとして、点、線、ゾーンが考えられるが、人の吸収力や、多目的性、観光産業等の見地からゾーンとしての充実が望まれる。周桑地区ではそのゾーンとしては、(一)東予国民休暇村を拠点とし、東予市海岸及び周辺の自然、史跡、遺跡群、(ニ)石鎚山、成就社を拠点とする山岳、渓谷、山村群が設定され、それを中心に豊富な観光資源としての温泉、史跡・遺跡、天然記念物、寺社、無形文化財への二次的広がりが期待されるものである。

 国民休暇村と東予市の観光

 東予国民休暇村は昭和四〇年に四国で最初に設置されたもので、「ひうちなだ荘」は収容宿泊人員一三〇名で年間約一万七〇〇〇人が利用している。高台からの道前平野、燧灘、臨海工場群、そして石鎚連峰を一望できる大パノラマは圧巻である。マリーンフェスティバルの水上スキーや海水浴、蛇池のさぎ草、湿地植物群落(県指定天然記念物)、ひうちなだ園のボタン植栽、世田薬師から世田山城跡にかけての遊歩道、カブトガエ標本室見学、大崎海岸キャンプ、今治市でのタオル人形造りや石風呂入浴等多目的活動のできる観光、レジャーゾーンである(写真2―37)。
 その他の主要観光対象としては次のようなものがある。

 カブトガニ

 節足動物剣尾類に属し「生きた化石」といわれる。かつては瀬戸内海一帯に多数生息したが、今は笠岡市の保護センターと、東予市海岸にみられるだけである。県天然記念物に指定され、東予市今在家には研究家篠原栄吉の個人標本室がある。今後の保護対策が急務である。カブトガニにちなんだ「かぶとかに餅」の銘菓がある。

 永納山遺跡

 休暇村に近い医王山(一〇〇m)永納山(一三〇m) 一帯の山腹や尾根に分布する土塁をともなった古代列石群で、昭和五二年に発見された。附近には古墳や縄文、弥生土器の出土もあり、七、八世紀の山城遺跡もある。山城遺跡については築造時期や性格について、朝鮮式山城戦争用でない列石等諸説があり、今後の解明、整備が待たれる。

 観念寺文書

 観念寺は上市の「象ケ森」にあり、延応二年(一二四〇)建立されたもので、越智一族や松山藩主久松氏の保護が厚かった名刹である。文書は一一一通あり、鎌倉・江戸期にかけてのもので、特に足利尊氏の禁制状は有名であり、県指定文化財となっている。そのほか徳蔵寺・金性寺・長福寺の県指定文化財や市指定の文化財も多い。

 丹原町の観光

 中山川渓谷・鞍瀬川渓谷の渓谷美と国指定文化財の西山興隆寺が中心であり、また民俗行事もよく保存されている。

 中山川渓谷

 周桑平野第一の河川である中山川が石鎚山地を浸食するあたりに渓谷がよく発達し、水泳やキャンプにおとずれる観光客も多くなり、旧金毘羅街道を探るのも興趣がある。湯谷口附近の河床に中央構造線があらわれ衝上断層がみられ自然観察の良い教材である。来見附近には庄屋の越智喜三左衛門が岩盤を掘削して造った「劈巌透水」と呼ばれている用水路があり、湯谷口の地名のとおり昭和三九年に出泉した道前渓温泉がある。これらの観光資源は今後の開発整備がより期待される。

 鞍瀬渓谷

 中山川支流で、堂ケ森(一六八九m)から発する鞍瀬川の渓谷で規模は大きくないが、ハイキングコースに適しており、夏はキャンプや水泳に訪れる客もみられるようになった。上流には「夫婦滝」があり、保井野の放牧場もある。バスは明河までの便があり、日帰りのハイキングコースとして休憩所、郷土料理、渓流釣など観光開発がのぞまれる(写真2―38)。

 西山興隆寺

 丹原町古田にある七世期中期の報恩大師開基とされ源頼朝による再興が伝えられる。高縄山系の約二五〇m付近に広い寺領があり、うっそうたる杉の樹林に囲まれた静寂そのものの雰囲気である、古くから修験道場として有名であるがハイキングコースに適した市民憩の場にふさわしい景勝地である。国指定重要文化財として和様唐様折衷様式の本堂、弘安九年(一二八六)銘の銅鐘、高さ三m余の宝篋印塔があり、また県指定文化財として興隆寺文書その他の文化財は宝物館に収められている。予約すれば寺伝の精進料理も味わうことができ、研修会にもよく利用されている(写真2-39)。
 その他として紅葉の興隆寺と共に古い開基の大寺で「桜観音」と呼ばれる久妙寺、庶民信仰で知られる生木地蔵、県指定無形文化財の雨乞踊りの「お簾踊り」等が有名である。

 小松町の観光

 西日本の最高峰であり、古くからの霊山信仰で有名な石鎚山を中心に信仰、修験、登山、レクリェーション等の山岳活動が主体であり、他に四国霊場八十八か所霊場札所の名刹や、小松藩のゆかりにちなんだ観光対象がある。

 石鎚山と登山道

 白凰一四年(六八五)修験道役小角の開山は伝承としても、八~九世紀には石鎚信仰と修験登山があったのは確実であり、その基地は今も昔も標高一四〇〇mにある「成就社」であった。その山容のパノラマ的雄大さは東予からの景観が第一であり、それ故にも東予の豪族河野・村上、藩政時代の西条松平、小松一柳の信仰、寄進が手厚かった。それらにかかわる石鎚登山道にはどのようなコースがあるか。表登山道は小松藩士屋敷に接するお山道から岡村―横峰寺(石鎚神社別当寺を称す)―モエ坂―虎杖―河口を通り、黒川道を通って成就社に至るものと、西条からは加茂川沿に兎の山―黒瀬峠―中奥を通って河口に出て今宮道を通って成就社に至るコースがあった。『小松藩会所日記』には安政四年(一八五七)およそ一万二五〇人の登山者があったと記されており、明治時代には黒川口・今宮口には五五軒の旅人宿があったといわれる。この外に小松町大頭―途中之川―郷―河口や、大郷―湯浪―横峰寺―河口のコースもあった。
 大正一四年(一九二五)年に小松―河口間のバス路が開通すると河口泊りの客もあったが、一気に成就社まで登る客がふえ、また昭和四三年に西之川(下谷)から成就社まで高度差約八五〇mを約七分で結ぶロープウェイが完成するとそれが主コースとなり、日帰り客も多く石鎚登山も様がわりした。現在の宿泊所は成就社に白石・玉屋・日の出の三軒(約五〇〇名)(写真2―40)ロープウェイ麓の京屋(約一〇〇石)頂上の白石小屋(約五〇名)に限られ、松山方面からの石鎚スカイラインコースの登山者もほとんど日帰りである。かつての徒歩登山道脇の山村のたたずまいもさま変わりし、成就社にはミニスキー場ができ、人工雪が運ばれる時代となった(図1―1参照)(表2―39)。

 寺・史跡

 法安寺は小松町北川にあって、県内最古の寺院跡があり国指定史跡となっている。法隆寺とほとんど同期の建立と伝えられ、大規模な七堂伽藍の礎石がある。春は「千本ぼたん」でにぎわう。
 横峰寺は約七〇〇mの高所にあり四国霊場では参詣に最大の難所といわれる。石鎚山の別当寺であったことがあり、六〇番の札所であり、石鎚山の西遥拝所でもある。本尊大日如来坐像は県有形文化財に指定されている。宿泊はできない。
 香園寺は南川にあり、四国霊場六一番の札所である。聖徳太子建立の寺伝があり、弘法大師の故事にあやかって安産に霊験があるとされ「子安講」の信者が多い。宿泊施設はよくととのっている。
 仏具の「孔雀文磐」が県文化財となっている。仏具の「孔雀文磐」がある六二番札所の宝寿寺や大頭・舟山・大日裏山の古墳群、小松藩陣屋跡など小松藩にかかわる遺跡があり朱子学者で有名な近藤篤山邸は子孫の近藤春邦がよく保全している。多くの文化財のある町で古文書や出土品は小松町温芳図書館に完全に保管されている。

 とんかかさん

 周桑郡には太鼓の音に合わせた扇を持つ手踊りが各地に残され、旧暦の七月一七日を中心に盆踊りとして三〇〇年の伝統を持つといわれる。この踊りには二種類あり、「トソカカさん」(しんがい節)と「カツツリドン」(しち節)と呼ばれる。太鼓の音律でその名がつけられたものであり、節名は各種のあて字がある。天正一三年(一五八五)の小早川勢との野々市原の決戦で敗れた東予勢を悼んで発生したといわれ、宇摩~周桑郡一帯に類似のものがある。歌詩は叙事詩であることが多く、小松では藩公の参勤道中歌に転化している。その歌詩は次のようである。

 (1) 此れは小松の御殿様が
      (囃子)ソレサアモヤントセ
       参勤交代でお旅だち
         (囃子)ソリヤヨォイヨォイヤアントセ
 (2) さらば御出発か江戸へのおたち
       殿はおかごか玉の越
 (3) 御供は小団平か大団平か
       槍の田岡は日本一
 (4) 四方の景色をうしろにながめ
       三保の小浜を船出する
 (5) むかしながらに船頭と水夫が
       唄ふ船唄ゆたか丸
 (6) 御船ゆたかに多度津の沖で
       向ふは牛窓下津井か
 (7) 七里渡しの熱田の宮へ
       木曽の川舟よい月夜
 (8) 箱根越する紫房の
       槍は小松の一旨流
 (9) 今年参府で二月からは
       殿はあたごの上御殿

図2-47 瀬戸内海沿岸の主要観光都市の観光客と主要交通路

図2-47 瀬戸内海沿岸の主要観光都市の観光客と主要交通路


表2-39 石鎚登山ロープウェイの利用者数

表2-39 石鎚登山ロープウェイの利用者数