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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

一 東予市の繊維・化学工業

 周桑平野の工業の構造

 壬生川町・三芳町の合併した東予市を含めて、周桑平野は従来本県の代表的穀倉であったが、昭和三九年に新産業都市の指定を受けて工業化が進んだ。特に四八年以後、住友重機械工業、住友アルミニウム製錬の東予市進出によって工業出荷額は急増した。図2―17は、この一〇年間の工業生産の伸びを周桑平野の市町別にみたものである。これによると、全般に本地域の工業の停滞が読みとれるが、特に東予市が著しい。図2―18のように住友二社の立地当初は飛躍的に伸びた。四七年には工業出荷額が一四一億円であったものが、五〇年には二九九億円と三年間で二倍以上に、更に五二年には七三一億円と二年で二・四倍と急増した。この間、東予市の中心であった化学(フジボウなどの化学繊維)に代わって非鉄金属、機械の比重が大半を占めるに至った。しかし第二次石油危機と円高による構造不況による、住友アルミの全面撤退と住友重機械工業の大規模合理化により、第二次産業の核を失った。
 小松町は工業出荷額が伸びているが、中心の食糧品は四国コカ・コーラボトリング㈱小松工場が営業部門の西条市への移転で従業員は減少している。他は縫製下請けが増加しているが、業績は不振である。
 丹原町の工業出荷額も伸び率は大きい。機械、鉄鋼、衣服が中心で、電機の従業員も増えている。寺町鉄工と愛媛鋳物工業団地の立地が注目される。

 工業化の原点フジボウ

 フジボウ愛媛㈱は、昭和九年に旧壬生川町から敷地の提供を受けて、レーヨンステープルの製造をはじめた明正レーヨン㈱壬生川工場がその前身である。一六年に富士紡績㈱に合併されたが、合理化のため五二年に分離独立し、富士紡績の一〇〇%出資(資本金二〇億円)による子会社として再出発した。従業員は二九年には、約一二〇〇名もいたものが、分離独立時には五〇〇名、六二年には三〇〇名に減少した。しかし生産額は合理化によってピーク時より多く、年間約一四〇億円である。主要製品は、アウターファッションや衛生綿などに使うポリノジックスと呼ばれる改良スフで、倉レ㈱などの生産からの撤退により、国内にあまり競争相手がなくなり、輸出が多い。
 また、ベルトコンベヤーなど主に工業用やインテリアに適したレーヨンステーブル(普通スフ)も国内のみならず輸出も多い。さらに、最近は不織布に合成樹脂を含浸した合成皮革用基材やポリウレタン合成皮革にも進出し、輸出も行っている。また、レーヨン製造工程で出る含水芒硝を回収して中性無水化した中性無水芒硝は、洗剤用、染色助剤用として出荷している。
 原料としてのパルプはアラスカパルプからの輸入が中心で、製品の輸出も含めて神戸税関を経由する。また、一部の国内産パルプや二硫化炭素(柳井化学・山口)や苛性ソーダ(旭化成・宮崎及び東洋ソーダ・山口)の輸送にも瀬戸内海中部に立地する条件が十分に生かされている。
 現在、従業員は前述の本社三〇〇名以外に、建設、鉄工など保守部門を中心に約二〇社、一二〇名前後の関連部門がある。本社従業員は九五%が地元、東予市であり、高齢化したとはいえ、住友系二社の縮少、撤退した現在、再び本地域における工業の中核的存在となっている。

 今治繊維工業の進出

 昭和三五年ころから土地、水、労働力を求めて、主に今治から繊維、被服などの地場企業の進出がみられるようになった。その代表的な例が東予市三芳に進出した泉川衣料である・同社は繊維から発展した大手商社系の縫製業者で、今治を本拠としていたが、新規展開の中で労働力を求めて三〇年に他社に先駆けて、国道一九六号とJR三芳駅に近い立地条件に恵まれた現在地に進出した。従業員は現在二〇名余で、東予市内や今治に下請けをもって、輸出中心にブラウスなどを生産しているが、立地当初の労働力のメリットは高齢化、兼業化の進行で低下している。現在、東予市をはじめ周桑平野には縫製、タオルなど繊維、衣服分類の工場が表2―23のごとく約三〇社あるが、若干の地元資本を除いて大部分が今治と何らかの結びつきをもったものである。縫製は輸出縫製と国内縫製の両方がみられる。
 東予市は農家戸数二六〇〇戸の内、約六五%が第二種兼業で、若年労働力は今治や西条・新居浜に出て働く場合が多く、市内に残る労働力は農閑期中心に季節差の大きい高年齢層中心である。従って繊維関係の立地は、従業員三〇人以下の下請け小企業が過半を占めている(表2―23参照)。異なったケースでは、東予市国安に昭和三六年に進出した四国繊工㈱の場合がある。同社は今治のタオル資本と大阪の綿糸問屋の出資で立地したものである。国安は和紙の産地で知られているように、大明神川の扇状地の扇端で豊富な伏流水に注目し、一日二〇〇〇トン以上の地下水を利用してタオル原糸の染めさらし加工を行っている。県内には今治などに同業者が数社ある。国安に立地を決めたのは、用水以外に経営者と地元との人的関係もあるといわれ、中小企業立地の一つの類型である。
 次に、住友化学と関係の深いオカロン(旧岡本化学)やサン化学工業のようなプラスチックの加工や部品組み立て、射出成型も四〇年代から五〇年代初期に立地した。そのほか、大阪から小松町に進出した紙加工の大阪紙工など、中堅クラスの加工型工業の進出が高度成長期前後に多くみられた。

図2-17 周桑平野の工業の伸び

図2-17 周桑平野の工業の伸び


図2-18 東予市の工業生産の変化

図2-18 東予市の工業生産の変化


表2-23 周桑平野の繊維工業

表2-23 周桑平野の繊維工業