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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 地位と流通

 地場産業の地位

 地場産業は、県内の工業のなかでどのような地位を占めているのであろうか。さきの愛媛県による地場産業実態調査によると、昭和五三年の県内の製造業の事業所数七三五一のうち、地場産業は二八五二を数え、全体の三九%を占めている。同じく従業者数でも一二万四五九一人のうちの五万四八二一人で四四%、また製品出荷額では一兆九五七四億円のうち六八一三億円で三五%を占めている(昭和五三年)。地場産業はおおよそ県内工業の四割前後を占めるという極めて重要な地位にあるといってよい。
 しかも、地場産業は食品、繊維、縫製などをはじめ圧倒的に労働集約的生産による業種が多いことと、従業者による規模でも中小企業が主である。これは、県内の工業が従業者三〇〇人以上の大企業によって、製品出荷額などの総額の四七%、およそ半分近くが占められていることからすると、中小企業に占める地場産業の比重はきわめて高い。従業員規模でみると、地場産業の三分の二は二〇人以下の小企業によって占められている。
 業種別に製品出荷額などで地場産業の占める割合が県平均を上回っているのは、造船の九八%を最高に、パルプ・紙、衣服などが九〇%以上である。ついで繊維七三%、家具五三%、一般機械五〇%、鉄鋼三七%、食品三三%などで、窯業の二一%や木材〇・四%は著しく低い(五三年)。

 原料と製品の流通

 地場産業は、その立地において地理的環境や経済社会の諸条件が地域と密着していることが特徴である。しかし、製品の多様化や高級化など技術の向上、機械の導入による大量生産、交通の発達による販路の拡大などによって、原料の供給と製品市場は必ずしも地域に限定されることなく広がってきた。特産品の生産は、良質の水とか、熟練した技術をもつ従業員が多いとかのごく限られた条件のもとで営まれるようになった。とくに、原料や製品の流通に役割を果たしている問屋(卸売業)や商社が、地場産業の発達に大きな影響を与えるようになってきた。
 それぞれの業種によって、立地条件が異なるように、原料や製品の流通が生産に及ぼす影響も違っている。県内の地場産業のなかで、原料を地元に依存して成りたっているのは、大島石による石材業、瀬戸内海の魚を原料とした珍味加工、あるいは松山市の竹細工の原料としての孟宗竹、八幡浜市や宇和島市などの水産練製品の鮮魚などにおける県産原料の割合は高い。それでも、珍味加工では中国や韓国からの輸入原料が増加しつつあるし、水産練製品でも中級品以下では県外からのすけそうだらの冷凍すり身の割合が高くなっている。川之江市や東予市・五十崎町・野村町などで生産される手すき和紙でも、原料に木材パルプを使うのは伊予和紙とよばれる川之江市の和紙生産で、そのほかでは原料の三椏や楮の県外依存度は高い。ましてや県内の清酒生産では、愛媛県産の米は一粒も酒造米として使われていない。タオルや衣服、伊予かすりなどの繊維製品では、綿糸をはじめ化合繊の織物など、ほとんど全部が県外産といってよい。
 製品の販路では、鮮度が要求される水産練製品のかまぼこやちくわなどは県内を主としているが、同じ水産食品でも乾燥された削りぶしや珍味加工品では、消費市場の大きな県外へ販路が拡大されている。これに対して、製品の重量が重く、伝統をもちつづけている和風建築の多い県内市場には菊間町や北条市の瓦が圧倒的に多い。地場産業が全国的に有名になって行くことは、もともと地域だけを市場にしていたものが、その製品の優秀さと安い価格によって、市場を広げた結果である。
 原料や製品の市場が広がることは、いきおい問屋や商社など流通業との関係が強くなってきたことを意味する。伊予三島市が卸売業の販売額で松山・今治・新居浜の各市についで多いのは、製紙業と結びついた産地問屋の活動が盛んであることによる。いっぽう今治市を主としたタオル生産では、原糸の供給やデザインの選定などに商社や問屋に依存したものが多く、問屋制工業といってよいほどである。企業の経営規模が小さければ、製品開発や市場開拓までは進出できないので、いきおい問屋や商社からの注文生産という形をとることとなる。このようなタオル業界にあって、生産と販売をはじめて自社で統合したのが近藤繊維で、このような垂直統合の例はめずらしい。また、タオル販売は、これまでの目方売りを改めて昭和五五年から枚売りに転換したことは、製品流通の近代化につとめたものであった。
 伊予かすりは、かつて戦前に久留米、備後とならぶ三大かすりとよばれたことがあった。しかし、これが衰退した理由の一つに、松山市に問屋が少なく製品開発と販路拡大に十分その役割を果たせなかったことがあげられる。