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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

5 石材

 石材生産
      
 石材とは、経済的価値を有し、加工して主として土木および建築用に使用することのできる岩石をいう。建築用としては家屋の土台石・壁体・階段・屋根の代用品や庭園の敷石・石塀・門柱・玉垣・鳥居など家屋の付属物として、あるいは墓碑・記念碑などの台座などに用いられる。土木用骨材としては、道路・橋梁などの基礎・護岸・邸宅の外周などの石積み・軌道面・道路面・築港の敷石などの各種の土木工事に使用されるほか、築港用埋め立てに使用する捨て石などにまで用いられている。
 四国地方の昭和四六年の採石事業所数は七四五で、このうち花崗岩を採石の目的とする事業所が最も多くて四二四(五七%)ある。そのうち、県内には二〇一事業所あり、最も多いのはやはり花崗岩の採石事業所で八四(四二%)、ついで砂岩四七(二三%)、安山岩三一(一五%)となっている(表5-3)。

 大島石

 愛媛県の花崗岩は、越智郡の宮窪町・吉海町・弓削町などで黒雲母花崗岩が採石されている(図5-9)。それらは、大島みかげ・宮窪みかげ・余所国みかげ・弓削みかげなどとよばれている。大島石の開発の歴史は古く、藤堂高虎の今治城築城(一五八五年)に使用されたと伝えられているが、企業化しはじめたのは明治初期といわれている。
 産出地は宮窪町の宮窪一九、余所国一八、吉海町泊六、早川五、福田三、八幡二、幸新田、田ノ浦各一の合計五五事業所からである。生産量は、五六年の推計では三万五八〇〇トンといわれ、生産額は原石採掘で約三〇億円、一〇事業所を数える加工を加えると約四〇億円に達する。大島石は、青みかげとよばれる花崗岩で、その特徴は、硬い・きめが細かい・変色しない・光沢が落ちないなどの石材の優秀性をすべて備えている。このため、切出産出量の八割から九割は墓石用材として使われている。
 採石技術の面では、ノミとハンマーの手掘り時代が昭和二〇年代まで続き、三〇年の削岩機導入で機械掘り時代が始まった。四二年にはジェットバーナー(切削機)が導入され、さらにバックホーやブルドーザーなどの重機械が導入され、採石・運搬面での画期的な技術革新をなして生産量はその都度上昇した。加えて、三八年のフェリーの開通、五一年の農免道路の開通などにより、大型トラックにより丁場から各地の加工場まで直接搬送が可能になったことも重要な条件整備であった。
 現在のところ、地元業者によって加工されている割合は約二〇%といわれ、残りは香川県の庵治、岡山県の北木などに原石のまま送られ、そこで加工されて京阪神市場に販売されている。採石と加工を兼ねた業者が四、加工専門業者が六と増加の傾向にはあるが、廃土石処理問題、資源枯渇問題などとともに加工比率の低い点は重要な課題である(写真5-5)。

 その他の石材

 砂岩では、新白亜紀の南予層群の砂岩が宇和島市近辺の宇和島石・来石・九島石・松野町の松丸石・吉田町の吉田石として、その地域の石垣・墓石・敷石などの需要をまかなっている。
 火山岩類のうち安山岩では、双海町(上灘石・下灘石)・砥部町・広田村・久万町(久万石)・内子町のものが知られている。いずれも上部白亜紀の地層を貫いた黒雲母安山岩で、岩質はやや粗粒であるが、柱状節理がきわめてよく発達しているため、これを利用して大材が得られ、墓石や細工石などに利用されている。また、砥部町周辺の安山岩は、一部陶石化作用をこうむっており陶石として採掘されていることはすでに述べた。
 閃緑岩は、高縄半島中部から松山市北部にかけて広く分布し、玉川町や松山市北方で、昭和四五年には年産二○万トン程度の生産があり、砕石に利用されている。蛇紋岩は、砕石・割栗石用として宇摩郡の赤石山周辺から別子鉱山地域、西条市の黒瀬付近で約一〇万トンの生産があった。また、橄攬岩は、東赤石山系および別子山村芋野で鋳物砂および耐火原料用として採石されている。

表5-3 四国地方の県別・岩石別採石別事業所数および業者数

表5-3 四国地方の県別・岩石別採石別事業所数および業者数


図5-9 愛媛県北部の花崗岩類とペグマタイトの分布(宮久三千年、1959)

図5-9 愛媛県北部の花崗岩類とペグマタイトの分布(宮久三千年、1959)