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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

7 果樹栽培のかかえる問題

 課題と対応

 愛媛県の果樹栽培は、みかんの生産過剰傾向のなかで価格が低迷し、みかん農家の経営状態が悪の地域性  化してきた・その対応策として第一に温州みかんの一層の高反収‘高品質化、第二に温州みかんから他の柑橘類・落葉果樹への転換、第三は施設化による生産・出荷の早期化、第四は外国系統品種の導入などが行われている。また、耕作放棄や廃園という形でみかん経営からの徹収もはかられている。
 このようなみかん農家の対応は地域によって異なる。従来優良温州みかんの産地として知られていた八幡浜市の向灘や真穴では温州みかんの高品質化がはかられ、他の晩柑類への転換などは見られない。同じ南予地域でも経営規模の大きい吉田町や普通なつみかんの多かった三崎町などでは、温州みかんから、早生いよかん・ネーブルなどへの転換、普通なつみかんから甘なつみかんへの転換などが積極的に推進された。また、中島町や松山市近郊の山麓部なども温州みかんから晩柑類への転換が積極的に推進されている。品種更新は昭和四〇年代には改植による方法が多かったが、四九年以降は他品種の穂木を接木する「高接」による更新が主体となっている。
 柑橘類から落葉果樹への転換の進んだ地区は丹原町や小松町を中心とする周桑平野の山麓、中山町や内子町などの肱川流域などである。これらの地区は三〇年代からのみかんの好況によって温州みかんの新植の進んだ地区であったが、気候条件などからみて栽培の適地とは言えず、不良みかんの生産が多く、加えて、五二年と五六年の異状寒波で大きな被害を受けた。周桑平野の山麓では愛宕柿への転換が、肱川流域では栗や富有柿などへの転換が多い。
 柑橘園の耕作放棄や廃園の多い地区は宇摩平野の山麓や越智諸島の東部、いわゆる上島諸島などである。これらの地区は工業化の著しい地区で、みかん農家の労働力が他産業に吸収されたことが、みかん栽培を衰退せしめた大きな理由である。
 ハウスみかんの栽培や外国系統品種の導入が盛んな地区は、伊予市・砥部町などの松山平野の山麓や、南予の吉田町である。柑橘類のハウス栽培は五六年には県内で一七七haに達するが、そのうち、伊予市二五ha、砥部町三二ha、吉田町三五haなどが主な栽培地である。ハウスみかんの生産は、冬季に重油を燃焼させて加温することによって、六月下旬から九月にかけての柑橘類の端境期に温州みかんを出荷し、高収益をあげようとするものである。ハウスみかんの栽培は四六年に吉田町で始まった。最初は高収益をあげることができたが、四八年の石油危機以降は燃料費や施設費などの値上がりで、生産コストが上昇してきたことが問題となっている。
 近年導入された外国系統品種の代表的なものは、バレンシアオレソジ・セミノール・アンコールなどである。これらの品種の導入は消費者の趣向の多様化・高級化に対応し、高収益をあげようとするものであるが、生産団地の形成と、新品種に応じた栽培技術体系の確立が今後の課題である。