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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

3 周桑平野の蔬菜

 新興野菜産地
 
周桑平野の野菜栽培面積は昭和五五年現在六二四ha、県内の六・三%を占め、その割合は決して高くはない。しかし、施設野菜を中心にして、四〇年以降急速に生産が伸びた新興野菜産地として知られる。周桑平野は、もともと米麦作を主体とした穀倉地帯であって、野菜の栽培は自給を目的にしていた。野菜栽培が急激に伸びたのは、四○年に農協が合併して周桑農協となり、野菜生産を奨励すると共に共販体制を確立したこと、国や県の野菜生産推進策によるところが大きい。
 栽培野菜は主にきゅうり・いちご・たまねぎ・枝まめで、比較的栽培品目が偏っている。松山平野や今治平野などの古くからの野菜栽培地が、松山市・今治市に出荷することを目的に多数の品目を栽培するのに対して、周桑平野は県外出荷を目的に少数の特定品目を大量に生産していることに特色がある。前記の野菜のうち、きゅうりは、「周桑の冬春きゅうり」として四二年に国の指定産地となり、いちご・たまねぎは県の野菜基幹産地となっている。

 きゅうりの促成栽培
  
きゅうりは、昭和五五年に栽培面積が三六haで県内の一〇・七%、生産量では同じく三四六五トンで二三・三%、県外出荷量では同じく二二五六トンで県内の三九・四%を占め、栽培面積に比して生産量・県外出荷量の割合が高い。それは生産が反当収量の高いハウス栽培を主体とするからである。五五年のハウスによる栽培面積は二三ha、県内の三六%に相当する。
 きゅうりのハウスは、丹原町・東予市の水田に多い。一〇月上旬に播種されたきゅうりは一一月上旬に定植、一二月上旬から六月末の間に収穫される。一二月中旬から四月上旬の間には加温され、この間に一〇アール当たり一七トン程度の収穫を得る。これは露地栽培の四倍から五倍の生産量であって、きわめて土地生産性が高い。一〇アール当たりの施設費・燃料費は一〇〇万円程度を要し、投下労力も二〇〇人程度を要するが、粗生産額は二七〇万程度とかなり多い。ハウスの設備投資に要する資金はほとんどの農家が制度資金からの融資を受けている。
 きゅうり栽培農家は専業農家が多く、稲作との複合経営が多い。一農家一〇アールから二〇アールのきゅうりと一ha程度の水稲を栽培する農家が多い。きゅうりを収穫した後のハウスは連作障害を防止するため土壌消毒をして、水をはって休閑するものが多く、夏季に他作物を栽培することはない。連作障害の防止のためには、土づくりが大切であり、畜産農家から厩肥の補給を得て、これを投入する。
 収穫されたきゅうりは農家で荒選別された後、周桑農協に集荷され、ここで再び選別と箱詰にされて、トラック便で阪神市場に出荷される。収穫から出荷までが約一日、輸送に半日を必要とし、収穫して一日半後には阪神市場のセリにかかる。競合産地の高知県や宮崎県と比べて約一日早く出荷でき、しかも鮮度の良いことと、厳格な手選による規格のそろった品質などにより「周桑きゅうり」として高く評価されている。

 いちご

 いちごは、昭和五五年に栽培面積が四七ha、そのほとんどがハウス栽培である。栽培面積では県内の二三%を占め、松山平野に次ぐ主産地である。いちご栽培は三八年にはじまり、四五年頃から水稲の転換作物として急速に生産が伸びた。栽培の中心地は丹原町の田野・丹原・徳田、東予市の明理川・吉井などの水田地帯であって、多くは稲作との複合経営としていちごの栽培をしている。
 いちごの作型には山あげ促成・半促成・促成・短冷・抑制の五つがある(表4-6)。農家はこのうち三つから四つの作型を組み合わせ、一一月下旬から五月下旬の間に連続的にいちごを出荷する。作型の中では山あげ促成と半促成で七〇%を占め、促成と短冷で二〇%、抑制が一〇%程度である。山あげ促成は五二年頃からはじまり、苗は四国カルストで知られる大野ケ原に移植する。抑制は五六年から開始された。山あげ促成や抑制の作型が開発されたことは、作期をそれだけ長くし、農家の収入を増している。
 五月末に収穫が終わって後のハウスは、土壌消毒をしてのち水をはり連作障害の防止に努める。有機質肥料の投入に努めることも連作障害の防止に効果がある。いちご農家は冬季半年間はいちごの栽培に励み、夏季半年間は稲作とハウス内の土づくりに励む。一〇アール当たりの投下労力は二三〇人を必要とするので、一農家当たりのいちごの栽培規模は、夫婦でいちご栽培に従事するもので、一五アール程度、婦人労力のみの場合は七アール程度が限度である。この栽培には労力を多く必要とし、設備投資も大きいが、一〇アール当たりの粗収入は一五○万から二〇〇万程度と多い。
 収穫されたいちごは農家で選別・箱詰され、周桑農協に集荷されてトラック便で京都市場に出荷される。夕方に収穫されたものが、翌朝に箱詰され、午後のトラック便で京都に向かい、次の朝に市場のセリにかかる。収穫してから市場にかかるまではわずかに一日半で、鮮度の高さが京都市場で人気を博している。

表4-6 周桑平野のいちごの作型(昭和56年)

表4-6 周桑平野のいちごの作型(昭和56年)