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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

3 地震と地盤沈下

 四国沖の巨大地震

 愛媛県の周辺における過去の地震活動は、四国南岸に震源をもつ巨大地震の系列と、直下型地震をもひきおこす可能性がある伊予灘――日向灘に震源をもつ系列とに分けることができる。そのほか、中央構造線とそれに並行して走る活断層の活動に伴う地震の可能性も予想されているが、現在のところまだ目立った活動はみられない(図2―59)。
 四国南岸に震源をもつ巨大地震は、日本列島に向けて南側から移動してくるフィリピン海プレートとよばれる海底の地殻が、日本列島の基盤とぶつかりあう際に生じるエネルギーによっておこるものである。四国南岸付近における両者の境界は南海トラフとよばれ、この付近で南側から押してくるフィリピン海プレートが日本列島の基盤をなす地殻の下にもぐり込みつつある。通常は、日本列島側の地殼もフィリピン海プレートにひきずられて地球内部へもぐり込む運動をしているが、陸側(日本列島側)がそのような力に耐えきれなくなると、急に反発してはね上がるような運動をする。その際に、それまでに貯えられたエネルギーが一気に放出され、巨大地震が発生するのである。
 比較的近い過去にも、紀伊半島の沖合を震源とする巨大地震が二回起こっている。それは昭和一九年の東南海地震(マグニチュード八・〇)と、昭和二一年の南海地震(マグニチュード八・一)である。このほか、この付近では、慶長一〇年(一六〇五)にマグユチュード七・九、宝永四年(一七〇七)にマグニチュード八・四、安政元年(一八五四)にマグニチュード八・四というように一〇〇年から一五〇年間隔で巨大地震がおこっている。

 巨大地震と地殼変動

 これらの地震による愛媛県の被害はそれほど大きくない。ただ、地震活動に伴って大規模な地殻変動があり、愛媛県では南海地震の直後に道後温泉の湧出が停止したほか、海岸付近で地盤沈下がおこっている。
 一般に、四国の南岸や紀伊半島の沖合を震源として巨大地震がおこると、四国南部や紀伊半島南部では土地が急激にもち上がる。南海地震のときには、高知県の室戸岬で約一一〇㎝、紀伊半島の潮の岬で約五〇㎝の隆起があったが、このような土地の隆起は過去の地震のときには必ずおこって、長い間に昔の海底が山のような高さにまでもち上がってしまった場所もある。
 これに対して、四国の北部では巨大地震に伴って土地が沈降する傾向を持っている。昭和二一年一二月二一日におこった南海地震の後、建設省地理調査所(現在の国土地理院)では土地の高さの基準となる水準点の改測をおこたった。その結果、四国の南部では著しい土地の隆起が認められたが、四国北部では、逆に、各地の水準点の高さが地震前に比べてかなり沈下していることが判明した。それは、新居浜市付近で五五㎝、郡中(現伊予市)で三〇㎝、高縄半島の各地で二五から三〇㎝程であった。わずか数十㎝の沈下ではあったが、海岸部では水田が一部水没したり、水田に海水が浸入したり、また飲料水にも塩水が混入したほか、海岸侵食が活発になって思わぬ被害を蒙った地域が続出した。

 伊予灘から日向灘にかけての地震活動

 一方、愛媛県の周辺では、日向灘から伊予灘・安芸灘にかけての地域に震源をもっ地震もしばしばおこっている・特に、明治三八年(一九〇五)六月二日におこった芸予地震は安芸灘に震源をもつマグェチュード七・六の地震で、松山や広島において多大な被害をひきおこした。また、昭和四三年四月一日の日向灘地震(マグ二チュード七・五)をはじめとして、同じく四三年八月六日の豊後水道を震源として愛媛・香川・大分・宮崎の各県に小被害を与えたマグニチュード六・六の地震、四五年七月二六日の日向灘を震源として山崩れや小津波をおこしたマグニチュード六・七の地震など、この地域では最近でも比較的頻繁に地震がおこっている。
 県内でも伊予灘・豊後水道付近を震源として五〇から一〇〇年間隔で被害の出る地震がおこっていて、沿岸地域では直下型の地震がおこる可能性もある。なお、本地域は、地震予知連絡会によって「伊予灘及び日向灘周辺」特定観測地域に指定され、地震予知のための観測が積極的におこなわれている。

図2-59 西南日本における被害地震の震源分布

図2-59 西南日本における被害地震の震源分布