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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 河川の氾濫と浸水

 肱川と水害

 愛媛県には、肱川をはじめとして重信川・蒼社川・面河川・銅山川など多くの河川が流れている。これらの河川は、それぞれの流域の住民、生活に多大の恵みを与えるが、ひとたび大雨が降り、洪水になると大きな被害をひきおこす危険性をも持ってきた。
 特に、県内で最大の流域面積をもち、多くの支流が合流する肱川は、その流域の地形的特性を反映して、流域内の多くの盆地にたび重なる水害をひきおこしてきた。大洲盆地は古くからの水害常襲地域として知られている。それは、この盆地の海抜高度が低く、盆地付近に多くの支流が集まること、盆地から下流側の長浜にかけての流路が先行性の峡谷となっていること、また、盆地から河口までの河床勾配がかなり緩傾斜であることなどに起因している。これらの条件のため、洪水時には支流からの出水が盆地付近に集中すると共に、下流側が狭窄部になっているために、盆地の出口付近で洪水流がせき止められたような状態になることや、伊予灘の満潮時と洪水の最高水位とが重なると、河川水の水位がかなり上昇することなどが導かれ、過去何回もの水害を経験してきた。『肱川水系直轄砂防工事史』によると、大洲盆地では元禄元年(一六八八)から万延元年(一八六〇)までの一七三年間のうち、年数で六二年も出水があり、明治以降でも昭和の初め頃までは平均二年半に一回の割合で水害にあっている(写真2―61)。

 昭和一八年の水害

 これらの水害のうち、近年最も被害の大きかったのは昭和一八年七月の大水害である。肱川は旧大洲町肱北地区において堤防の決潰をひきおこし、新町・若宮地区に多大な被害を与えると共に、大洲盆地全域を泥海と化したのであった(表2―7)。現在の大洲市域における被害は死者二八名、家屋(住家)の流失・全壊・半壊二四七戸、床上浸水三八七二戸、床下浸水四七七戸など多大なものであった。旧大洲町における当時の人口は一五〇〇〇人程度、戸数は約三五〇〇戸程であったが、床上浸水性二〇〇〇戸に達し、そのうち二階以上にまで浸水したものが約一〇〇〇戸あったという。
 五十崎盆地においても、大洲盆地と同じく数多くの水害を経験している。特に、昭和一八年の水害時には、旧天神村宮の瀬前でおこった山崩れによって、増水中の小田川がせき止められてしまい、大久喜、古田、上宿間方面に数多くの浸水家屋を出した。五十崎町(旧天神村をも含む)における被害は、死者三、人家の流失・全壊・半壊三八、床上浸水二二九、床下浸水二九二などであった。
 一方、内子・野村などの盆地では、河岸段丘が顕著に発達し、人家の多くは段丘上に立地している。そのため、これらの盆地では盆地全域に及ぶ被害はみられず、河岸の低い土地における被害を除いてあまり大規模な被害はみられない。
 肱川水系には、その後、堅固な堤防や、鹿野川ダム・野村ダムなどが建設され、水害に対する防備が充分なものとなりつつある。

 松山平野の水害

 重信川下流にひろがる松山平野でも過去何回もの水害を経験している。ここでは、平野中央部の重信川北岸地域に低い開哲扇状地が分布していて、土地がわずかに高くなっているため、大規模な氾濫は重信川左岸(南岸)におこりやすい。重信町上村付近から松山市大橋町付近にかけての地域には、ほぼ東西に連なる重信川の旧河道が認められ、昭和一八年の洪水時にもこの旧河道に沿って重信川が氾濫している。
 重信川に合流する石手川は、松山市街地をのせる顕著な扇状地を発達させている。河道は古くから天井川化しており、扇頂部に位置する岩堰の改修工事がおこだわれる前は洪水がたびたびおこっていた。最近は上流側に石手川ダムが建設され、水害の危険はほとんどなくなった。
 ただ、松山平野では重信川・石手川両河川に代わって改修工事の遅れた中小河川が最近でもしばしば氾濫し、都市化の進行に伴って内水氾濫も目立つようになっている。特に、三津浜付近を流れる宮前川流域は、内水氾濫の常襲地域となっている(写真2―62)。

 今治平野の水害

 燧灘に面した各平野を流れる河川も、しばしば水害をひきおこしている。これらの河川は流域面積は小さいけれども、短小で急勾配であるため、上流側の降雨を一気に流して下流での氾濫をひきおこす。今治平野を流れる蒼社川も、過去何回か堤防の決潰をひきおこして下流の地域に大きな被害を与えている。平野の沿岸部では、蒼社川の氾濫のほか、台風や低気圧の通過時には潮位が上昇して高潮の被害も頻繁におとっている。最近では、昭和四五年八月二一日の一〇号台風により、防波堤が破壊されて港湾施設の多くが被害を受けたほか、本町銀天街をはじめ、市の中心部に海水が浸入して重軽傷五、家屋の全半壊一八七、床上浸水一三五、床下浸水七〇〇などの被害を出している。更に、同四七年九月八日には、集中豪雨のため蒼社川・浅川・龍登川などが氾濫し、重軽傷八、家屋全半壊一四、床上浸水九七二、床下浸水五四九六、田畑流失三九ha、冠水田畑七九八ha、崖崩れ五八六などの被害を出している。なお、この水害の際には災害救助法が適用されている。

表2-7 肱川流域における昭和18年7月水害の被害状況

表2-7 肱川流域における昭和18年7月水害の被害状況