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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

8 東部の山地

 石鎚山脈の地形

 石鎚山脈は四国山地の中でも最も高い山々が連なる山脈である。皿ケ嶺・石墨山(一四五六・〇m)、石鎚山・石黒山(一七四五・六m)、瓶ヶ森・笹ヶ峰などの山々がほぼ東西方向に並んでいて、二〇〇〇m近い稜線が海岸線からわずか十数㎞の位置に連なっている。特に、東予市付近から眺める石鎚山の山々はきわめて急峻で、まさに峨々たる山容を示している(写真2-26)。皿ヶ嶺や瓶ヶ森の頂上付近には、前述したように、隆起準平原の名残りと考えられるなだらかな地形が存在し、険しさを誇る石鎚山の山頂付近とは対照的な様相を示している。
 石鎚山の南側には面河川によって深く刻まれた面河溪がある。付近一帯の地質は新第三紀の火成岩である黒雲母花崗岩や流紋岩などから成り、面河川の支流の鉄砲石川河谷には紅葉石とよばれる特徴ある岩石が分布する(写真2-27)。
 面河川を下り、高知県との県境に近い柳谷村柳井川付近から支流の黒川に入るとすぐ、国指定の天然記念物である八釜の甌穴群が存在する。これは、河床の岩盤が流水の渦と河床に散在する石の作用によって次第に削られて、大きなかめのように掘り込まれたものである(写真2-28)。

 赤石山脈と法皇山脈

 赤石山脈および法皇山脈は、笹ヶ峰付近から西赤石山(一六二六・一m)、東赤石山(一七〇六・六m)、赤星山(一四五三・二m)、豊受山(一二四七・四m)、翠波峰(八九二・一m) 、平石山(八二五・六m)などを連ねる一連の山脈で、北の燧灘沿岸地域と南の銅山川流域との分水界となっている。両山脈の北斜面は、鮮新世(五〇〇万年前~二〇〇万年前)末期から更新世(二〇〇万年前~一万年前)前半にかけての中央構造線の活動によって形成された石鎚断層崖をなし、顕著な三角末端面も認められる。
 両山脈の南側を流れる銅山川は、豊受山の南で鍵型に流路を曲げ、この付近で深い溪谷を流れる。この溪谷が富郷溪谷である。法皇山脈の南斜面は全体に傾斜が急で、山脈全体としては、北斜面と南斜面の傾斜がかなり異なる非対称な地形を示している。
 銅山川の南には、笹ヶ峰で赤石山脈とわかれた稜線が連続している。高知県との県境にそびえる平家平(一六九二・六m)、三ッ森山(一四三〇・〇m)、玉取山(一三三〇・四m)、佐々連尾山(一四〇四・三m)、橡尾山(一二二二・三m)などの山々を連ねる稜線で、銅山川の流域と南側の吉野川本流との分水嶺となっている。山地の地形は全体として比較的険しいが、玉取山北斜面、中川峠付近北斜面、カガマシ山付近稜線部、橡尾山南斜面をはじめとして各所に緩傾斜な山地斜面が分布する。これらの斜面はその向きに地域性が認められることや、緩斜面が階段状に分布することなどの点から、若干の例外を除いて地質構造を反映した組織地形であると推定さわる。
 なお、塩塚峰(一〇四三・四m)の稜線付近はなだらかな地形となり、塩塚高原とよばわている。この地形は、法皇山脈の稜線部にみられる同様の地形とともに、石鎚断層崖形成以前の老年期的な地形の名残りであると思われる。銅山川をはさむ南北両斜面には数多くの地辷り地形が認められ、特に、新宮村上山地区などはほとんど全域が地辷り地帯となっている(写真2-29)。