データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

はじめに

 現代の風土記

 「地誌」とは、字が示すように土地の姿を記すことである。この土地は、人びとの生活の舞台であるばかりか、長い歴史を経ての生活のありかたが投影されている場所でもある。しかも、この土地は、人びとの生活に地理的環境として深いかかわりをもつとともに、人びとは、地理的環境に対応して、さまざまな生活を営んでいる。また、この人びとの生活は決して一様ではない。同じような地理的環境だとみても、生活技術の発達には相違があって、これが個性のある生活をつくりあげている。「地誌」は、この個性のある生活を土地とのかかわりを通して記述することにある。
 地誌の編さんの歴史は極めて古い。日本では風土記が最古の地誌だとされ、公式には平安時代の備中国風土記(九一四)を最古とするが、これよりさき奈良時代の元明天皇の和銅六年(七一三)に風土記撰進の命令が出ていて、それには、常陸、播磨、豊後、肥前、出雲の諸国の風土記が残っている。これら風土記は、すぐれて地誌の内容をもったものとして評価されている。もっとも、風土記としては、中国の後漢時代の二世紀末に、地方の風俗地理を記した書物が著わされたのが最初で、その後の中国における地誌編さん事業が続けられ、これが日本にも伝わって和銅六年の風土記撰進の命令が出されたのではないかとさえいわれている。
 近世の日本では、幕府や藩がぼう大な風土記を編さんした。徳川光圀による新編鎌倉志(一六八五)にはじまって、会津藩による全一二〇巻の新編会津風土記、幕府の昌平黌地理局による全二六五巻の新編武蔵国風土記(一八二八)、同じく新編相模国風土記全一二六巻(一八四一)などは有名である。これらは、国の沿革や山川、芸文、郡村志などについての歴史や地理を詳しく記していてすぐれた地誌となっている。このように、風土記が「地誌」として、その編さんの思想が中国から伝わって日本にしっかと根をおろしたことは、国や藩を治めるうえの術として、それがいかに重要であったかを物語っている。
 県史や市町村史を「地誌」だとする考えは、まさしく風土記の編さん思想にも通じるものである。それは、まさしく「現代の風土記」という発想であって、人びとの生活や社会についての歴史的背景と、それが投影されている場としての県土の特色について記し、後世への価値ある記録とすることにある。

 地誌の視点

 愛媛県史全四〇巻のなかに、「地誌」が総論と各論を合わせて五巻もふくまれることは、他の県史にその類をみない大きな特色の一つである。
 この地誌編は、県史をして「現代の風土記」であるという考えかたからすると、県土の地理的環境をはじめ、人びとの生活の地域的個性を描くことにおいて、最も基礎的な部分をなすものである。
 この地理的環境とか、生活の地域的個性ということをまとめてやさしく言えば「土地柄」である。人びとは、日常の生活の営みの積み重ねを行うことによって、その土地に他と比べて特色のある生活様式や社会を刻みつけてきた。これを、時の経過を通してみるならば、歴史に重きをおいたものとなるし、生活の舞台としての土地について重きをおいてみるならば地誌となる。この地誌は、まさしくその時、その時の「土地柄」の成りたちを、他の土地との比較によって描き出すものである。
 ただ、この「土地柄」を描くには、それなりの方法がある。これが地域とよばれる土地の区分である。地理的環境や生活の様相について、いろいろな方法を用いて、それらが他の土地と比べて、どのようなところに個性があり、また、その個性がどのような広がりをみせているか、などという方法のもとに描き出されてくる。この個性的な広がりをみせている土地が地域とよばれるものであって、この地域の姿を明らかにして記述するのが「地誌」である。
 愛媛県を例にしたとき、それは幾つかの地域が集まって県土がつくりあげられているとみてよい。見かたを変えると、県内が、どのような地域から成りたっているのか、また、それぞれの個性的な地域が、互いにどのようなつながりのもとで県全体をつくりあげているのか、などの見かたに立っているのが「地誌」の視点である。ここに「地誌」をして、単なる土地柄の記述ではない「現代の風土記」としての特色と使命がある。

 地誌の構成

 地誌の総論となる本巻は、いわば地誌概説ともいうべきものであるが、それは、さきに述べた「地誌」編さんの考えから、次のような構成によった。
 まず、現代の愛媛県を地誌の立場からみたとき、現代の時期を昭和五〇年代に置いて、事がらの必要によっては、最少限に第二次大戦前や、あるいは明治期などにさかのぼって記述することにした。また「地域」をどのように描き出すかに先だって、地域の区分を試みたことが大きな特色である。それは、地理的環境を構成している地形や気候をはじめ、環境の特色をよく反映する生物の生態などによる環境からの地域区分、さらには、人口や産業、交通、都市など人びとの生活の営みからみた地域区分などを行い、その結果を総合して「地域」を設定した。この区分をもとに、それぞれの地域の特性を記すこととした。
 このような考えを共通にしたうえで、地誌にかかわるいろいろな分野について九章に分けて記述することとした。
 第一章は、愛媛県がどのような風土をもち、地域から成りたっているかについてふれている。これは、さきに述べた地域とその区分のしかたに関するもので、いわば地誌の序章というべきところである。ついで、第二章は地形や気候、生物などから愛媛県の風土を主として地理的環境のうえからとらえたものである。県民がどのような土地を生活の舞台としているかについて、最も基礎となる環境の構成要素のそれぞれについての記述である。また、自然の災害についても、その発生と地理的特色についてふれた。
 県民を「人口」としてみたとき、それは、どのような地域的特色を示しながら変化をみせているか、また、人口の変化がどのような社会的問題を地域になげかけてきたのか、などという社会の最も基本的な側面である人口について記したのが第三章である。
 県民の営む産業経済活動は、地理的環境と深いかかわりのもとで、最も鮮烈な地域的個性を生みだしている。これについて、多くの頁数をさいたのは当然のことであるが、この総論では、農業をはじめ畜産、林業、水産業、鉱業、地場産業、近代工業などの分野のそれぞれについて、生産活動がどのような地域的広がりをもって展開されているか、また、それらが全体として愛媛県をどのように特色づけているか、などの考えによって記述したのが第四章と第五章である。この各章では、生産活動について、それを営む人びとの生活とのかかわりや、地域の社会との関係などにもふれている。第六章の交通と商業では、県内における人や物の移動の変化や消費活動にかかわる小売業や卸売業などについて、その地域的展開と地域相互のつながりについて述べた。
 人びとの生活は、具体的には集落を基礎に展げられている。この集落には、僅かな戸数の農山漁村にあるものから、多数が集まった都市まであるし、前者は主として生産を営むのに都合のよい場所に成立し、後者は、生産のみならず消費そのほかの多くの機能をもった地域の中心的な役割を果たしている。第七章は、これらの集落について、農山漁村にあるものは生産活動とのかかわりにおける立地の条件や社会組織との関係を、また特別に都市については、その町のなりたちや機能の変化などについて、それぞれの特色を重点にみている。
 多彩な風土をもつ愛媛県は、その文化的な価値を「観光」としてみたとき、四国ではまさに観光雄県だといえる。その資源の分布や観光地の成りたちの地域的特色をみたのが第八章で、これは、県土のもつ文化的価値を改めて説きおこしたものである。第九章は、愛媛県がどのような集合体であるのかについて、主として行政区の成りたちからみたものである。県内の人びとは、市町村民であると同時に県民であるし、学校教育では多くの県民が特定の学校区に属して公教育を受けてきた。また、行政区は、一般に地図のうえではっきりと区域が描かれていて、地域が最も具体的に示されたものである。行政区を行政サービスが展げられている機能をもった地域として考え、その成立の地域的な特色を述べた。
 地誌総論は、先にふれたように愛媛県を概説的にとりあつかっている。そこでは、地域の個性を述べるにあたっては、特色のある代表的な事象や事例をあげているにすぎない。より詳しい地域の記述は各論を参考にしていただければ幸いである。