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愛媛の祭り(平成11年度)

(2)朝日文楽会館を拠点として

 **さん(西宇和郡三瓶町朝立 昭和4年生まれ 70歳)
 **さん(西宇和郡三瓶町朝立 昭和22年生まれ 52歳)
 **さん(西宇和郡三瓶町朝立 昭和19年生まれ 55歳)
 **さん(西宇和郡三瓶町朝立 昭和16年生まれ 58歳)

 三瓶町は、県の西部に位置し、西は宇和海に臨んでいる。主な集落はリアス式の三瓶湾に開け、ミカン栽培や養豚、養殖を中心とした漁業、内航海運などが盛んである。朝立(あさだつ)は町の中央部にあり、朝立川下流域右岸に位置する。安土(あづち)・津布理(つぶり)地区とともに町の中心街を形成している(①)。
 朝日文楽は、明治12年(1879年)ころ朝立村(現三瓶町)の井上伊助が手作りの人形で始めた人形芝居が起源といわれている。その後有志が明治22年(1889年)現宇和町山田にあった平松六之丞座を購入して文楽熱が高まり、明治25年(1892年)ころ師匠を招いて人形や浄瑠璃の技能習得に励んだ。明治40年(1907年)現上浮穴郡柳谷(やなだに)村にあった吉村源之丞座および現八幡浜(やわたはま)市双岩(ふたいわ)にあった釜(かま)の倉座を購入併合して『朝日座』となった。明治44年(1911年)朝立の埋立地に大阪文楽の様式をまねて劇場が建設されたが、舞台装置がなかったため朝日座(人形座)が寄付をして、これと交換条件で人形の道具類の保管と公演の無条件使用の契約を結び、劇場も人形座の名を取って朝日座と命名された。大正時代中期から維持伝承が青年団員に委譲され、大正時代末期の旧正月連続5日間の公演も満員の盛況であった。昭和4年(1929年)に『朝日文楽』と改名、昭和12年(1937年)より終戦までやむなく中断したが、昭和21年(1946年)に師を招いて青年団が再興し、淡路系から大阪系に転化した。その後昭和36年(1961年)に朝日文楽保存会を設立、週1回の定期練習を積み、春の定期公演、合同公演等に活躍している(⑧⑨)。

 ア 朝日文楽会館の建設

 朝日文楽には、文楽人形を遣う朝立地区の人を中心として組織する「朝日文楽会」と町の貴重な文化財を守り育てていこうとする町民で組織する「朝日文楽保存会」がある。
 朝日文楽会の前会長の**さんが往時を振り返って、次のように語った。
 「朝日文楽会館(写真3-1-29参照)の建設までは、朝日文楽会は朝立2区の公民館で練習していました。その公民館の裏の倉庫に文楽の道具を収納していましたから、練習には便利でしたが、なにぶんにも住宅街ですので、夜遅くまで練習いたしますと迷惑が掛かります。浄瑠璃は語る、三味線も弾く、また演舞台では下駄(げた)を履いて歩き回るなど、近所の人々に非常に迷惑を掛けていました。練習に熱中している者には分からない騒音も、近辺の者には大変な苦痛だったと思います。
 そこで、当時の区長さんを筆頭に朝日文楽の役員たちで町に嘆願しようということになり、会館建設の計画をお願いに参りました。当時(昭和51年)、三瓶町は年度事業として老人憩いの家を建設することになっており、憩いの家の2階に朝日文楽の殿堂としての文楽会館建設の話が急速に具体化したのです。朝日文楽会や文楽保存会が自由に使用できるために、朝立地区の建設ということで、寄付やその他の処理にそれ相応の負担はありましたが、皆様の御協力のお陰で現在の会館が建設されました。
 三瓶の文楽の人形および衣装はもともとが保存状態が悪いということですから、会館の設計につきましても、天上採光や室内の温度と湿度の調節のため、コンクリート外壁の外側に木材を張る、またよろい窓等を付けるなど創意を凝らしました。さらに、人形や資料の陳列棚、道具類の収蔵庫、観光用の上演場を兼ねたけいこ場なども完備しました。町民をはじめ訪れた観光客に見てもらうための常設展示場も充実させました。要するに、当時としてできうる範囲内での断熱や除湿、換気や防音等を配慮した空間を目指したのです。演舞台は前段が船底舞台、後ろがやや高い本舞台になっており、それぞれの前に手すりが設けられており、足遣いに配慮した舞台になっております。また、本舞台の後ろは衣装の保管ができるようになっています(写真3-1-30参照)。観光客の希望があれば上演もし、皆さんに楽しんでもらっています。わたしたち朝日文楽会の者にとっても、活動の拠点ができたという喜びはひとしおのものがありました。子供文楽会や地元の高等学校の文楽部もここを拠点として練習に励んでいます。」

 イ 朝日文楽を後世に

 (ア)適格な師匠不在がもたらした転換

 「(**さん)戦後、古典芸術尊重の風潮のなか、三瓶町においても朝日文楽興隆をとの声が高まり、当時の青年団員約50名がこの取り組みを開始することになりました。人形遣いには、文楽に対しての関心の深い70歳代から80歳代の大(おお)年寄り、青年団を過ぎてからの中(ちゅう)年寄り、それに青年団員と幅広い年代がそろっていました。浄瑠璃に関しては、町の有志の方多数が浄瑠璃の会をつくって熱心に語りが行われていました。ただ、師匠の問題で苦慮し、大年寄りの方々と相談のうえ、当時人形の修理をお願いしていた徳島の大江巳之助(みのすけ)さん(1907~97年、昭和51年国選定保存技術保持者)のお世話で淡路在住であった大阪文楽の方を師匠として、紹介していただき、以来毎年1か月くらい三瓶町に滞在してもらい、指導していただきました。それまでは淡路の芸でしたが、それ以後大阪文楽が始まり、現在に至っています。」

 (イ)諸先輩への悼みの思い

 「(**さん)うちでは現在、浄瑠璃を語る人、三味線を弾く人がいません。鬼北文楽(広見町)では**会長さんご自身が語りをしますから、若い人も自然とついてくるのです。もともと三瓶では浄瑠璃語りと人形遣いとは別でした。ただ大年寄りや中年寄りの場合には、皆が人形を扱い、浄瑠璃も語ることができました。そんなお年寄りの方々に教わることもないまま、お年寄りが亡くなられ、語りができるまでには年数が相当かかりますので、次第に人形は遣えても浄瑠璃は語れないということになっていきました。わたしたちとしては、先輩からじっくりと浄瑠璃を教わることがなかったのが悔やまれます。ところが、当地ではテープを流して公演したのでは、皆さんが満足いたしません。ですから、文楽を公演する場合には、義太夫や三味線弾きを全部外部から雇います。」

 (ウ)後継者の人材育成を目指して

 朝日文楽会の**会長さんに、後継者づくりについて聞いた。
 「現在、会員は20名程度です。それに裏方さんを合わせると、今活動しているものは25名ほどになります。高校生も今年(平成11年)は6名ほど地元の高校の文楽部に入部しています。三瓶小・中学校生でつくる子供文楽クラブにもかなりいます。ここでは、浄瑠璃を習っている子供も入れて20人以上います。この子供文楽クラブは学校の週5日制導入に当たり、文楽の勉強をということで取り入れられたのです。土曜日に練習はしていますが、わたしたち役員は朝は家業等で忙しいので、前会長の**さんにお世話をお願いしています。子供たちも喜んで練習日には参加しているようです。以前子供文楽クラブに所属していた者が、暇な折に練習場を訪れて励ましたり、指導してくれることもあります。地元の高校で文楽部に所属していた卒業生が今ここで人形を遣っています。後継問題も人数の方は結構多いので心配はないのですが、浄瑠璃語りと三味線弾きが心配です。いろいろと対策を考えもし、検討はしています。九州のある村では、地域挙げての文楽による村おこしが行われていまして、村の職員が2年間、淡路島に浄瑠璃語りや三味線の習得のための修業に出掛けて、村に帰ってからは、文楽の仕事に携わっているという話も聞いております。この朝日文楽でもそういう修業を希望する者もおりますが、いざ行くとなったら、自分の家はどうなるのかという問題もありまして難しいのです。今年(平成11年)の公演会の出し物として、子供文楽クラブは『傾城阿波の鳴門』を、高校生には『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』の後半をと今のところ考えています。わたしも、朝日文楽会の会長には今年の2月からなりましたが、**さんから頼まれて、家業で忙しいのですが受けたわけです。」

 (エ)芸は盗むものである

 朝日文楽会の会員の**さんに、芸を体得する心得について聞いた。
 「文楽継承の問題もいろいろとありますが、自分は今練習することで精一杯です。といいますのも、『足10年、左10年、そして頭持つは1代』というように、なかなかカラオケみたいにさっと体得することはできません。わたしは人形を遣い始めてから30年くらいになるのですが、それでも、まだ一人前にはなれません。ここのモットーは『芸は教わるものではなく、盗むものである。芸とは何か。芸とは間である。習うより慣れよ。(写真3-1-31参照)』なのです。自分の芸が、未熟と分かっている者は、まず人形の研究もしてみたいと思うものなのです。普段は大阪文楽の模型を見たり、自分なりの練習を工夫してみたり、大きな鏡の前で一人で練習してみたりします。簡単に10年とか20年と言いますが、盗み取って自分のものにしたり、間を感じ取るとか、慣れるというのはなかなか難しいものです。まだまだ、修業の連続です。」

 (オ)婦人部も文化財を守る一助に

 朝日文楽会婦人部の部長の**さんに、女性参加の現状や意義について聞いた。
 「戦後もしばらくは若い女性もかなりいたようですが、その後はいなくなりました。やはり女の人がいたら助かるという声を聞きまして、わたしたちが15年くらい前に会に入れてもらい、今は女性が10名います。昔は、衣装なども会員の手作りでこしらえていたのですが、今は衣装も豪勢で立派なものになり、ぼつぼつとプロの人に作り方などを習ったりしています。衣装を着ける人、縫う人、修理する人とか髪を結う人と表向きは分けてはいますが、女性10人ですから、衣装担当、髪結いに各一人で、後の8人は人形を遣っています。ただ、立ち役とか大きな人形になると女性では結構重く無理な面もあります。町に子供文楽ができてからは、文楽に興味を持って手助けしてくれる方もいるので、今後に期待を寄せています。3人で一つの人形を扱い、それが終わった後の満足感やまたわたしたちが遣うことによって全然動いていない人形に魂を込めることができる、そういう満足感や感動を皆さんにも早く体験してもらいたいものです。とにかく、三瓶町の文化財はすごいものですから、何とか後世に伝えていきたいものです。」

 ウ 保存会の存在

 **さん(西宇和郡三瓶町垣生 昭和27年生まれ 47歳)
 **さん(八幡浜市八代    昭和25年生まれ 49歳)

 (ア)頼もしい保存会

 「(**さん)朝日文楽会はもともと青年団が運営していたもので、昔は旧正月に1週間くらいは興行していました。相当の収入もありました。ところが、時代の波は古典的なものから近代的なものへと移り、朝日座も映画を上演して、若者の心を引き付けるべく舞台はスクリーンと変わり、文楽の公演は不可能となってしまいました。収入がなくなると、地区の負担が大きくなり運営ができなくなります。そこで発足したのが、町長さんを会長とする町内全域の多数の会員による朝日文楽保存会です。現在まで朝日文楽を継承できましたのは保存会の皆様の御協力によるものです。例えば、どんなに資金が必要かを説明しますと、現在頭一丁の髪を結うだけで約20万円かかります。これは大阪文楽で結ってもらいました(写真3-1-33参照)。以前はわたしたちが結っていましたが、興行に行き皆さんに人形を見てもらいますと、今の人は皆さん、手に取って見せてほしいと言われます。そうすると、ある程度きちんと結ってないと直ぐに髪が乱れてしまうので、専門家にお願いすることになりました。また、人形の顔は長く使うと手のあかなどで黒くなるのですが、その塗り替えだけで約25万円かかります。というように、頭一つを保存することだけでも大変になるので、保存会にお世話をお願いしています。」

 (イ)町の誇り得る文化財

 朝日文楽保存会会長の**さんは、朝日文楽の保存について次のように決意を語った。
 「郷土三瓶の誇りである朝日文楽を保存伝承するため、町を挙げて努力するのは当然のことです。これだけの文化財を今に残してくれた先達や、保存伝承に苦労している皆さんには本当に敬意を表します。また、保存会の会長を歴代務められた町長さんの先見の明にも敬服しています。だから、今のわたしの立場からも、何をしていかねばならないのかは自明のことです。当然、次代へこの伝統をいかに継承させていくかが課題だと思っています。現在、後継者育成事業では小・中・高校生の一貫した後継者育成体制の指導を行っています。世間に熟知してもらうためには、多くの人にその存在を知ってもらわねばなりません。三瓶町に通じる国道56号の宇和町の交差点などに、朝日文楽の人形2体を描いた看板(写真3-1-34参照)を掲げて、後援会としてその知名度を上げることに努めています。県内や県外の公演におきましても、積極的に協力・支援するようにはしています。朝日文楽は本当に町の誇り得る貴重な文化財ですから、次代へつないでいきたいものです。」
 今年(平成11年)11月には、農村の快適な居住空間が地域住民の努力で保全・形成されている優良事例を表彰する「第14回農村アメニティ・コンクール」(国土庁などの主催)で、三瓶町が本年度の最優秀賞を受けた。「めだかの学校」をつくってのメダカの保護や環境問題に取り組み快適な生活空間づくりに励む住民の活動などとともに、一般住民で組織する文楽保存会や高校のクラブ活動を通して、100年以上前から伝わる朝日文楽の伝承活動も事例に挙げられている。

 (ウ)高校生も伝承に一役

 地元の高等学校の文楽部顧問の**さんは、若い後継者育成について次のように語った。
 「本校では、昭和39年(1964年)に文楽部を設けて、町に伝わる伝統芸能朝日文楽の伝承保存に励んできています。以来部員ゼロの年はなくて今日に至っています。現在、部員は6名です。全員が高校に入って初めて人形に触れたという者たちばかりです。朝日文楽会の**会長さん、**前会長さんたちの指導を受けて、平素は週1回のペースで、公演が近づくと週2、3回のペース、直前には毎日と練習の頻度は上がりますが、1回2時間程度の練習で、密度も濃く、厳しい練習を繰り返しています。女生徒だけですので、夜遅くなってはとの会長さんたちの配慮もあっての練習です。三人操りの人形ですので、部員不足は否めませんし、頭(かしら)の重さに耐えかねることもありますが、町の文化財の継承に今後も努めていかねばと思います。」

写真3-1-29 朝日文楽会館

写真3-1-29 朝日文楽会館

平成11年7月撮影

写真3-1-30 会館内の演舞台と衣装保管室

写真3-1-30 会館内の演舞台と衣装保管室

最前列が船底舞台、続いて主舞台、背景、後ろが衣装保管室になっている。平成11年7月撮影

写真3-1-31 会館に飾られた掛け軸

写真3-1-31 会館に飾られた掛け軸

朝日文楽のモットー。平成11年7月撮影

写真3-1-33 数々の人形頭

写真3-1-33 数々の人形頭

平成11年11月撮影

写真3-1-34 朝日文楽の案内看板

写真3-1-34 朝日文楽の案内看板

平成11年11月撮影