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愛媛の祭り(平成11年度)

(1)弓にたくす

 **さん(越智郡弓削町佐島 昭和24年生まれ 50歳)
 新春の冷たく張り詰めた大気の中を、大空に向かって弓矢を射る弓祈禱(きとう)という行事がある。年頭行事として地域安全・五穀豊穣(ほうじょう)・除厄(じょやく)祈願のため実施する競技を兼ねた中世以来の神事であり、『初祈禱・弓放ち・百手祭(ももてさい)』などと呼ばれている(②)。この行事は、愛媛県では高縄半島部と越智諸島(*2)で盛んである。現在、東予地方では12か所、中予地方で3か所、南予地方では1か所で行われている。
 越智郡関前(せきぜん)村の岡村島では、全集落挙げての行事で、竹筒で海水をくみ、ササで祓(はら)って射手の通路を浄め、2組12名の射手たちも潔斎(けっさい)し、計600射を古式豊かに競射する。鬼的(おにまっと)競射の他、多くの絵的(えまっと)・金的(きんまっと)(賞状と副賞が与えられる)も用意され農漁の豊作大漁を祈る大うちわで景気をあおる(②)。
 弓祈禱は、ここ弓削町では佐島と弓削島の高浜神社で行われている。平成6年から父親の跡を継いで佐島神社の宮司をしている**さんに、佐島の弓祈禱について話を聞いた。

 ア 鬼の的をねらえ

 「毎年1月11日の朝8時から1,008本の弓矢を射ます。天まで届けということで、最初に宮司のわたしが空に向かって射って、次に区長、区の会計係、宮総代、当屋(とうや)たち(*3)というふうに次々に射ます(写真1-2-1参照)。方向は歳徳神(としとくじん)(*4)の方向に射るので毎年変わります。今年(平成11年)は東北東ですから的をそちらの方角10m先に置きました。
 的は三つあります。大一つ、小二つです。大の的は中心を墨で丸く塗りつぶし、その上の方に鬼という字を書きます。これを大蛇に見立てているんですけど、本来は虫だったんです。昔から虫は予防の方法がなく害を及ぼすからでしょう。これを弓祈禱によって追い払うということです。つまり、虫退治ということです。小の的二つは中心を墨で黒く塗り、上の方に鬼と書き、下の方に目と書きます。大きい的は体ということです。小さな的が目ということです(写真1-2-2参照)。
 弓は2本ありますが、一つの弓で12本の矢を射ます。当たっても当たらなくても12本を射終えたら次の人に代わります。昔は全部射っていたんですが、今は時間的余裕がないので、全部は射ないで、途中で束にして何回か的を突いて破ります。後何本で1,008本になるかという計算は当屋の亭主に数取りということでしてもらいます。
 また、この弓祈禱では途中から小学生にも参加してもらい、弓を射ってもらいます。これは、佐島にもこのような、コメ・ムギ・アワ・ヒエなどの五穀豊穣を願った行事があるんだということを、子供たちに知ってもらうという課外授業の一環として行っているんです。
 弓祈禱の行事は、大体正午過ぎに終わります。終わったら社殿で子供たちと一緒に、ぜんざいや甘酒などで打ち上げを行います。」

 イ 当屋が主役

 「15名の当屋は毎年くじ引きで決めます。秋祭りの最終日の宮座(みやざ)式の時に、今年度の当屋の人が来年度(1月12日から翌年の1月11日まで)の当屋を、だれにするかということでくじを引きます。宮座式とは、佐島では秋祭りの初日と最後の日に行う、おのぼりさんおくだりさんのことです。おくだりさんというのは、お宮からお旅所へ行くことを言い、おのぼりさんというのは、反対にお旅所からお宮に行くことを言います。毎月実際には行けないからということで宮座式で済ましているのです。佐島神社では総代や当屋たちが向き合って、目を合わしながら(合眼)、最初は小の金杯で上座のものから御神酒(おみき)を飲み、次々と金杯を下座に渡し(おくだりさん)、最後に巫女(みこ)が飲みます。そして今度は下座から上座へ飲み次いでいきます(おのぼりさん)。巫女が入れ替わり、もう一度同じことを繰り返します。そして次には、中の金杯で、最後には大の金杯で同じように行います。全部で12回おのぼりさん、おくだりさんを繰り返すことになります。
 八幡神社には約270軒の氏子がいますが、この中から当屋に1回当たった人は帳簿から消していきますので、18年に1回の割合で当屋が回ってきます。当屋に当たった人は弓祈禱だけでなく、1年間の行事関係のすべての世話をします。
 祭りの時はくじに当たった人が世話役となります。これらの世話役の人たちが、皆さんと話し合って15名の当屋の中から長に当たる当元を決めます。当元は祭りの時に宮司などの接待をします。昔は当元に当たった家では、畳やふすまを換えたりしていました。今でもていねいな家ではそうしています。しかし当元に当たったら出費がかさみ大変なので、最近は新築の家で行ったりもしています。
 弓祈禱の行事に昔はけっこう見物人もいましたが、今は少なくなりほとんどいません。若い世代ではそういう行事があることすら知らない人がいます。ピーアールが足らないのかも知れません。佐島にはこんなすばらしい伝統行事があると知ってもらいたいというのがわたしの一番の願望です。伝統はやはり守っていかなければならないと強く思います。」


*2:高縄半島地方から広島にかけて分布する芸予諸島の中の愛媛県側の島々のこと。
*3:県内では、高縄半島東部から芸予諸島地域だけに中世の遺制として残っている。弓祈禱の分布地と重なるように伝承され
  ている。トウヤとは神社の祭りや講などに際して単に当番的に祭事や行事の雑用などの中心的役割を務める個人または家を
  指す(この場合は当屋と書く場合が多い)。トウヤ制度の起源は古く、ムラに職業的な神主がいないころから、祭りを司る
  役を担ってきたものである(この場合は頭屋と書く場合が多い)(③)。弓削でも地域によって別々で上弓削、佐島地区では
  当屋、亭主と呼ばれている。弓削神社においては後に当屋、杜家と呼ぶようになった。専任神職ができてからも祭りには、
  杜家、杜主、杜司と呼ばれている(④)。
*4:暦注の一つ。その1年の福徳をつかさどる神。この神の在る方角を明(あき)の方または恵方(えほう)といい、万事に
  吉とする。

写真1-2-1 佐島の弓祈禱

写真1-2-1 佐島の弓祈禱

鬼の的をねらう。平成12年1月撮影

写真1-2-2 弓祈禱の的

写真1-2-2 弓祈禱の的

大きな的が虫(鬼)の体、小さな的が虫(鬼)の目。平成12年1月撮影