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愛媛の祭り(平成11年度)

1 燧灘の島を彩る祭り

 愛媛県東部の北の海域を燧灘と呼ぶが、その北西部に位置し広島県因島(いんのしま)市と県境で接している弓削町は、弓削島・佐島(さしま)・豊島(とよしま)・百貫島(ひゃっかんじま)の4島からなり(図表1-2-1参照)、島の総面積は11.74km²、人口は約4,200人である。産業別人口比率は第一次産業が7.5%、第二次産業が36.5%、第三次産業が54.4%(平成7年国勢調査より)というように最近産業構造が高度化(*1)しつつある。
 今年(平成11年)の5月に瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通したが、弓削島はその路線からは外れた。しかし、弓削島と佐島は平成8年に弓削大橋で結ばれている。
 この地の歴史は古く、平安時代に鳥羽上皇(1103~56年)の「弓削御荘(みしょう)」となった。鎌倉時代には京都の東寺(とうじ)の荘園となり、塩が島の特産品として主たる年貢であったので、「塩の荘園」とも呼ばれた(①)。江戸時代には今治藩に属していた。
 島の人々は独立心がおう盛であり、伝統文化を重んじる気風が強く、昔ながらの各地区での祭りを大切に伝承してきている。


*1:第一次産業(農林水産業)人口よりも第二次産業(鉱工業)人口や第三次産業(運輸・通信・サービス業)人口が増大す
  ること。ちなみに昭和60年(1985年)の国勢調査では、弓削町は第一次産業人口は14.9%、第二次産業人口は37.7%、
  第三次産業人口は47.4%であった。

図表1-2-1 弓削町周辺図

図表1-2-1 弓削町周辺図