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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅸ -砥部町-(平成27年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 三段カーブと路線バス

(1) 三段カーブから時代をみる

ア クネクネ道

 「広田に住んでいる人にとって、『三段カーブ』と聞くと、『あれか。』と、すぐに思い出すことができるくらい印象深いカーブです(写真3-3-1参照)。私(田中弘さん)は、このカーブがあったことで、松山へ行くことが非常に遠く感じられていました。子どものころには松山へ行く用事は滅多(めった)にないのですが、たまに行くとなったら大変なことで、前日から体調を整えておかないと揺れるバスに酔ってしまっていました。
 帰りのバスには松山市駅から乗っていました。小学生のころには母親と松山へ行くと、必ずバスが発車する1時間前に母親から『バス停に立って並んでおいて。』と言われて、席取りのためにバス停に並ばされていました。私の母は乗り物に酔いやすかったので、バスの一番前、運転席と通路を挟んだ反対側の席の窓際に座らないといけませんでした。その席を確保するために、1時間くらいバス停で立たされていたのです。何もせずにただ立っているだけなので、子ども心に『いやだなあ。』と思っていたことを憶えています。
 バスが松山市駅を出発すると、万年で時間調整をしていました。遅れているときには、そのまま止まることなくバスを走らせていたのでしょうが、私や母にとってはこの時間調整がちょっとした休憩時間になっていました。万年での時間調整が終わると、そこから上尾峠に向かってバスが登って行くのですが、カーブが多いクネクネ道だったので、峠を登り切るのに非常に時間がかかっていました。三段カーブでは、バスのタイヤは当然道路上にありますが、前輪よりも前方にある運転席は道路からはみ出して崖の上にありました。」

イ 機械化

 「旧広田村で最初にブルドーザーが導入されたのは昭和47年(1972年)のことです。等高線に沿ったクネクネした道であれば、人の力だけで何とか造ることができます。例えば、久万高原(くまこうげん)町の仰西渠(こうさいきょ)は、硬い岩をノミなどを用いてくり抜いています。ですから、鍬(くわ)などの道具で斜面を削れば、人の力だけでも曲がりくねった道ができます。ただ、真っ直(す)ぐな道を整備しようとすれば、かなり大型の重機が必要であるということで、旧広田村での道路整備にも昭和47年に導入されたブルドーザーが使われたようです。今は川登トンネルや万年トンネルが掘られ、道幅が広く真っ直ぐな道が整備されていますが、当時は道幅が狭い道路だったことをよく憶えています。ただ、真っ直ぐな道が整備され、松山へ行く時間が短縮されて、それで良かったのかというと、そういうものでもなく、やはり物事には明と暗があるような感じを受けます。道が整備され、三段カーブを通行する必要がなくなった後に、松山方面へ向かう車が事故を起こしてしまうということがありました。道路の整備に伴って、生活が便利になることの明と暗と言えばよいのか、そういうことを三段カーブの思い出から感じることがあります。
 三段カーブのことで私(田中弘さん)が思うのは、そのころからあらゆる物事がどんどん機械化されていったことです。農業では機械化の進展に合わせるように、農薬がどんどん使われ始め、川では治水のために護岸工事を始めたと、いろんな意味で時代そのものが機械万能になってしまいました。上尾隧道の着工が決まったのが昭和47年と、やはり機械化が進んできたころなのです。この年の内閣総理大臣は日本列島改造論を唱えた田中角栄さんでした。その時に、『上尾に隧道を抜くぞ。』ということが決定され、5年間での完成を目指して工事が進められ、実際に5年で完成しました(図表3-3-2参照)。上尾隧道の整備は、当時の国の動きと間違いなくつながっていたのだろうと思っています。」

ウ 道路、今昔

 「昭和27年(1952年)当時、満穂(みつほ)から松山の高校へ通っていた方は、学校が終わってからバスに乗り、上尾峠を越えて帰っていたとのことです。ある時、バスに乗って帰宅の途についていた途中、千里口(せりぐち)付近にさしかかった所で自分以外に乗客がいないことを確認し、バスの運転手さんに、山道を走って上尾峠を上がるのとバスで上がるのとではどちらが早く着くか、という競争を挑んだことがあったそうです。この方は何度か千里口でバスを降りて、峠を走って登り、大抵はバスに負けていたのですが、たまに勝つことがあったそうです。私は、この方がかけ上がった道を歩いたことがありませんが、後に三段カーブを過ぎた辺りで車を止めて下を見ると、谷川沿いにその道が見えました。道が整備されている現在、三段カーブではどのような所をバスが走っていたのかということを確かめるには、橋の工事が行われている所で車を止めて、山の方を見上げます。すると、木が生えているのが切れている所があるので、『そこをバスが走っていたんだな。』ということが分かるのです(写真3-3-2参照)。」


図表3-3-2 上尾峠を抜けるトンネル

図表3-3-2 上尾峠を抜けるトンネル