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愛媛のくらし(平成10年度)

(2)人生80年の時代に

 **さん(宇摩郡土居町天満 昭和3年生まれ 70歳)
 **さん(喜多郡河辺村北平 明治42年生まれ 89歳)
 **さん(喜多郡河辺村川崎 大正11年生まれ 76歳)
 日本人の平均寿命は『平成10年版厚生白書』によると、男77歳、女84歳である。「人生50年」といわれた時代はすでに遠い過去のものとなり、日本の社会は「人生80年時代」を迎えた。世界で一番長生きをする国において、よりよく生きることの意味を**さん、**さん、**さんに聞いた。
 「(**さん)古いから、時代遅れだからといって、捨て去るべきものばかりではないとわたしは思います。反対に、古いもの、すなわちその土地ごとに残っている風習などの中に、人間の生き方はどうあるべきかを考える上で、学ぶべきものが多いように思います。先人の生活の知恵や、伝統のしきたりに学ぶということでしょうかね。そして、せっかくこの世に生まれてきた一度きりの人生ですから、力いっぱい生きる事が大事でしょう。
 一期一会、人生は人と人との出会いの連続であります。いろんな事がありましたね。与えられた仕事(職業)をひたすら天職と思い、自分なりに努力をしたにすぎませんが、ふと気がついてみると、はや古稀(こき)の齢(よわい)(70歳)を迎えておりました。助けていただいた皆さん方のお陰といまさらありがたく思っています。
 人生80年。これからが正念場ですが、よりよく生きることの価値は、時間の長さではないと思います。今までわたしは、『平凡に生きる』ということを好んで話してきました。そして、その平凡に徹すること、平凡に生き抜くことの非凡さを、少しですが分かりかけてきたような気もいたします。あせらず、気負わず、欲張らず、老後のない人生で終わりたいと思います。」
 「(**さん、**さん)かつては冠婚葬祭のたびに、地域の人々が集まって助け合っていました。そして、その行事の場が地域の交流の場ともなり、それを通じて人々が仲良くなるとともに、自然とさまざまなしきたりが受け継がれていきました。今は、こういう交流の機会が少ないです。ですから、村内の年寄りと若い人や子供との関係がだんだん薄くなってきています。若い人が、『今の時代はこうじゃけん(こうだから)、昔のことを言ってもいけん(いかん)。』と言うと、『それはそうじゃけども(それはそうだが)、ものの道理・筋というものは通さないといけまいが(通さないといかんだろうが)。』と返して、なかなか意見がかみ合いません。でも、時代は流れているのだから、それに乗らないと仕方がない。若い人について行かないと、年寄りは置いてきぼりになるから、我を張りよったらいけないとも思っています。
 かつての田舎には、都会とは異なり、そこにくらす人々の密接な心のつながりがありました。そしてそれは、河辺村のような山あいの小さな村では、なくてはならない地域の団結の基となっていました。例えば、人が病気で倒れたといっても、都会のようにすぐに救急車が駆け付けられるわけではありません。かなりの時間が掛かる場合があります。その間、近所の人の助けを借りて処置をすることがどうしても必要となるのです。今の7、80歳代の人はこうした団結心が強いですから、何をするにしても、『そうするか。』『うん、やるかの。』と言って、まとまりが早いんです。それが、今の30歳代くらいの人になると、『そんなことを言ってもいかん(言ってもだめだ)。自分は嫌だ。』となるんですね。『そうじゃない。自分がよかったら、その分だけ他人もよくならないといけないのだから、みんなで手をつないでいこう。』と言っても、あまり分かってもらえません。村人同士の心のつながりが次第に薄らぎ、人を助けたり人のことを考える時間などない、という風潮が広まっていることは間違いないと思います。
 昔ながらの風習には、それがたとえ迷信のたぐいであったとしても、何か道理にかなっていたり、またそれを行うことによって、地域の人々を結び付ける働きがあったと思います。こうした風習をいつまでも大切にしてもらいたいと思い、伝えようとはするのですが、受け取ってくれる人が少なくなっていますね。とても残念な気がしますよ。」