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愛媛のくらし(平成10年度)

第2節 子供の世界

 人は誰(だれ)も一人では生きていけない。人と人とのかかわりの中で育(はぐく)まれ、成長していく。本節では人の一生の中で、子供時代に焦点を当て、仲間同士や家族あるいは地域の人々とかかわりながら、いきいきと生活し、成長してきた子供の姿を探ってみた。
 「1 仲間と共に」では、子供たちが、自然の中で遊びを通して仲間と共に生きてきた姿と子供時代の晴れやかな行事である新居浜(にいはま)市大島の「トウド」、北宇和郡日吉(ひよし)村の「亥の子」についての子供たちの思いを追った。
 「2 家族と共に」では、家庭の働き手の一員としての子供たちの姿と家族とのかかわりの中で育ってきた子供たちのくらしを追った。
 「3 地域と共に」では、学校生活の思い出と、地域において年中行事や大人とかかわりながら生活する子供たちの姿を追った。
 子供は、7歳までは神の子といわれたりした(①)が、それが過ぎて、小学校に入学する7、8歳から小学校または高等科を卒業して、かつての若者組に入る前の14、5歳までをここでは取り上げた。また調査地域は県内のバランスを考慮するとともに、一般に日々のくらしには、自然的、社会的な条件が影響するが、子供たちの生活には殊に、遊び場としての自然や家業の状況が大きく作用すると考え、島嶼(とうしょ)部の新居浜市大島、市街地の松山市八坂地区、山村の北宇和郡日吉村の3地区を選んだ(図表2-2-1参照)。
 調査協力者は、次の方々である。一括して以下に記すとともに、各項目ごとに名前を付した。名前を記していない部分は、複数の方々の話を総合したものである。
 **さん(新居浜市大島 明治42年生まれ 89歳)
 **さん(新居浜市大島 大正2年生まれ 85歳)
 **さん(新居浜市大島 大正6年生まれ 81歳)
 **さん(新居浜市大島 大正14年生まれ 73歳)
 4人は共に大島で生まれ、子供時代も大島で過ごした。**さんは愛媛県立師範学校を卒業して教員となり、地元大島で教鞭(べん)をとったこともあり、退職後も大島で生活している。**さんと**さんは一時期、阪神方面で女中奉公を経験したあと、大島に帰って結婚し、その後今日まで大島で生活している。**さんは、家業の漁業を継いできたが、現在は農業を営みながら社会福祉協議会大島支部長をしている。
 **さん(松山市富久町  大正10年生まれ 77歳)
 **さん(松山市北立花町 大正11年生まれ 76歳)
 **さん(松山市枝松   大正13年生まれ 74歳)
 3人は共に八坂地区に生まれ育った。**さんは唐人町(とうじんまち)(今の永木町)に生まれ育ち、兵役から帰って、家業のガラス屋を受け継ぎながら、八坂公民館で活躍し、現在は富久(とみひさ)町の老人クラブの会長をしている。**さんは立花町(今の北立花町)で生まれ、以来この町の移り変わりを見守ってきた。**さんも同じ立花町に生まれ育ち、現在は枝松に移り住んでいる。
 **さん(北宇和郡日吉村上大野  昭和3年生まれ 70歳)
 **さん(北宇和郡日吉村父野川上 昭和5年生まれ 68歳)
 **さん(北宇和郡日吉村父野川上 昭和5年生まれ 68歳)
 **さん(北宇和郡日吉村父野川下 大正15年生まれ 72歳)
 **さんは上大野(かみおおの)に育ち、兵役を経験し、戦後日吉村役場に再就職して、教育長などの要職を歴任した。退職後の現在は県生涯学習推進講師をしている。**さん、**さんは、日吉村役場のある下鍵山から広見川沿いに10km余り入った父野川富母里(とんもり)に生まれ育ち、林業と農業を生業としてきた。現在も富母里に住み、**さんは村の結婚推進委員、**さんは村の文化財保護審議会委員をしている。**さんは広見川に合流する犬飼(いぬかい)川沿いの上本村(かみほんむら)(役場から4、5km)に生まれ育ち、農業に従事してきたが、今も、農業を続けている。

図表2-2-1 本節の調査地区

図表2-2-1 本節の調査地区