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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅴ -愛南町-(平成25年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 柏の町並み

 柏(かしわ)地区は、観音(かんのん)岳(標高782.2m)の南西部、柏川の流域の狭い平野部に位置する。江戸時代は宇和島(うわじま)藩領の柏村で、庄屋が置かれていた。この庄屋に集められた年貢米は、藩の輸送船により、柏港から宇和島まで輸送され上納されていた。近代以降、数回の行政区画の変遷に伴う管轄区域の変更を経て、明治22年(1889年)に施行された町村制により内海浦と柏村が合併して内海村が誕生してからは、柏に村役場が置かれ、行政の中心地としての機能をもつ町場として発展を続けた。
 昭和20年(1945年)、内海村農業会(昭和19年〔1944年〕設立、昭和23年〔1948年〕解散)により柏の浜(はま)に澱粉(でんぷん)工場が設立され、昭和40年(1965年)ころまで操業した。また、昭和21年(1946年)には、柏の櫨(はぜ)の木所有者によって組織された南郷農業協同組合により、柏の垣内(かきうち)に製蝋(せいろう)工場が新設された。この製蝋工場は、設立後1、2年は順調に利益を上げていたが、木蝋(もくろう)の価格低迷による収益の悪化に伴い、昭和25年(1950年)に休業した。一方、昭和30年(1955年)から村の基本政策として産業振興が進められ、柏では夏柑栽培が盛んに行われた。また、副業として養豚が奨励されるとともに、石垣イチゴなどの試験栽培も行われるようになった。
 昭和43年(1968年)、国道56号のうち、御荘方面から柏までの改修が完了した。さらに昭和45年(1970年)の内海トンネル、翌昭和46年(1971年)の鳥越(とりごえ)トンネルの完成によって、新しい交通網が整備されると、地元住民をはじめ、四国遍路などでもよく利用された「柏坂(かしわざか)」と呼ばれる道(柏から上畑地(かみはたじ)〔現宇和島市津島(つしま)町〕へ至る急坂、「柏坂へんろ道」ともいう。)は、あまり使われなくなった。
 柏の町並みとくらしについて、Aさん(大正15年生まれ)、Bさん(昭和7年生まれ)、Cさん(昭和12年生まれ)、Dさん(昭和24年生まれ)から話を聞いた(図表1-1-3参照)。