データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛の技と匠(平成9年度)

(1)音色とともに

 ア 琴、三味線づくりの技

 **さん(八幡浜市中央 昭和5年生まれ 67歳)
 「こと(琴)」というのは古くは弦楽器の総称であり、「筝(そう)のこと」、「琴(きん)のこと(*8)」、「琵琶(びわ)のこと」というように使われていた。しかし江戸時代以降「筝」の別名を「琴(こと)」というようになった。したがって現在「琴(こと)」と称している楽器は本来「筝」という楽器なのである。
 「琴(こと)」の曲を「筝曲」と呼ぶのもそこからきている。「琴(きん)」と「筝」とは楽器的には異なる。基本的な相違は、「筝」は柱(じ)を立て、それを動かして調弦するのに対して、「琴(きん)」は柱(じ)を用いない点にある。
 「しゃみせん」というのは中国の「三絃」に由来する楽器で、中国語の「三絃」の発音(サンシェンに近い)が転訛(てんか)(音がなまって変化)して「しゃみせん」となり、「三味線」という当て字が使われるようになったという。また「三味線」は別名「三絃(さんげん)」ともいわれている。
 以上述べたごとく「琴(こと)」は「筝」であり、「三味線」は「三絃」ともいうが、以下、一般に使われている琴(こと)、三味線という言葉を使用することにする。
 **さんは愛媛県下で数少ない、琴、三味線づくりのすぐれた技の持ち主であり、現在、一人で仕事に取り組んでいる。

 (ア)3代目を継ぐ

 「わたしの家が琴、三味線の製作や修理などの仕事を始めたのは祖父の代からです。祖父の場合はどうも趣味が高じて本業になってしまったようです。父は宇和島市で弟子二人を抱えて仕事をしていましたが、その後中国東北部(旧満州)へ渡り、昭和21年(1946年)に現在の伊予市に引き揚げてきました。戦後、宇和島市ではかつての弟子が開業していましたので八幡浜市で仕事を続けることになりました。昭和24年(1949年)だったと思います。
 わたしは4歳の時に父とともに満州へ渡り、旧制中学校3年まで奉天(現在のシェンヤン)におりました。子供のころから何となく父の仕事を手伝わされ、三味線の皮張りも小学校の5年生のころからやりました。『忙しいからお前張っておけ。』と言われた覚えがあります。父と同じ仕事をしようと決めたわたしは、本格的に技を学ぶため、昭和24年大阪に出ました。修業先は三味線を製作している問屋でした。その後、琴づくりの勉強をするために福山(広島県福山市)にも行きました。今でも福山市は琴の生産日本一のまちです。また父の兄弟も棹師(さおし)(三味線の棹をつくる職人)や琴師(ことし)(琴をつくる職人)でしたので、そのおじたちにも教えてもらいました。八幡浜市の現在地に父といっしょに店を構えたのは昭和35年(1960年)で、現在、父の後を継いで仕事をしています。
 この仕事では一人前になるのに10年はかかります。わたしは、琴、三味線を分業ではなくすべて一人でつくることを学びました。上手下手は別にして一人で何でもできます。以前は三味線の棹(さお)もつくっていました。棹に使う材(*9)は堅いので、削るのは大変です。ガラスを削るようなものですから、普通の鑿(のみ)や切り出し(小刀)では刃がぼろぼろになってしまいます。そこで刃の先をつぶした鑿や切り出しを使います。刃が台に対して垂直に近い『たつがんな』という鉋(かんな)も使用します。三味線の撥(ばち)もつくりましたので、べっ甲細工もやれます。このやっとこ(針金、板金、熱鉄などを挟む鋼鉄製の工具)のような火ばし(写真3-2-13参照)は傷んだべっ甲の撥の修理の際使います。この火ばしを焼いておいて、水にひたした板の間に卵の白身をつけた(べっ甲とべっ甲ならば水でよい)べっ甲と撥を挟み、焼いた火ばしに挟んで圧力をかけ、熱と蒸気で接着するのです。この時の温度調節が難しい。高過ぎると焼けてしまうし、低過ぎるとつかないのです。とにかく何でもやるにはいろいろな道具が必要になってきます。鋸(のこぎり)でも、ひきまわしのこ(廻挽鋸(まわしびきのこ)ともいう身幅が細く厚い鋸で、穴などをつくるのに用いる)も要るし、胴付鋸(どうづきのこ)(歯が細かくて切断面がきれいになる鋸)も要ります。これは舞錐(まいぎり)(ろくろ錐(ぎり))です(写真3-2-14参照)。錐の先をはめた軸に横木を添え、その両端と軸の一端とをひもで結び、横木を上下に動かして軸を回転させる錐です。これはわたしのところの道具の中で一番古いものだと思います。
 現在では、琴でも三味線でも専門メーカーが機械を導入して大量に製作しているので、手づくり職人はとても太刀打ちできません。わたしのような職人が減ってしまったのは当然です。もちろん機械化といってもすべて機械にやらせることはできません。それぞれの専門分野の職人が働いています。しかし、その職人たちの人数も減らされる傾向にあるようです。今はもう、四国の和楽器店で琴や三味線をつくっている店は一軒もありません。修理を頼まれてもメーカーに送る店が多くなったのではないでしょうか。わたしのところでも、現在は初めからつくるようなことはしていません。半完成品を仕入れて仕上げています。そのほか、破損箇所の修理、三味線の皮の張り替え、琴の糸締め、そんなところが主な仕事です。」

 (イ)三味の音(ね)、琴の音(ね)

   a 三味線の皮張り

 「三味線の音はその材質にも影響されるが、種類(*10)によっても音色が異なり、また、撥(ばち)や駒(こま)の大きさや材質によっても違ってきます。しかし、音色の80%は皮で決まり、皮の張り方で決まります。
 よく三味線はネコの皮といいますが、イヌの皮も使います。ネコの皮は毛穴が小さくて音が柔らかいのに対して、イヌの皮は毛穴が粗くて音がストレートに出て、堅い響きとなります。一般にネコの皮の方がよいとされていますが、そこは好みにもよります。イヌの場合は腹を割きますが、ネコの場合は背割りですから皮の真中に乳の跡がついています。それが三味線の皮にも残っていて(写真3-2-15参照)、そこに値打ちがあるとされています。イヌの皮の乳の跡は皮の両側にあるので、張った皮にはその跡がありません。そこでわざわざネコの皮に似せて乳の跡をつけることもあります。
 皮張りの工程はおよそ次のとおりです(写真3-2-16参照)。

 ① 皮をはり付ける胴の部分を水につけ、やすりをかけて皮がつきやすいようにする。
 ② 皮を湿らせ(湿った布で挟む)、皮の周囲にきせん(皮を挟む道具)をつける。
 ③ 胴にのりをつけ、皮をかぶせ、張り台ときせんとの間にひもをかける。
 ④ 張り台にくさびを打ち込んでひもを張り、もじり(ひもをよじる竹の棒)を使ってひもをよじり、締め具合の微調整を行
  う。皮をたたきながらどこを締めればよいかを判断して、その部分のひもをもじりを使って締めていく。ただしひもだけで
  調整する方法もある(東京方面の張り方)。このやり方は皮に無理を与えないので、ネコの皮の場合時々やるが手間もかか
  り時間もかかる。

 のりはもち米でつくります。もち米をもちにしてそれを削り、煎(い)って粉にしたものです。ですから以前うちにいた職人などは、腹が減るとそれを食べていました。今でも同じのりを使っていますが、自家製ではなく、粉末ののりを購入しています。それを炊いて使う前によく練るのですが、練れば練るほど接着力が強くなります。
 三味線の音は皮が破れる直前までぎりぎりに張った時が最高です。締め具合を強くしていくと当然音が高くなっていきますが、あるところまでくるとちょっと音が下がる、『あ、おかしい。』と思うと破れます。ですからそのちょっと音が下がる手前の音が最もよい音になるのです。『過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し。』ということです。その最もよい音をつくり出すためにはどこまで強く張ればよいか、その限界を判断するのは勘の世界です。音を聞きながら決めるのですが、音は皮の質によっても異なりますからその判断は大変難しくて失敗することもあります。さらにお客に合わせて多少張り具合を加減します。上手に弾く人の三味線の皮は今申したようにぎりぎりまで張ります。上手な人が弾くと皮がわずかながら伸びて破れないからです。そうでない人の場合は皮が伸びなくて、破れることがあるので、その点を考慮して張ります。どうしてなのか、うまく説明できませんが、胴の中での音の伝わり方と関係があるようです。お客の上手、下手は撥皮(ばちがわ)を見れば分かります。上手な人の弾く三味線の撥皮には、きれいに3本の線(弦が当たってできる線)がついています。ですからきれいに3本の線がついていたら、この人は上手な人だと判断して、それなりに強く皮を張ります。下手な人の皮を強く張ると、いい音色だったがすぐに破れたと苦情を言われることがあるので、少しゆるめに張ります。要するに相手の腕に合わせて皮を張るということが大切なのです。しかし、どちらにしてもいつも弾いているほうがよいのです。最も強く張った状態で、そのままにしておくと、3か月もすれば破れます。よく『張り替えたまんまで1年置いとったら破れてしもうた。』と文句を言う人がいますが、弾かなければ破れるというのは当たり前なのです。」

   b 琴の糸締め

 「これ(写真3-2-17参照)が修繕の終わった琴です。あちこちネズミにかじられ、糸もばらばらになっていたのですが、桐(きり)の粉をのりで練ってかじられた部分に埋め、そこにもう一度焼きを入れたものです。焼きを入れるというのは、熱した鉄の玉で琴の表面(桐の木の一枚板)をこすることです。この焼き入れも琴の音色に関係があるようです。焼いてできた炭素と何かかかわりがあるのでしょうか。鉄の玉の代わりにステンレス鋼を使うこともあります。ステンレス鋼を使うと仕事がはかどるのですが、鉄の玉で焼きを入れる方がよい音が出るように思います。今は、琴の表面全体に焼きを入れることはしておりません。部分的に焼きを入れるくらいです。
 現在、琴の仕事で主なものといえば糸を張ること、すなわち糸締めです。琴糸には絹の糸と化学繊維の糸(*11)とがありますが、今ではほとんど100%化学繊維の糸を使います。絹の糸と化学繊維の糸とでは締め方も違います。以前は、家元(芸道を受け継いでいる正統の家の当主)とか有名な演奏家たちは、みな絹の糸でしたから、絹の糸を締める機会も多くありました。今ではまずありません。わたしが絹の糸を締めたのはもう10何年も前のこと、やがて絹の糸を締める技も廃れていくのではないでしょうか。
 美しい琴の音をつくり出すには、弾く人の個性や腕に合わせて糸の太さを考え、締め方を調整しなければなりません。これはまたお客と長年付き合える秘けつでもあります。お客の腕が上がってくればそれに合わせて調整してあげるのです。
 また琴糸を張る場合、13の弦(*12)をすべて同じ強さで締めるということはしません。五~十の弦をほぼ同じ強さにし、一の弦を一番弱く、高音のほうの弦(斗(と)、為(い)、巾(きん))を少し弱めに締めます。その張り具合によって柱(じ)の並びをきれいにし、柱と柱の間隔を縮めるようにします。そうすれば弾きやすい琴になります。弾きやすい琴になるか弾きにくい琴になるかは締め方一つによります。現在、全部同じ強さで締めてしまう人が多いようですが、それは間違いです。それぞれの糸の締め具合を上手にやれるのは琴に携わる職人の技です。
 現在、愛媛県立三瓶高等学校、愛媛県立野村高等学校、東宇和郡野村町立野村中学校のクラブの琴糸の締め替えに出向いていますが、その野村中学校筝曲部が今年(平成9年)7月25日、広島県福山市で開催された『第15回全国小・中学校筝曲コンクール』で最優秀賞に当たる文部大臣賞を受賞しました。大変うれしく思っています。」

 イ 竹に生命を吹き込む

 **さん(周桑郡丹原町久妙寺 昭和9年生まれ 63歳)
 「竹に生命を吹き込む」というのは、**さんが『丹原(たんばら)町文化協会だより(⑦)』に寄せた文章の題名であるが、それは製管師**さんの尺八づくりの基本的精神である。**さんは県内で数少ない(*13)尺八の製作者である一方、尺八の都山(とざん)流では「露風」、その一つの流派である上田流では「竹峰」と号する優れた演奏家でもある。

 (ア)夜の町に尺八の音(ね)

 「『中学生の頃(ころ)、夜の町を歩いていると、どこからともなく、喨喨(りょうりょう)たる尺八の音が流れてくる。しばらく立ちどまって聞き惚(ほ)れていた。美しく、ときには物悲しく哀調こもる音色は、私の心の琴線を打つ。そのとき私は尺八を習おうと心に決め(⑦)』ました。その後、尺八という楽器そのものにも興味を持つようになりましたが、尺八づくりで食べられるとは思っていなかったので、高校を出てから一時就職をしました。しかし、尺八への思い断ちがたく、大阪へ2、3年尺八づくりを習いに行き、帰ってからは、今治市の西田露秋師の門に入り、製管と尺八演奏の勉強をしたのですが、こんなことでは一人前になれないかもしれないと悩んだ末に、住友金属鉱山に入社しました。当時社内には尺八に興味のある人がいて、大鉑祭(おおばくさい)(別子銅山の繁栄を祈願した正月元日の行事)の折には、一緒に大鉑の歌に合わせて尺八を吹いたりしていました。住友には10年くらい勤め、再び露秋師の下で本格的に腕を磨くことになりました。師はわたしを気持ちよく迎えてくれたが、また一からの出直しです。それから10年余り修業してここ丹原町に家を構え、師匠の下請けの仕事から始め、やがて独立、今日に至っています。丹原町久妙寺(くみょうじ)に落ち着いたのは、ここ久妙寺が周桑(しゅうそう)平野の山際に位置する閑静な集落であり、しかも竹林が多く、尺八の原材料となるよい真竹(まだけ)が手に入りやすく、尺八づくりには好適な環境であったからです。
 『人に売れるような尺八をつくるには、10年から14、5年はかかると言われているが、そのときから(本格的な腕を磨くことになってから)ちょうど30年の歳月がたった。やっとこの頃(ころ)、ほぼ自分に満足できる尺八がつくれるように(⑦)』なりました。」

 (イ)調律が命(いのち)

 尺八はその名のとおり1尺8寸(1尺は10寸、1寸は約3.03cm)を標準として、1寸刻みで長短各種ある。
 尺八の素材は真竹であるが、尺八に向く竹と向かない竹とがある。生育環境の悪い場所(例えば岩の上など)で風雨にさらされて育った竹ほどよく引き締まっていて尺八に適しているという。竹は11月から2月までの間に掘り取るが、その際、地中に埋まっている節をいためないよう注意する。その竹に油抜き(火であぶり、表皮に浮き出る油をふきとる)を施し、乾燥させた後、さらに2、3年間陰干ししてはじめて尺八の素材となる。
 尺八の製作工程はおよそ次のとおりである。

 ① 竹材を選び、矯(た)め台を用いて尺八の形になるように曲げ、特別の物指しで長さを決め、尺八の上下になる部分の整形
  を行う。
 ② 上管9.5寸、下管8.5寸、計1尺8寸になるように真中の部分を切り落とし、上管、下管の接合部分に割れ止め(糸を強
  く巻く)を施したり、ほぞ(接合部分の一方の穴にはめこむ突起)をつけたりして、中継ぎを完成する。
 ③ 丸鑿(まるのみ)を使って竹の節を抜き、電気ドリルで管尻の真中に直径18mmの穴を開ける。さらに、がり棒という長
  い鑢(やすり)で管の中の節を取り除いたり、突き鑿で管の中を削って広くしたりする。
 ④ 歌口を整形し、箝口(はさみぐち)を埋める。箝口には象牙(ぞうげ)などを使っていたが、現在は主にプラスチックであ
  る。
 ⑤ 指で押さえる孔(こう)の位置を決め、電気ドリルで穴を開ける。
 ⑥ 管の中に石膏(こう)(砥粉(とのこ)と漆とを混ぜた石膏)で丸く壁をつくり、リーマ(*14)を通して仕上げる。

 「さて次は調律です。ゲージで管の中の太さを調べ、石膏の壁を鑢で削りながら調律するのですが、その折、チューナーで音の高低を調べ440Hzに合わします。吹いては削る作業が続きます。管の中のことですから、削り過ぎて後からある箇所に塗りを加えるということは簡単ではありません。石膏はどろどろしているから塗りたいところ以外へもたれることもあるので、なるべく削るだけで調律しますが、それは熟練を要する作業です。とにかく尺八は楽器ですから、調律は最も大切な仕事です。『紙一枚の差で音が違ってくる。全くの手さぐり作業で自分の納得のいく音をみつけていく。作業中は一心不乱、無心の境地(⑦)』です。音色を決めるのは長年養った勘ですが、わたしの家に遊びに来る尺八仲間にも吹いてもらい、その人たちの意見も聞きます。また、今、吹くほうも弟子に仕込んでいますので、来年からは弟子にも吹かせてみようと思っています。どの音がどのように悪いかが分かれば、その音を調整する箇所ややり方は決まっています。調律は全音ロ、ツ、レ、チ、ハで行います。」
 調律が完了すれば、歌口、管尻などの仕上げや管の内部の漆塗りの作業などを経て、尺八が完成する。**さんによって竹という素材に一つの生命を吹き込まれた尺八の銘は、「竹峰」又は「竹峰山」、多くの演奏家たちの手によって生かされていくことであろう。

 (ウ)アイディアいっぱい

   a 道具の工夫

 「尺八は一管一管手でつくるのですから、大量に生産することはできません。しかし、営業面からいえば、できるだけたくさんつくりたい。あまり時間をかけないで、しかも優れた尺八をつくりたいのです。そのためには、道具を開発して仕事の能率を上げることです。先ほどお話したリーマは、尺八の管の内部を整える時の効率を考えて考案したわたしだけのいわば秘密兵器なのです。他の人は、大体管の中に石膏を塗り、鑢で削っていくのでしょうが、わたしはその前にリーマを通してあらかじめ調整しておきます。そうしておけば削る際楽ですし、時間も節約できます。こんなことは師匠から学んだのではありません。わたしの独創です。丸鑿、突き鑿なども用途に合わせてつくったものです。がり棒も12種類ほどありますが、これは管の中の節を取り除くと同時に、その部分を滑らかにすることができる一石二鳥の道具です。要するに尺八づくりは完全な手仕事ですから、手の延長としての道具の工夫は大切です。」

   b 尺八愛好者に喜ばれる

 「尺八は楽器ですから買う場合はまず音色で選ぶべきです。わたしは買いに来たお客にはどれを選んでもよいから鳴りを一番に考えなさいと言っているのですが、どうしてもまず見た目で選び、それから音色というようになりがちです。特に尺八の材料の竹は一本一本みな違いますから、どうしてもその形や色に目が向いてしまいます。例えば、尺八を吹く人は大体黒い竹(黒い模様のある竹)を好みます。鳴るか鳴らないかは別にして外観が美しいからです。白っぽい竹は好みません。しかし、自然の中ではその好まれない竹の方が多いのです。ところがある人に黒い竹のほうが好まれるのならばいっそ黒い竹にすればよいではないかと言われ、思いついたのが竹をいぶして黒くするという方法です。実際につくってみたところ好評でした。お陰で黒い竹で名が通って今日に至っています。黒っぽい竹はどこか古い感じがして舞台でも映えるのです。
 わたしは、全国で展示即売会を開き、事前に案内の葉書を出したり、月賦販売の方法を取り入れるなど、従来の古い業界のスタイルからの脱皮を図りながら営業努力もしてきました。半製品で売るということもやっています。展示会などにまだ調律もしていない尺八を持って行き、自分で音をつくりたいという人に調律をしてもらい、最後の仕上げをしてあげるというやり方です。もちろん調律という仕事は専門家でも大変なのですから、だれでも簡単にできるというものではありません。結局うまくいかず、調律もこちらがすることになってしまう場合がほとんどですが、尺八を吹く人には自分で音をつくり出したいという思いがありますから、その思いを満足させてあげるわけです。
 尺八は吹く人によります。ある人がこの尺八は鳴りにくいと思っても、別の人がそれを吹くとよく鳴るということがあります。それは口もとがみな違うからです。口もとといえば、入れ歯の人もいます。そこで最近、入れ歯の人でも軽く吹ける尺八もつくっています。実際に道具を持参して、その人の目の前で歌口のあごをつける部分を削ったり、穴を少し広げたりして、吹きやすい(特に演奏中入れ歯が外れない)ように調整するのです。入れ歯の人が吹きやすい尺八という歌い文句を展示会の案内状に書き入れると、問い合わせがたくさんあります。入れ歯で困っている人は意外に多いのです。
 尺八を売り込むということは、わたしという人間を売り込むことですから、相手に信用してもらわなければなりません。吹く人の要求にこたえ、しかも目の前で調整するということも客との信頼関係につながっています。また後継者を育てることも信用される条件の一つです。弟子は今一人、すでに修業を終え、下請けの仕事をしていますので、来年からは甥(おい)を弟子にして、後継者として育て、将来、わたしの後を守ってもらおうと考えています。
 わたしは尺八をつくることが大好きです。音色に魅せられたというのか、尺八にとりつかれたというのか、尺八のことばかり考えています。『数ある尺八の中で名管と言われるものは数少ない。私はまだまだ未熟であるが、その名管を目指して、一本、一本に心をこめ、製管師として生涯、精進していきたい(⑦)』と思っています。」

 ウ 独学で研究

 **さん(東予市壬生川 昭和31年生まれ 41歳)
 愛媛県東予市にギターを製作している人がいる。**さんがその人である。**さんのように一人で手づくりギターに取り組んでいる専門家は全国でも数少ない。

 (ア)ギターを分解して

 「わたしは、中学校2年生のころ、ギターに興味を持ち、友人たちと弾き始め、フォークソング(*15)などを口ずさんでいましたが、歌そのものが好きだったというわけではなく、ギターの音色に何となく魅力を感じていました。高校時代に、ある時1枚のレコード(*16)から流れるギターの音色に強い衝撃を受け、自分でギターをつくってみたいと思い、実際にギターづくりを試みたことがあります。しかし、まだ子供だった上に材料が手に入らずうまくいきませんでした。その後大学に進学して、楽器店へもしばしば出入りしているうちにますますつくりたいという気持ちが強くなり、ついに下宿で取り掛かりました。こたつが作業台となり、畳の上に新聞紙を敷いたような作業場です。材料は手に入る範囲内でギターに使う木に近い木を求め、鉋(かんな)をかけ、型に切り、板を曲げるには湯沸かしポットを使い、その湯気で曲げました。あまりきれいにはできませんでしたが、何とか曲げることができました。
 ギターづくりの夢がますます膨らんだわたしは、ついに大学3年で帰郷、好きな道に進む決心をしました。それから3年くらい研究に専念しました。その間、長野県でマンドリンを製作している父の知人のところへ行き、楽器づくりで必要な機械や道具、材料の仕入れ、加工の手順などについて教えてもらったことはありますが、直接ギターづくりについて教えてもらったことはありません。すべて独学で製法を学びました。ギターを分解して研究したのもそのころです。分解したのは当時25万円もしたアメリカのマーチン社のギターです。それをばらして細部に至るまで調べたり計測したりしました。わたしは、同社のギターの音色が一番好きでしたし、今でもその音を目指して製作を続けています。
 26歳で工房を開き、本格的につくり始めました。それまでに道具類は少しずつそろえていました。ギターの側面板の型をつくるわく(写真3-2-20参照)などは手づくりです。けっこう時間がかかるので最初は2種類だけつくり、その後順々に増やしました。道具類もほとんど手づくり、鑿(のみ)や鑢(やすり)など用途に合わせてつくりました。」

 (イ)ギターづくり

   a 美しい音色を求めて

 「ギター本体の材料は、メーカーによって多少の違いはありますが、ボディ(胴)の表板にはマツ科のスプルースという材を使い、裏と側面板にはマメ科のローズウッド(紫檀(したん))を使用します。ネック(棹)の材はセンダン科のマホガニーです。表は軽くて強度のある材がよく、その振動を裏板がはね返し、横は表の振動を支えるという構造になっています。材にはその材の持つ独特の音色がありますから、まず材によって音色が決まります。
 表と裏の板は削って(板の厚みも音色に影響する)、型に合わせて切断します。さらにそれぞれの内側に桟(さん)をつけるのですが、表板の桟をどのようにつけるか(写真3-2-21参照)によって音色が変わってきます。つける形に基準はないのですが、そのつけ方、削り方などを工夫することによって、好みの音をつくり出すことができるのです。言わばこの桟に美しい音色をつくり出す秘密があるのです。わたしはアメリカのマーチン社の桟のつけ方を参考にして、今までいろいろ形を考えてきました。しかし弾く人の好みもあり、これが一番よいと決めてしまうことはできません。そこら辺りが難しいのです。メーカーによって音色が違うのは、ほとんどこの桟のつけ方、削り方の違いによるものです。同種のギターの桟の形は一定です。わたしのところでも同様です。ただし、手づくりですから、厳密に言えば一つ一つ多少は違います。そこで、ばらつきがないように、しかもよりよい音を求めて、桟一本一本のつけ具合、削り具合を確認しながら調整しています。音色については、表板をたたいて、その音の響きで判断します。
 側面板は熱で曲げます(熱湯で曲げる方法もある)。水につけた板を楽器用のプレス(電熱器になっている)で曲げます。作業場には大型の機械もありますが、それらは木工機械であり、直接ギターをつくる機械と言えばこのプレスくらいなもので、その外は手の技の延長としての道具類です。
 ボディ(胴)を組む時、特に留意しなければならないのは湿度です。ボディの表板は少し膨らみをつけてはり、湿度が高くなれば膨らみが高くなり、低くなれば平らに近づくようになっているのです。初めから平らにはると湿度が低くなると割れてしまいます。湿度を50%~60%にしてはれば日本全国どこででも通用するギターになります。例えば65%の湿度でつくると湿度が低い冬の北海道では割れる恐れがあり、40%の湿度でつくると九州辺りの湿度の高い地方では膨らみが高くなり過ぎて弾けなくなることもあります。そこで除湿器などを備え、室内を一定の湿度(55%が最もよい)に保って製作しています。
 音色は仕上げの塗装によっても、ネック(棹(さお))の取り付け方によっても、微妙に変化します。またナットやブリッジと呼ばれる駒の高さ(*17)によっても音が変わってきます。ですから音が変化する要素はいろいろあり、必ずしもボディだけではありません。しかし、音色づくりには表板内側の桟を含めたボディづくりが一番深くかかわっています。
 どういう音色を好むかは弾く人によって違います。わたしはアメリカのマーチン社の製作したギターの音色が好きなのですが、それを押し付けることはできません。もちろん音のよしあしはあります。そこでバランスのよい、よく音の出るギターをつくり、音色はお客の好みに合わせます。ですから必ずしも自分の好きな音色のギターばかりつくっているわけではありません。」

   b 手づくりのギター

 「大きな楽器工場では機械化され、分業で流れ作業です。工員はそれぞれ自分の専門分野だけを担当しています。それに比べ、わたしのところは手づくりで、しかも一人でなにもかもやる。だからおもしろいとも言えるのです。ある分野の仕事だけではどうしても飽きてきます。わたしにはそれがないのです。最初から仕上げまで作業の工程が多いので、毎日楽しんで続けられます。機械化されている工場でも、手でつくらなければならないところはあります。わたしもそのような工場制にしてもかまわない、ポイントになるところを手でつくり、品質さえ落とさなければそれでよいと思っています。要は楽器自体がよければいいのです。ただよい楽器をつくろうとすると、どうしても手仕事が多くなりますので、これからも手づくりの魅力を追求していきたいと考えています。
 わたしのギターは手づくりですから量産ができず、あまり出回ってはいませんが、製品は東京、大阪をはじめ名古屋、福岡、熊本、広島などの楽器店に置かせてもらっています。あまり営業努力はしていないのですが、お陰さまで店から注文があります。個人からの注文もありますが、原則として楽器店を通してもらうことにしています。つくることに専念したいからです。実は今まで愛媛県内の楽器店には置いてなかったのですが、今年(平成9年)7月から松山の楽器店にも置かせてもらうことになり(写真3-2-23参照)、これからは県内のお客には松山の楽器店へ行ってくださいと言えるようになりました(松山の楽器店の話では、**さんのシーガル〔ブランド名〕というギターはないかとの問い合わせが何件かあったので置くことにしたということであった。)。修理の依頼もあります(**さんは特にマーチン社の古いギターが修理できる全国でも数少ない技術の持ち主である。)。
 わたしは、ギターづくりを職業として選ぶについてあまり悩んだりしませんでした。大きな決断をしたとも思っていません。そのころは若かったし、とにかくつくりたかったのです。したいことを始めたという感じです。まあ趣味の延長くらいに考えていました。郷里で仕事を始めたのも特別な理由があってのことではありません。どこでつくっても同じだから郷里で始めたのです。そして今までに500余りのギターを製作してきましたが、これはと思うような自信作などありません。まあ前よりよいものができたかなの連続です。技術の世界では頂上を極めるということはありません。もうこれでよいということはないのです。これからも技を磨き、より美しい音をつくり出したいと思っています。
 仕上げが終わると、検品のために必ず弾き、音色をたしかめます。そのように製品をいつも弾いていますので、紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)とでもいうのでしょうか、自分用のギターはなかったのです。先般やっと自分で自分が使うギターをつくりました。現在製作しているのは主にフォークギターですが、今後はクラシックギターやバイオリンづくりにも挑戦してみたいと思っています。バイオリンは趣味でつくればいいかなと考えています。」と**さんの夢はますます広がっていく。


*8:琴(きん)とは中国の撥弦楽器。七弦琴ともいう。構造上は筝に似ているが、筝とは別種の楽器。
*9:三味線の棹には紅木(こうき)、紫檀(したん)、花梨(かりん)などの材が使われる。
*10:三味線の種類は『通常、棹の幅によって、太棹、中棹、細棹の三種類に分かれる。太棹は義太夫節、津軽三昧線、浪曲
  (浪花節)に、中棹は常磐津節、清元節、新内節、地歌などに、細棹は長唄、荻江節、小唄などに用いる。(⑥)』
*11:化学繊維の糸は丈夫で長持ちするが、絹の糸は、きちっと締めた場合2曲くらい強く弾き続ける(30分程度)と切れて
  しまう。
*12:琴の13本の弦は、演奏者の向こう側から手前に向かって、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、斗、為、巾と呼
  ぶ。
*13:**さんの話によると、趣味で製作している人は別にして、専門に尺八を製作している人は愛媛県に3人(四国ではほ
  かにいないので四国でも3人)、全国でも12、3人くらいだろうということであった。
*14:管の中に塗った石膏の型を整え、調律の段階で困らないようあらかじめ管の穴の太さを決める道具。
*15:アメリカで生まれた民謡風のポピュラーソング。日常の生活や庶民の感情を歌うなど、社会性を反映した歌が多い。
*16:曲名はキャリーオン。演奏はアメリカのクロスビー、スティルス、ナッシュ、アンドヤング4人のグループ。
*17:ナットの高さは1.5mm~2mmくらい、ブリッジの高さは10mm~15mmが標準である。

写真3-2-13 火ばしで撥の修理

写真3-2-13 火ばしで撥の修理

平成9年7月撮影

写真3-2-14 舞錐(ろくろ錐)

写真3-2-14 舞錐(ろくろ錐)

平成9年7月撮影

写真3-2-15 三味線の皮

写真3-2-15 三味線の皮

平成9年7月撮影

写真3-2-16 三味線の皮張り

写真3-2-16 三味線の皮張り

平成9年7月撮影

写真3-2-17 修繕された琴

写真3-2-17 修繕された琴

新品同様、みごとな出来栄え。平成9年7月撮影

写真3-2-20 わくに固定された側面板

写真3-2-20 わくに固定された側面板

平成9年7月撮影

写真3-2-21 音色をつくり出す表板の裏の桟(さん)

写真3-2-21 音色をつくり出す表板の裏の桟(さん)

平成9年7月撮影

写真3-2-23 松山の楽器店に陳列されている**さん製作のギター

写真3-2-23 松山の楽器店に陳列されている**さん製作のギター

平成9年9月撮影