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愛媛の技と匠(平成9年度)

(1)火の酒「焼酎」

 **さん(松山市石風呂町   昭和23年生まれ 49歳)
 **さん(東宇和郡城川町魚成 昭和28年生まれ 44歳)
 焼酎(しょうちゅう)は、ウイスキーやコニャックに相当する日本の名蒸留酒といわれている。酒税法の分類では、連続式蒸留機による甲類(純アルコールを水で薄めたもの)と伝統的な単式蒸留機による乙類とに分かれる。乙類は、原料の違いにより、芋(いも)・麦・米・栗(くり)焼酎などがあり、原料独特の風味を生かしている。愛媛県においても、主に酒造会社の副業としてつくられてきた。特に、全国でも有数のクリの産地である県の南西部の焼酎工場で、焼酎の製造等について話を聞いた。

 ア 焼酎づくりのはじまり

 (ア)粕取(かすとり)焼酎

 **さんに焼酎づくりの始まりについて聞いた。
 「昭和16年(1941年)からの操業ですが、最初につくっていたのは粕取焼酎でした。清酒は、元々やっていなかったんですが、近くに造り酒屋があって、そこの酒粕を使ってつくりだしたのが始まりです。焼酎を本格的にやりだしたのは、昭和37年(1962年)法人化して有限会社にしてからです。昭和42年から株式会社にしました。
 うちでつくる焼酎は、九州の球磨(くま)焼酎の流れなんです。」
 焼酎の本場は、沖縄(泡盛(あわもり))や九州の鹿児島(芋焼酎)・熊本(球磨焼酎)であり、そこでは焼酎だけをつくっている酒造家が多い。愛媛県においては、清酒会社の副業とするところが多く、現在は、焼酎を専門で醸造するところは1社である。
 焼酎には、米を原料にする米焼酎や泡盛りをはじめ芋焼酎、麦焼酎、栗焼酎やその他のデンプン質を多く含む穀類などを使った個性あるものが多数あるが、粕取焼酎は、そのうちの米焼酎の一種で、清酒の酒粕からつくられている。蒸留技術の発達した現在では、アルコール分を約8%ほど残している酒粕に水を加えてどろどろの状態にしたものを蒸留するのであるが、それ以前は、酒粕を桶に入れ、それを上から足で踏み込んで「踏み込み粕」を再発酵と熟成させてから蒸留したようである。
 「カストリ」といえば、第二次世界大戦直後に、ヤミ市に出回った怪しげな密造酒(ヤミ焼酎)を思いうかべるが、それは芋や米を原料に急造した粗悪品で、中にメチルアルコールが含まれることもあり、命を失ったり失明する者も出たりして、本来の粕取焼酎のことをさしたものではない。また、カストリやバクダンといったヤミ焼酎が氾濫する中、酒類不足の解消のため新式焼酎(甲類焼酎(*8))が盛んにつくられるようになり、昭和24年(1949年)には全国で15社を数えるほどになった。
 戦後、経済復興がなされてきた昭和35年(1960年)ころになり高級品志向の傾向が全国に広がり始めると新式焼酎の需要は激減し、さらに昭和40年ころからの国産ウィスキーやビールの需要が増えてくると、その分焼酎の需要は減っていった。ところが昭和50年代に入ると、焼酎は爆発的に売れだしいろいろなタイプのものが出てくるようになった。

 (イ)栗焼酎の誕生

 焼酎は、基本的にはデンプン質や糖質から製造するものなので、各地でそれぞれ有利な多収作物を使って多種多様なものができている。愛媛県においては、平成9年の栗の生産量が全国第3位(1位は茨城県、2位は熊本県)であり、特に中・南予の山間部でその8割近くを生産している。その特産物を使って、栗焼酎のできた経緯を**さんに聞いた。
 「栗焼酎を初めて商品化したのは、昭和50年(1975年)です。芋焼酎醸造のヒントと地場産業をどうするかということなんかを考えに入れたんです、ここらあたりは、栗の産地でしたので。また、普通の焼酎はどこにでもあるから、少し変わったものをということで、研究し始めたんです。その当時は、芋焼酎が主流でした。栗は糖度が高いので、芋に変わるものとして目を付けたんです。
 また、昭和50年ころは栗の生産のピークでもありました。栗をつくっても売る先がないというので、一番多いときは年間100tくらい使っていた時期がありました。あの当時は栗焼酎と米焼酎が主流でした。今は麦焼酎が主流です。
 昭和50年代の焼酎ブームのときは、毎日トラックで2台くらいは商品を出していました。
 栗焼酎を全国で最初に手がけたのがうちですし、今全国でつくっているのは3、4社はあると思うんですが、全国に流しているのはうちだけですので、栗焼酎ではどこにも負けたくないと思っています。」

 イ 本格焼酎

 愛媛県の特産物の一つに数えられるようになった栗焼酎の製法について技師の**さんに聞いた。

 (ア)栗焼酎をつくる

   a 一次仕込み

 芋焼酎でも栗焼酎でも仕込みには、一次仕込みと二次仕込みがあり、使う麴菌や酵母菌は同じである。
 「始めのころは、仕込みの期間には九州から杜氏をやとっていました。作業は、木桶を使って米を洗い、麴をつくるのに完全密封した大きな部屋の諸味蔵(もろみぐら)一杯にもろぶたに入れて寝かせていまして、夜中にも温度管理なんかを交代でしなくてはいけなかったので、5人から6人ぐらいのチームで来ていました。今の事務所あたりが、麴をつくるところでしたが、人手もなくなり人件費も高くなりましたので、13年前に機械を入れたんです。といっても、杜氏が1人は、いるんですよ。入れた機械は、回転式のドラム(写真1-2-17参照)と恒温装置なんです。まず、この回転式ドラムに、精白米を入れて洗米後、約40~50分くらい水に浸け、その後水切を約1時間程度行い、蒸気で約1時間程度蒸します。その後ある程度まで冷却(30℃くらい)をし、種麴(白麴菌)を入れてよくなじむように回転させます。夜間はヒーターを入れて翌朝まで保温状態を維持し、朝一番に隣の製麴装置のある棚へ移し、夕方に手入れ作業を行い、1昼夜おいて、翌朝、仕込みにかかります。仕込みは、大きなホウロウ製のタンクに麴と麴の1.2~1.3倍の水を加えて焼酎酵母を麴の約0.3%(重量%)くらい入れてやります。1工程が50時間くらいかかります。室温(20~25℃)で仕込みますと、翌日から発酵を始め、炭酸ガスを発生し始めて、3、4日目には温度が32、3℃になります。約1週間発酵させて二次仕込みに移ります。
 仕込みタンクは、現在は全てホウロウ製です。仕込んでから、温度の変化の具合で、1日1、2回程度かくはんを行います。
 ここで使う水は、すべて水道水です。ここ城川町の水道水は、自然水に近い水ですし、保健所が検査に来ても、水道水だと検査が軽いんです。」
 この焼酎用の白麴菌は、デンプンをブドウ糖に糖化する日本酒用の黄麴菌とちがい、デンプンの糖化とともに多量のクエン酸の生産も行うので焼酎の一次諸味は非常に酸度が強くなる(pH3.1~pH3.3)。この強い酸度のおかげで、空気中に浮遊している腐敗菌などの雑菌の侵入もなく、酸度の強いところでも成育できる焼酎用酵母だけのアルコール発酵をさせることができる。なお、この多量のクエン酸は不揮発性(ふきはつせい)(蒸留されにくい)なので、蒸留しても粕のほうに残り、焼酎に酸味がつくことはない。

 (イ)二次仕込み

 二次仕込みでは、芋や栗などのデンプンや糖類を入れ込んで、それぞれ独特な風味をつける。酒税法では、使用原料の50%以上を占める材料が、出来上がった焼酎の名前になる。
 「栗焼酎は、一次仕込みで仕込んだ一次諸味(約400kg)に、クリを蒸して渋皮を除けて実だけを破砕したもの(約800kg)を二次仕込みで加えて、1週間から10日間くらい発酵させるんです。麦も米もクリも基本的には同じで、そこに何を入れるかでそれぞれ特徴のある焼酎になるんです(写真1-2-18参照)。
 栗焼酎の仕込みは、9月から10月一杯まででやってしまいます。米と麦の仕込みは年中できますが、栗だけは、冷蔵庫に入れておいても、中身が白くなって取れなくなるんで、一気にやってしまわないといけないんです。
 クリは、城川町、鬼北(きほく)、内子町、伊予中山農協から仕入れています。ここ数年はクリの豊作が続いています。クリ生産農家が減ってはきているようですが、まだまだここいらのクリで調達できると思っています。」
 外国の蒸留酒の原料を考えてみると、中国の白酒(ぱいちゅう)はコウリャンか麦から、スコッチ・ウイスキーは大麦から、バーボンはトウモロコシから、ブランデーはブドウから、ウオッカはライ麦から、西インド諸島のラムは黒糖からと決まっている。ところが、焼酎はそれにくらべ、二次仕込みの原料の多様性によって多くの種類がある。基本的にはデンプン質か糖類が得られれば、その材料はいろいろなものを使うことができるので、既存のもの以外の新しい焼酎、例えばミルク焼酎などもつくられている。

 (ウ)蒸留

 蒸留は、二次諸味よりアルコール分を取り出すのに重要な操作であるが、エチルアルコールのみを分別蒸留する連続蒸留と香気成分も一緒に出てくる古くから伝わる手作り感覚の単式蒸留がある。単式蒸留器では、江戸時代に「ランビキ」という装置がよく知られているが、現在では蒸留器内部の圧力を真空ポンプで下げ、低温で効率よく蒸留する減圧蒸留装置が主に使われている(写真1-2-19参照)。
 「蒸留は、減圧蒸留装置でします。今ではこれが主流(9割以上)になっていますが、以前は常圧蒸留装置でやっていました。常圧蒸留装置でやった方が、いろんな成分が含まれたまま出てきますので、後の精製に手間がかかりますが、くせがあります。
 最近は、あまりくせのないものが好まれますので、減圧蒸留装置の方が主流になっていますけど、長い間寝かせて熟成させるにしても、常圧蒸留装置の方が本当はいいんですけれどもね。
 栗焼酎の諸味の一部は、常圧蒸留装置を使って風味を残すようにしています。
 後の廃液の処理は、清酒は板粕として商品として出せれますが、焼酎は100℃以上に沸騰させていますからどうしようもないんで飼料にしようとしました。しかし、採算が取れないので、今は肥料として土に帰しています。
 減圧蒸留装置は、蒸留する温度が40℃前後の蒸気で行いますので1回に諸味3,000ℓを処理できますが、常圧蒸留装置は、180℃の蒸気で行い、諸味が膨張する関係上、2回に分けてやらんといけません。
 蒸留した蒸気の冷却は、製品タンクの上の筒状の冷却器の中で水の中に入れた蛇管(じゃかん)の中を通してやっています(写真1-2-19参照)。出始めは、80%くらいのアルコール濃度のものが出てきますが、次第に濃度は下がり10%前後までになると、終了にします。その間、だいたい3、4時間です。それ以下のを取ると、悪い成分のものがはいってきます。麦焼酎の場合、減圧蒸留装置を使って1回の蒸留で1升瓶に1,000本ちょっとぐらいとれます。」

 (エ)熟成

 同じ蒸留酒のウイスキーやブランデーが熟成期間が重要であるように、焼酎においても大切である。焼酎の熟成と香気の変化は、初期熟成(3~6か月)に刺激臭味が減少し、中期熟成(6か月~3年)に香味の安定や丸味が増加し、古酒(こしゅ)化期(3年以上)で丸味の増加と固有の香味が形成されるとまとめられている(⑦)。
 「その後、貯蔵タンクに移送したあと、検定(アルコール度35~42%)しまして一定期間寝かせるんですが、長期に寝かせるものと、短期で出すものとに分けるんです。
 貯蔵タンクは、瓶を一時使っていましたが、今はホウロウ製のタンクです。50石タンクで、10,000ℓちょっとは入ります(写真1-2-20参照)。
 貯蔵蔵の温度は、夏でもあんまり上がらないんですよ。夏は、部屋の外気温は20℃くらいでしょうか。それでも夏は、焼酎の量が膨張して増えるんです。それを、いちいち計って税務署に報告しなくちゃいけないんです。焼酎はここにある間は、税金(酒税)がかからないんですが、一度ここを出ると税金がかかるんで、すべてのタンクごとに毎月の容積の記録を翌月末に報告しなければいけないんです。
 貯蔵タンクに入れて半年以内に出すものは、途中2回ぐらいガス抜きという作業をします。どういう作業かというと、蒸留した焼酎をタンクに満タンに入れてしばらく静置しておくと表面にいろんなものが浮いてきますので、下2分か3分残して残りをろ過してそれぞれ違うタンクに移すんです。長期に寝かせるものは、そういったものが味にでてきますのでしません。ただ、長期のものについては、1年ごとに確認の意味で中を見ます。
 通常商品として大量に出すのは、最低2年間寝かします。焼酎は、寝かせれば寝かせるほど味はよくなります。一番古いので、35年ものがあります。
 寝かせるというのは、特に発酵することはないんですが、味をまろやかにするというのかなじませるというんですが、味がトロッとしたものになるんです。
 寝かせると、まろやかになるというのは、菌自体は死んでいますが、焼酎自体は生きているんじゃないかと思います。逆に、化学変化を起こすということは、酸化しすぎて味がおかしくなるということですから、菌がいない方がそのもの自体はいい方向にいくんじゃないかと思いますよ。そういう点からいえば、カシ樽やコルクで栓をした瓶のように息をするというのか中に発生したガスが外に出ていき、外の空気が入ってこないというのがいいんじゃないかなと思います。ただ、うちは小規模ですのでこれは何年ものといって、1タンクごとにおいとけないんです。だから、米・麦・栗焼酎を1タンクくらい寝かしておいて、その原液を使って何年物といって出しています。本来なら、ウイスキーのようにカシ樽に寝かしておいて、それぞれの寝かした年数で出すのがいいので、将来的には、そういう方向にいかないといけないなと思います。
 製品として薄める場合は、水道水を精製ろ過したものを使ってやっていますが、この原液のろ過やブレンドが決め手になります。特に、自社独自のものはブレンドのしかたで大きく味が変わります。」

 (オ)焼酎新時代

 焼酎のアルコール濃度は、酒税法で甲類が36%未満、乙類が45%未満と上限が決められている。上限の濃度に違いがあるのは、甲類の濃度を高めるとウォッカと類似してしまうので低めに設定されているためである。最近の酒税法の改訂や消費者の価値観の多様化によって焼酎の消費も新しい時代を迎えている。
 「うちは、昭和50年代には栗焼酎と米焼酎が主流でしたが、今は麦焼酎が主流です。全国的にもいろんな焼酎がでてきて、今は麦におさまってきたというところです。ただ、かなり出荷量は落ち込んでいます。九州のほうの芋焼酎も落ち込んでいるようです。昭和50年代の焼酎ブームの時には、愛媛のお土産として栗焼酎がよくでていました。」
 全国の焼酎の生産量は、昭和10年(1935年)ごろには、約9万kℓであったが、昭和25年(1950年)には、日本酒と同じ量の18万kℓとなった。昭和30年ごろは28万kℓとなり以後20万kℓ台を推移していたが、昭和55年(1980年)には甲類35万kℓ、乙類20万kℓと急増し、平成6年には甲類33万kℓ、乙類31万kℓとなっている。
 「最近の焼酎の飲み方は、くせのない甲類をいろいろなもので割って飲むのが好まれていますが、乙類も六四のお湯割り(焼酎6:湯4)かロックで飲むと一番おいしいと思いますので、焼酎独自の味を楽しんでいただく方向でこれからも取り組んでいくつもりです。焼酎は蒸留していますので余分な成分がないので健康にもいいと思います。
 今年(平成9年)からウイスキーの税金は低くなり焼酎は増税されましたので、いままでの焼酎だけでは厳しくなってきたですね。これからは、個性のある味づくりを考えていかないといけないと思っています。そのためには、寝かした焼酎をいかに生かしていくかだと思っています。付加価値をいかに高めていくかです。それと、焼酎は低価格の庶民の飲み物だったので、残りものでつくったという感覚があると思うので、もっと焼酎のイメージをアップさせる必要があります。」


*8:新式焼酎の歴史は古く明治44年(1911年)に始まっている。その後、第一次世界大戦でアルコールの医療的・軍事的・
  化学工業的需要が増加し、連続蒸留の技術は飛躍的に進歩したが、日中戦争や第二次世界大戦が続くことにより飲用として
  の新式焼酎の生産は減少していた(⑥)。

写真1-2-17 麴を製造するための回転式ドラム

写真1-2-17 麴を製造するための回転式ドラム

平成9年11月撮影

写真1-2-18 仕込み蔵の仕込みタンク

写真1-2-18 仕込み蔵の仕込みタンク

ホウロウ製のタンクが並ぶ。平成9年11月撮影

写真1-2-19 減圧蒸留装置

写真1-2-19 減圧蒸留装置

タンクが3つ並び、右端のタンクが蒸発タンクで焼酎諸味を入れ、アルコール分を蒸発させ、真ん中の製品タンクの上の筒状の冷却器で冷却され、下の製品タンクに焼酎が集まる。平成9年11月撮影

写真1-2-20 貯蔵タンク

写真1-2-20 貯蔵タンク

ホウロウ製の貯蔵タンクが並ぶ。平成9年11月撮影