データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛の技と匠(平成9年度)

(1)細く長く色鮮やかに

 **さん(松山市堀江町   昭和17年生まれ 55歳)
 **さん(温泉郡川内町吉久 昭和21年生まれ 51歳)
 小麦粉は、他の穀物にないグルテン形成(*1)という不可思議な特性を持っている。
 小麦粉をおいしく食べる世界的二大発明として、そうめんのように麵線(めんせん)状にして食べる方法と、焙焼(ばいしょう)(あぶり焼く)パンのように膨らませて食べる方法が挙げられる。ともに小麦粉のグルテン形成という特性を生かしたものである。小麦粉を麵線状にするアイデアは中国の唐代(618~907年)に考えられ、宋代(960~1279年)により充実したものである。日本では、平安中期から鎌倉中期にかけて歴史に登場している(②)。
 そうめんは、初めの名は索麵(さくめん)であるが、索の字を崩して書いたのが素の字と読み取られ、素麵と誤記したのがそのまま名称となったといわれている。そうめん、うどん、そばなどは手数を掛けた粉食として「晴の日」の食物であるとともに、自家製の簡単な麵類は米の代用として食された。そうめん・そばなどは江戸中期には既に産地が形成されていた。そうめんは、備中(びっちゅう)(岡山県西部)・伊予(愛媛県)・阿波(徳島県)・讃岐(さぬき)(香川県)・大和(やまと)(奈良県)などが産地であった(③)。
 そうめん産地として適した条件は、良質のコムギや塩がとれ、製粉が可能でゴマや菜種や綿実(めんじつ)の油が得やすいこと。さらに、冬場そうめんの乾燥に都合のよい気候に恵まれていることなどである。このような地域が今のそうめんの名産地となっている。そしてこれらは、いずれも西日本一帯に広がっている(②)。
 「伊予の松山名物名所、三津の朝市、道後の湯、音に名高き五色そうめん(*2)」と愛媛を代表する民謡、伊予節(*3)に歌われた五色そうめんは、享保(きょうほう)年間(1716~36年)から270余年、今もなお四国松山に伝統の風味を伝えている。

 ア 今に生きる手延べの技

 **さんは昭和33年(1958年)から、**さんは昭和59年(1984年)から五色そうめんの製造に携わってきた。省力化、機械化が進められるなかで、今に生きる手延べそうめんづくりの技について話を聞く。

 (ア)そうめんづくりの移り変わり

 「(**さん)昭和33年ころは、松山市街地の中心部で、そうめんを製造していました。手延べそうめんは、工程の間に熟成(*4)の時間を置くので、勝負が長くなります。それで、早朝5時ころから作業をするので、入社したばかりのときは慣れるのが大変でした。
 そのころ、そうめんづくりはほとんど手作業でやっていました。手で小麦粉をこね、それにナイロン布を掛けて20分前後足ふみをして、麵の生地を鍛えていました。これをすると、夕方には足に疲れがでて大変でした。かけばも手でかけていました。こびきも一方の管の両端を足で押さえて他方の管を手で持って延ばしていました。1、2回で、ぱっぱっとする人と、3、4回気長に丁寧にする人といろいろと個人差があり、人により延ばし具合が違い、それが、最終仕上げの段階で、延びにくい麵と延びよい麵になって出てきます。手荒い人がつくったものでは、最終段階で麵がどうしても切れるのです。それまでの作業の善し悪しが、正直に出てくるのです。そうめんの製造を街中でするので、乾燥は、おがくずを燃やしてその熱で乾かしていました。乾燥させて裁断した後、朝早くからみんなで計量して手で束ねるのです。それをひねりと言っていましたが、この作業も大変でした。そのころのは、1束1束手で包装してのりでとめ、50gの束の白麵に4色の色麵の束を加えて箱に入れていました。製造の合間に、ふろしきに包んで自転車の荷台に乗せて、土産物店などへの配達もしていました。
 乾燥も、天日乾燥では雨や風のときはできません。そのときは、室内で少しずつしていました。天気がよくなったら麵を屋外に出し、小雨が来たらまた中へ入れます。天候を見ながらの仕事で気遣いがいりました。昭和44年(1969年)にボイラーの熱で乾わかす室内乾燥に移りました。これになると風や晴雨に関係なしにできました。昭和53年(1978年)ころは、工程の機械化はまだまだで、麵を鍛えるのにまだ足踏みをしていました。工程に機械を導入してもすぐには、あのような細い真っすぐな麵になかなかならないので、他県へも研修に行きながら、太さが1mm前後の真っすぐな細い麵にするのに苦労しました。川内(かわうち)(温泉郡川内町)の手延べ工場は、昭和58年にできました。その4、5年前から他社の研究もして準備を進めていたわけです。
 そうめんづくりは家内工業が中心で、代々伝わった製造工場や乾燥場を、住まいに隣接して持っていて、時間に比較的縛られずに製造をやっているところが多いのです。このやり方は、少量であればできますが、企業化して量産を目指し、しかもそれに多品種の製造が加わるとなると、そうはいかないのです。ですから川内工場の建設では、伝統の手延べそうめんの高い品質を保持しながら量産化に対応できるようにしようというのが出発点でした。
 量産するには手作業では間に合わないということで、機械化が進められましたが、それまでの体験で身につけてきた麵づくりの技は生かされたと思います。」

 (イ)手延べそうめん(*5)と機械そうめん

 「(**さん)麵線のつくり方には、手延べそうめんの手でひねって延ばす方式、うどんの線切り方式、春雨のような切り出し方式があります。そうめんにも手延べそうめんと機械そうめんがあります。機械そうめんの手法はうどんの線切り方式と同じで、薄い板状に圧延した麵帯をくし状の回転切り歯でごく細く刻みます。うどんなどとの区別は、JASの規定では直径が1.3mm未満のものをそうめんというのです。大量生産に適し、生産の能率は手延べ麵の10倍です。
 手延べそうめんは、小麦粉に塩と水を入れて練り、円板状に圧延した麵帯に、包丁で渦巻状に切れ目を入れて、これを最後まで全く切らないで、1本の麵をどんどん延ばしていってあの細い麵線にしていくのです。そうめんの製造は、もともと家内工業が主で手作業でしたから、『こりゃしんどい、どうしょうか。』という繰り返しのなかで、省力化と品質保持の面から、機械屋さんと相談しながら各工程の機械の開発、改良を重ね、その工程の作業の一つ一つを機械に置き換えてきました。だが、部分的に機械を導入しても、手法は機械そうめんと異なり伝統的な手延べの工程に従って、熟成の時間も十分とって、切らずに最後まで延ばしていくのです。手延べは、工程で油を塗って無理をせず、熟成にも時間をかけているので、こしが強く歯ごたえがあり、特有の滑らかで口当たりのよいそうめんになっています。ゆでてすぐのときはあまり差がでませんが、少し時間がたつと機械麵は柔らかくなりますが、手延べはこしが残っています。」

 イ グルテンを生かす技

 「(**さん)麵のおいしさは、主原料の小麦粉に大きく左右されるので、小麦粉は厳選します。一番おいしいのは中力粉(*6)ですが、グルテンが少ないので中力粉に強力粉(きょうりきこ)を若干混ぜます。ただ、強力粉の割合を上げ過ぎると固いだけの麵になり、おいしさが生かされません。粉の配合にも神経を使います。
 手延べそうめんの製造には、気温の低い冬場がグルテンの働きもよくて、条件的に一番いい訳です。当社でも10月から翌年の4月に製造しています。気温が上がるとグルテンの老化が早く進み、延びが悪くなり、麵線が切れるときもあります。塩水は、老化防止を助ける効果があるのです。寒ければ薄く、暖かければ濃く、気温に応じて塩水の濃度を加減します。また加水率は、一般に47%から49%ですが、天気のよい日と湿度の高い雨の日では加水率が違ってきます。手延べは細く延ばすので、塩水濃度が0.5%ほど違っても微妙に延びが違ってきます。加水率のわずかの違いや、途中の熟成時間が短か過ぎても、最後の延ばしのときいい麵ができないのです。
 今は、小麦粉に塩水を入れてミキサーにかけ、生地の『のし作業』も楽延機(らくのべき)でやっています。次に、機械で回転させながら渦巻き状に、幅7cm、厚さ2cmほどの麵帯に切ります。それを平延機(ひらのべき)にかけ、ロールで圧力を加えながら、さらにその麵帯を2本合わせて圧力をかけ、一層組織の緊密化をはかり、強いこしをつくり出す工夫をしています。この角形の麵帯を、ロールの中を数回通し、直径3cmほどの丸くて太いひも状にします。これを『いたぎ作業』と言います。それを糸繰り車のような自動巻ほそめ機とこなし機で、『ほそめ』、『こなし』をして一段と丸く細くします。手延べの場合は、このときに、乾燥と麵同士がひっつくのを防止するために、酸化の遅い植物油の綿実油やゴマ油を塗ります。
 ほそめ、こなしで細くした生の麵を、熟成のあと、長さ約50cmの2本の棒状の管に麵を80本ほど、機械で8の宇にかけるのを『かけば』と言います。それを二つ折りにしてむろに入れて熟成させます。
 熟成させたものを、機械で50cmほどに延ばします。これを『こびき』と言います。一気にではなく3段階に延ばします。荒い扱いをすると麵が太くなったり細くなったり、均一でなくなります。
 麵づくりの工程は、マラソンと同じで、前半に馬力を出して無理をすると、グルテンも生き物ですから後半に疲れが出ます。無理をせず、根気よく気長に、グルテンの力を最後まで引き出すことが肝心です。
 午後の作業になりますが、3、4時間の熟成が済むと、むろからだして『わけはし』作業をします。2本の管を衣桁(いこう)状の『わけはた』にかけ、長い箸(はし)による手作業で2本の麵を左右に自分の肩幅くらいに広げて、離してやるのです。柔らかくて細い麵線は、ぬれてぴたっとくっついている紙を、そっとめくるような感じで優しく分けてやらないと切れるのです。
 他社は、この作業もほとんど機械化しています。うちは製造品種も多く、丁寧に作業を進める意味でも、わけはし入れは、機械化したのに比べると人手が2、3倍は掛りますが、今も手作業でやっています。
 次に仕上げ延ばしをします。『移動はたかけ』(管を掛けた衣桁状のはたの2本の横木を手動で上下に移動できる)と呼ばれる木枠に移し、麵線を最終では2m近くまでなるくらい徐々に延ばすのです。湿度と乾燥の進行をみながら手早く一定時間内に延ばすことが肝要です。最終まで延ばした麵は、乾燥で収縮が始まるので、表面乾燥を見ながら、延ばした管と管の間隔を緩めます。ある程度乾燥させた段階で、改めて、麵線のくっつきを最終的に確認チェックする『たてはし』作業を、長い箸を使って行います。本乾燥は、室内で低温乾燥します。これが終わると、麵線熟成といって、はたにつるしたまま、自然の室温で一晩休ませます。これを翌朝早めに、ボイラーの熱で、水分が13、4%になるまで徐々に乾燥させ、それが終わると1、2時間自然冷却したあと、次は裁断に移ります。」

 ウ 手延べそうめんの不思議

 「(**さん)手延べそうめんは、自然の手延べ工程で2m近く延ばすと、両端ほど細くて真ん中が太く、直径でいうと太さが倍半分にもなります。それで手延べそうめんは太さにむらがあるといわれます。技術的にはその差が少ないほどいいわけで、職人の腕の見せどころでもあるのです。
 出来上がった手延べそうめんは、倉庫に保管した後で出荷されます。梅雨期を越すと、こしがあり、うま味のある麵になるといわれます。梅雨期に空気中の湿気が高くなると、そうめんは湿気を吸収し、酵素が働いてうま味が出ます。この厄(やく)現象による食味の向上は、手延べそうめん独特のもので、寒中につくられたそうめんを貯蔵し、それが梅雨を越すごとに『2年もの』、『3年もの』と称し、この『3年もの』を最も珍重しています。」

 エ 五色の色麵づくり

 「(**さん)日本料理は『目で食べる』と言われるほど、色遣いを大切にする伝統があります。色麵は、享保7年(1722年)、八代目長門屋市左衛門が試行錯誤の結果、赤い麵は紅花、黄色い麵は梔子(くちなし)、濃紺の麵は高菜のゆで汁、そして緑の麵は梔子と高菜のゆで汁の合わせたもので作り出すことに成功しました。この彩り鮮やかな『五色そうめん』は創製してからの当社の特色ある伝統です。
 この色麵をつくるための苦労もいつまでも忘れられない思い出です。
 戦後の一時期、素材も不足していて、伝統の五色は、きれいでしたが合成色素でした。東京市場に初めて進出する際、合成色素から天然色素の復活を目指しました。天然自然食品としての伝統を守るために、五色の色麵には、人工着色料を一切使用せず、紅色を梅肉、黄色を鶏卵、緑色を抹茶、茶色をそば粉を使用した天然着色で、独自の風味と味わいのある色を醸(かも)し出すのに苦心しました。むろん、そうめんの地色の白色を加え、五色をつくりました。
 機械麵は、細い帯状に切るだけで延ばさないから、ある程度色付けの材料も入りやすいのです。手延べは、工程のなかで細く延ばすので、グルテンになじみにくいものを入れると麵線が切れるのです。色麵の手延べそうめんをつくるときに、鶏卵やそば粉は、グルテンと相性がよくて、比較的スムーズにいきましたが、抹茶と梅肉を入れると、細い麵線をつくる場合は、延びないので苦労しました。
 麵の、ゆでる前の色とゆでた後もそれに近い色を出すことや、五色を並べたときの相互の色合いにも気を配りました。色があまり濃くなると食品ですので抵抗があります。その当時は、街を歩いていても、衣類の色彩が気になりました。食味を誘う自然の色になるような原料を、どこから手に入れるか、苦労しました。」

 オ 伝統の上に

 「(**さん)現在、機械麵が40種類、手延べ麵が50種類、販売方法の種別をいれると150種類前後になります。
 鯛(たい)を1匹丸ごと煮付け、そうめんと組み合わせた『鯛めん』は、古くから愛媛の郷土料理として有名ですが、『にゅうめん』、『やきそうめん』も贈答品として開発し好評を得ています。顧客と地域のつながりを大切にしながら、品質や本物の味が求められる時代に、今後も愛され続けていくよう伝統の技を磨きたいものです。」


*1:コムギのたんぱく質は大部分がグルテニンとグリアジンで、この両者は水を加えてこねることによって粘着力をもっだグ
  ルテンを形成する。グルテンは食塩を添加することによって形成しやすくなる(①)。
*2:松山名物として知られる彩色そうめんのこと。伊勢桑名から入部の松山藩主松平定行に随行してきたそうめん商の子孫長
  門屋市左衛門が、享保7年(1722年)初めて作ったと伝えられ、将軍や朝廷にも献上され絶賛された記録が残されてい
  る。また近松門左衛門が松山の豪商後藤小左衛門に当てた礼状にも、五色そうめんをたたえた文章が残されている。色づけ
  されたそうめんとしては全国的にも古いものである(④)。
*3:江戸後期のはやり歌。伊勢市古市(ふるいち)のお座敷歌「宮参り」が伊予松山へ伝えられ、松山の名物・名所づくしの歌
  詞が作られた。のち各地で替え歌が作られ、流行した。
*4:時間という自然の力を借りて原料、仕掛け品(製造工程にあってまだ商品として完成してないもの、仕掛かり品)、製品
  などの物理的・化学的性質が自動的に改善されること。生地・めん帯の熟成は25℃で20分以上、製品の熟成は3か月以上
  必要である。
*5:JAS(日本農林規格)の品質表示基準によると、手延べ麵類は、手延べそうめん(めんが丸棒状で、直径1.3mm未
  満)、手延べひやむぎ(めんが丸棒状で、直径1.3mm~1.7mm)、手延べうどん(めんが丸棒状で、直径は1.7mm以
  上)に分類される(⑤)。
*6:小麦粉を、その中の水を含んだ状態のグルテンが重量比で分類したもので、強力粉は40%前後(パンなど)。中力粉は
  25%~35% (そうめんなど)。薄力粉は20%~25% (菓子など)(⑤)。