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愛媛の景観(平成8年度)

(2)海のお花畑

 ア 海の国立公園

 (ア)お気に入りは1号地のイソバナ

 **さん(南宇和郡西海町船越 昭和48年生まれ 23歳)
 ファンダイブ(趣味で潜るスキューバーダイビング)が4年目という**さんは、学生時代にライセンスを取った。大阪の大学だったから、南紀の海(白浜)や若狭湾へは友人とよく潜りに出かけたが、やっぱりふるさとの海が一番だと、宇和海海中公園(図表1-2-12参照)の景観を話す。
 「横島に、フカバというポイントがあるんです。深さが30mほどあるんですけど、ソフトコーラル(*17)がきれいな、すごく広いところです。たまたまお天気がよくて、そのときのイソバナがすごく忘れられなくて。周りの地形も含めて、自然に造られたものの美しさを、『こんなにきれいなんて、すごいな。』と思いました。そこが一番気に入ってるんです。」と〝すごい〟を連発する。
 水深30mでは、うす暗い日でも何とか見えるようであるが、**さんは、めったにない好天に恵まれて、扇形に群体を形成したイソバナ(サンゴの仲間)の鮮やかなピンクに出くわした。「同じ場所でも、日によって違った顔を見せるんです。そこへ到達する光の違いで、違った顔を見せるんですね。」と言う。6月の海であった。
 ナイトダイビングもすると聞いて少々驚いたが、こんなユーモラスな光景にも出合うという。「夏場に潜るとね。夜光虫っているでしょ。自分のフィン(ひれ)で水をけってみたりすると、宝石じゃないかと思うほどすごいんです。『ぜいたくな遊びだな。』と思うんです。その光景を見ていると、とても幸せになる。それからね。魚たちも寝てるんですよ。波が来ても、それに任せて揺れてる、ゆらゆらと。ライトが当たっても起きません。岩とかに、頭をぶっつけてるのもいる。『ああ、魚も疲れるとこんなにして、生きてるんだなぁ。』とすごくほのぼのするんです。」
 海中の、広々とした景観の方が好きだという**さんも、回を重ねていくうちに、イソギンチャクの触手の1本とか、サンゴの枝に目がいくようになってきた。「以前は、全体を美しいと感じてたんですが、すごい繊細なつくり、そのつくりの精巧さにひかれるようになりました。つくりの巧妙さ、透明さ、神秘さを飽きずにずーっと見てられます。」
 西海町が作成した海中公園の景観図によると、横島の北側にある1号地は、北からーの碆(ばえ)、黒碆(くろばえ)、打留碆(うちどめばえ)と続き、一の碆が最も深くて水深が3m~20mとなっている。ここに生息するヤギ類の中にイソバナが登場する。トサカなど15種のほか、石サンゴ類10種、熱帯魚21種と、多くの動物が確認されており、色鮮やかなお花畑をほうふつとさせる。

 (イ)夢は由良半島の海中景観図

 **さん(南宇和郡内海村家串 昭和32年生まれ 39歳)
 **さんはダイバー歴が長く、海中公園の1号~6号地のほか、由良半島南側の入江はほとんど潜っている。
 4号地の鹿島の穴(うど)は、遊覧船のガイヤナ号やユメカイナ号で入る海食洞であるが、**さんには、ここのイボヤギやモモイロトゲトサカ、オオトゲトサカの印象が強い。
 「海岸線の、洞くつがあるようなところはアカヤギがよくおるんですよ。もう、歩いて行けるところに。深さは潮間帯のぎりぎり(干潮の干底になると姿を現しかねないところ)といった、波のない所ですね。それから、ミドリイシサンゴ(テーブルサンゴ)が層を成す景観は、それ自体が青いマツのようで、赤や黄のじゅうたんに似たイボヤギやトサカ類の間を熱帯魚が泳ぐと、本当に竜宮城を見るようですよ。」と言う。
 彼女が育った家串(いえくし)(内海村)は、宇和海に突き出た由良半島の南側に面し、幼いときから海で遊んだ。夕食のおかずを頼まれると、タコの2、3匹は必ず持ち帰る元気な子供であった。その海に、少しずつ変化が生じていると彼女は言う。
 「海藻のつき方も違ってきたように思うんです。藻場(もば)が減るとね、魚類の生息・産卵場所がなくなっていきますから、今のうちに記録しておこうかなと考えとるんです。わたしのふるさとは由良半島ですから、こちら側(南側)の入江を全部調べて、景観図を作っておきたいんです。サンゴなんかもいくらでもおるんです。水深2mくらいの所にも。」

 イ 豊かな海中資源

 **さん(南宇和郡西海町武者泊 昭和20年生まれ 51歳)
 **さん(南宇和郡西海町中泊  昭和26年生まれ 45歳)
 **さんは一本釣りにこだわる漁師である。息子さんの船と一緒に親子で出漁するようになって、水揚げも倍加したうえに、奥さんは沖での心配がなくなった。今年(平成8年)は、盆明けからイサキ漁で忙しかった。
 「年から年中、僕らは沖(おき)の磯(そう)のヤッカン周辺なんですよ(図表1-2-12参照)。結構大きい岩礁で、高級魚のイサキやタイの一本釣りをやっとるんです。」と言う。ヤッカンは、磯釣りのメッカといわれる宇和海のポイントの中でも、釣り情報誌の表紙に取り上げられる有名なポイントである。
 高知のカツオ船に15年ほど乗り、漁労長をしていた**さんは、自分についてきた船員たちのくらし向きが厳しくなったとき、一緒に船を下りた。それからは、台風の通り道に当たる武者泊(むしゃどまり)に腰を据えて、西海町議会議員を務めながら、宇和海海中資源保護の推進委員として海中公園に潜るようになった。
 「14、5年前に潜水士の免許を取っとるもんで、駆除に参加してくれと頼まれたんです。駆除対策の2年目、平成4年からです。テーブルサンゴを食害するヒメシロレイシガイダマシの駆除をね。昭和56年(1981年)ころは、5、6月にトサカノリを採って生活の糧にしておったから、鹿島や横島の辺りはよく潜ったので、海中のことはよく分かるんです。」という**さんには、見事なサンゴの景色に見とれて動けなかった思い出がある。
 「もう、これは、美しいと言うたら、こんな美しいとこがあるのかと思うてなーし。能舞台の背景に描かれたマツがあるでしょう。あれとそっくり。それがずーっと続いとるんですから……。」**さんは、感動が大きかっただけに、最近のヒメシロ(と略して呼ぶ)による被害を残念がる。
 また、年度別にみると、平成3年度1万9,799、平成4年度2万5,152、平成5年度4万4,733、平成6年度5万3,399であった駆除数が、平成7年度には11万5,801と急増している。
 **さんは言う。「駆除できてないから、どんどん駆除数が増えてくるんです。『よく捕れたね。』、『よく仕事してるね。』と言われますけど、そうじゃないんです。ふわっていく(増えていく)ってことは、駆除できてないことの証拠でしょ。次から次へとふわっていくし、それがために駆除できる範囲も狭まっていく。」と現状を憂える。
 宇和海に面した3町1村(城辺町、西海町、御荘町、内海村)で、宇和海海中資源保護対策協議会が昭和52年(1977年)に結成され、サンゴなどの貴重な海中資源を保護してきた。専門家による調査も行われて、調査結果を参考にしながら手を打ってきたが、まだ決め手がない。
 事務局担当の**さんは、「オニヒトデ駆除の場合はね。昭和51年には、あの巨大なオニヒトデが1か月で5千匹も捕れたことがあるんですが、わたしがグラスボートの船長をしていた昭和60年に最後の1匹が捕れまして、これを最後にいなくなりました。ところがヒメシロレイシガイダマシは、テーブルサンゴの裏側に産卵しましてね、駆除するのもピンセットで1匹ずつですから、なかなか大変なんです。」と、駆除が困難であることを説明する。
 昔は、漁師たちの網が引っ掛かる厄介な代物とされ、「ガサ」と呼ばれていたサンゴ類も、海の宝石としての価値が認められると、網を使っての乱獲に加え、天敵による被害が出た。国立公園に指定された昭和47年(海中公園の指定は昭和45年)を境に、宇和海の情熱的な海の男たちによって、ようやく種(しゅ)の保存が保たれようとしている。しかし、オニヒトデといえども、いつ出現するか分からない。かつて、竜串(たつくし)海中公園地区(高知県)で、オニヒトデを食べるホラガイの写真を見て、ホラガイ投入によるオニヒトデ退治を実施した歴史がある。ヒメシロレイシガイダマシに天敵はいないのであろうか。
 「サンゴを守りたい一念で、サンゴさえ守れたら、わたし肩書きなんか要らんのです。」という**さんたちの駆除活動に加えて、幸い、民間にも「サンゴを守る会」が結成されて力を入れるようになった。スキューバーダイビングでお花畑に感動する人々の協力も得て、宇和海のすばらしい海中景観が保たれることを願うものである。
 ふるさとの海は、みんなの海である。


*17:ウミトサカの仲間。赤色、黄色、ピンク色など多彩で、海のお花畑の主役である。

図表1-2-12 足摺宇和海国立公園(西海町管内)

図表1-2-12 足摺宇和海国立公園(西海町管内)

宇和海海中資源保護対策協議会の資料より作成。