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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(1)いま、なぜお手玉遊び?

 **さん(新居浜市中村 昭和9年生まれ 61歳)
 **さんは、現在、新居浜市に本部を置く「日本のお手玉の会」の会長として、「全国お手玉遊び大会」を開催するなど、新居浜から全国各地へ、さらには、世界各国へ、文化や情報を発信させ、新居浜の新しい顔づくりに務めている。
 **さんたちの活動の出発点は、新居浜市をより住みやすい町にしようということで昭和60年(1985年)に発足した「新居浜アメニティ倶楽部(くらぶ)」が、文化活動の一環としてお手玉を取り上げたことである。
 「老人ホームを訪ねて、お年寄りと遊びながら、お手玉歌やお手玉遊びを教えてもらった。お年寄りたちは、はじめのうちは『長い間、お手玉なんかさわったことがない。歌も忘れてしまった。』と言っていたが、次第に表情がにこやかになり、目が輝き始めた。やがて、歌が出始め、立ち上がり、3個のお手玉をゆり始めた。80歳になるおばあちゃんは、『お手玉は70年振り』と言って、満面に笑みをたたえる。そのときはっきりと、お手玉の普及活動は意味のあることでやらなければならないと思った。
 平成3年10月新居浜市で初めての『市民お手玉遊び大会』を開いた。5歳の子供から80歳のおばあちゃんまで幅広い人たちが参加し、お手玉を楽しみ、テレビや新聞でも大きく報道された。これがきっかけになって平成4年の元旦にはテレビに出演することになり、そこで初夢は『全国お手玉遊び大会』を開催することだと話してしまい、その年の9月、『第1回全国お手玉遊び大会』を新居浜市で開催する運びとなってしまった。
 大会準備は日本で初めての大会を開くことへの熱気がみなぎる中で進められた。新居浜アメニティ倶楽部を中心に、市内のボランティア団体などから130人のスタッフが集まり、何回も何回も深夜に及ぶ会合が開かれた。大会には7都府県から350人が参加して、団体戦と個人戦が行われ、大きな盛り上がりがみられた。また、大会に先だって開催されたシンポジウムでは、『日本のお手玉の会』が設立され、この年が、『お手玉遊び復活元年』となった。
 平成5年10月の第2回大会では11都府県から500人が、6年9月の第3回大会では17都府県から610人が、さらに、今年(7年)11月の第4回大会では、23都道府県から700人が参加するなど、大会は回を追って盛大なものになってきている。
 新居浜アメニティ倶楽部では、7年ほど前から、お手玉の普及活動を行っている。あちこちのイベントに参加しては、『珍しいお手玉の展示』『お手玉の作り方教室』『お手玉遊び教室』の三つの活動を行うわけで、わたしはこれを『3点セットのドサ回り』とよんでいる。
 この活動の主役になっているのが、おばあちゃんである。お手玉の作り方では、隣に座った子供に自分の孫に語りかけるようにやさしく針に糸を通すことから教えてくれる。1時間近くかかり、小学生の少女がやっと1個のお手玉を縫い上げる。『やった、できた。』歓声をあげながら立ち上がる少女に、隣のおばあちゃんがやさしく声をかける。『ちょっと待って。ここに針を置いておくと危ないでしょう。針は、終わったら針山に刺しておくのよ。』
 このように、少女たちのお手玉作りは、自分の手でお手玉を作るという創造の喜びと同時に、おばあちゃんとの、ほのぼのとした交流、温かい心のふれあいを感じてもらえたのではないかと、その表情を見ていて思った。実はわたしたちは、お手玉を通してこのような家庭的な雰囲気をねらっていたのだが、それが実際のものとなった現実を見ると、とてもうれしかった。
 『いま、なぜお手玉遊びなのか。』を考えてみると、現代は大人にとっても子供にとっても、心のぬくもりのないコンピュータやテレビゲームが相手の生活で、心の潤い、心の安らぎを得る場が非常に少ないというような背景があるのではないか。そのようなことが、町なかの公共の場でのタバコや空き缶のポイ捨てにもつなかっているし、ギスギスした社会をつくる要因にもなっているのではないか。こうした時代だからこそ、お手玉遊びのような素朴さや、心と心の触れ合いが必要になるのではないかと思う。
 新居浜は、工業都市という、男性的なイメージの強い町である。ところが、人々が住んでみたいと感じる町は、女性的なイメージの町だという説がある。そんなことから、男性的な町新居浜で、女性的なお手玉をやっているのはたいへんいいことだ、というような評価も受けている。最初のころは、工業都市になぜお手玉か、という疑問をよく感じたが、今では、そういうところだからこそお手玉が必要なんだ、というように考えている。
 お手玉の普及活動を始めた当初は、『お手玉は、日本独自の伝承遊び』というように考えていたが、お手玉に深くこだわり、いろいろな情報が入るようになると、それが日本だけのものではなく、世界的な広がりがあるものだとわかってきた。世界で最も古いお手玉は、黒海周辺の遊牧民の遺跡から見つかった、紀元前1000年(今から3,000年前)ころの、羊の骨でできたものだというようなことも、この活動が進む中で教えられた(*26)。実際、今でもモンゴルやオーストラリアやヨーロッパ諸国では、羊の骨(後ろ足のくるぶしの距骨(きょこつ))のお手玉が広く使われており、このようなお手玉の国際性を考えると、これからはわたしたちの活動が国際交流の橋渡しともなりうるのではないか、と思っている。
 お手玉には国境はなく、言葉がわからなくてもお手玉のよさを理解しあうことができることを今までの活動の中で感じた。1個40gのお手玉が持つ世界の広さ、奥の深さ、その力強さをつくづく感じている。今後も、『新居浜発全国行き』から、さらに、『新居浜発世界行き』という大きな夢を掲げて、お手玉の普及に努めていきたい。」


*26:日本でお手玉遊びが一般化したのは鎌倉時代といわれ、最初のころは小石を入れたが、当たりを柔らかくするため、の
  ちには小豆などが多く使われるようになった。米や雑穀類を用いることもあった。