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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(3)サギソウの舞う池

 ア サギソウの無菌繁殖

 今年(平成7年)のサギソウ定植は、6月11日に行われた。
 今治市立桜井小学校サギソウクラブの児童約20人が主役の、文字どおり地域に根ざした伝統行事である。日曜日の休みを返上して、校長先生をはじめクラブの指導に当たる先生方に保護者も加わって、なかなかのにぎわいであった。
 愛媛県立今治南高等学校からは、農業クラブのお兄さんお姉さんが、実習服姿で応援に駆け付け、学校から運ばれたサギソウの苗について説明していた。指導教諭や実習助手の先生方もこの日ばかりはわき役で、少しはにかんだお姉さんお兄さんと、目をきらきら輝かせる児童たちの、明るい笑顔が主役であった。
 医王池(蛇越地)の湿地は、70種を越える湿地植物の宝庫で、昭和25年(1950年)、県の天然記念物に指定されているが、天然のサギソウは減少しており桜井小学校と今治南高等学校の、児童生徒の手でどうにか守られている状況である。もちろん、今治市教育委員会の力強い援助があってのことである。
 幸いにも両校ではサギソウ関連の行事が定着しており、後輩たちが先輩の業績を立派に引き継いでいこうとしている。
 今治南高校では、今治市教育委員会から依託された「サギソウの成長点培養」を、同校農業クラブの継続研究として位置づけ、サギソウの保存に一役買っている。平成元年度の『鷺草の無菌繁殖』(最優秀に入選)、平成3年度の『生物工学を学んで』などをとおして、農業クラブの先輩から後輩へ立派に受け継がれた、地域に奉仕する姿を読みとることができる。
 また、桜井小学校では、平成2年度から、校内の「サギソウまつり」が開催され(本年度は8月19日に実施)、サギソウクラブの活動記録を中心に、下級生への啓もうと地域への情報発信を続けている。

 イ サギソウと今治自然科学教室

  **さん(越智郡玉川町法界寺 大正8年生まれ 76歳)
 「サギソウのことは、**先生に聞いてください。」と言う人が多い。それだけ、**さんとサギソウのかかわりが長いということである。
 県立博物館の八木繁一先生の指導を仰ぎながら、**さんが今治自然科学教室を設立したのが昭和36年(1961年)であり、医王池(蛇越池)の湿地植物が県の天然記念物に指定された昭和25年(1950年)からは、10年ほど後である。「今治自然科学教室も10年を経過したので。」と始めた医王池湿地植物の保護は、昭和46年(1971年)から続けられ、今年(平成7年)は25年目に当たる。
 サギソウの清楚(そ)で可憐(れん)な姿がブームを呼び、撮影会や写生会、俳句仲間の吟行など、県内各地から医王池の湿地を訪れる人は、サギソウが減少した今でも後を絶ない。湿地には70種を超える植物があるが、訪ねる人々のお目当ては、一部の専門家を除けば、サギソウである。
 湿地植物を保護し、生息環境を保全する立ち場に立つと、天然記念物の管理もいろいろな仕事があるようで、今治市教育委員会はもとより、今治自然科学教室もかかわらざるを得なくなる。**さんが、植物研究者としての立場のほか、今治自然科学教室として、サギソウと向き合ってきた背景がここにある。
 「元々、孫兵衛作(まごべえさく)一帯の地質は、黒雲母花こう岩ですから、風化して大変もろくなって崩れやすくなっているものですからね。集中豪雨でもあったら、一溜(ひとたまり)(しばらくもちこたえる)もありません。」という。山手から湿地へ流入する土砂をそのまま放置すれば、山地性植物が侵入してくるわけだ。
 **さんが、赴任地の弓削(越智郡)から今治市へ転勤した際にも、医王池の湿地が絡んでいたようである。「小学校だけの理科同好会というのが結成されていましてね。その中の先輩校長さんから、『お前も、もんてきて、湿地の世話をせい。』と言われまして、もんて最初に手掛けたのが湿地の手入れでした。」このように、新任校長さんが、自ら先頭に立って雑草を刈ったり、土砂を取り除かねばならぬほどに湿地は荒れていたのである。20年余り前の話だ。
 今治市内の、小学校長会会長に在職中、**さんは、今治自然科学教室担当の役職を置いた。自然と向きあう教育を重視した、いかにも**さんらしい発想であるが、適当な人材を選べるほどに、リーダーが育っていたことにもよると考えられる。もちろん、医王池の湿地植物だけの、ましてやサギソウの保護だけの仕事ではないが、おかげで、計画的継続的に、サギソウとかかわる体制ができたわけである。「サギソウまつり」が定着した桜井小学校の、地域に根ざした学校行事は、そこから生まれたものと思われる。
 「そろそろ仕事も他の人に譲ってね。」という**さんは、76歳の今もすこぶる元気であるが、専門分野の仕事がまだ山ほど残っている。大三島海事博物館の専門員としての仕事は、恩師の八木繁一先生から引き継いだものであるが、往復の所要時間や泊りがけの仕事などから、地元で誰かがやってくれることを願っている。その他、鹿の子公園緑の相談所や今治城の今治自然科学館も、初代の担当者として基礎を固めてこられた上に、鈍川の森林館、地元玉川町の文化財の仕事があるという状況である。そんな中で、蒼社川源流の杭打ちのため、急勾配(こうばい)の山坂26kmを踏破する脚力もあれば、県総合科学博物館(新居浜市)が主催する石鎚山(1,982m)の「自然観察会」の指導者として、「冬の石鎚山」(平成8年2月11日実施)を担当し、事前調査を3回行うほどの情熱を持っている。自由に、好きなサギソウと付き合える日は、少し先になるかもしれない。