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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(2)ふれあいを求めて

 近年都市郊外の田園地帯は、道路交通網の整備充実とともに人、物、文化の流れが活発になってきている。また、緑の自然が姿を変え市街化、団地化が進行している。その中で、人々のライフスタイルも大きく変わりつつあり、特に近郊の農業と田園の自然を生かすには、どうすればいいのかということが、都市やその近郊にくらす人々の関心を呼ぶようになった。現在は地元の人、新興住宅地の人、さらに都市に住む人々がともに「農」を通じてふれあいの場を求めている。
 岩波新書の『日本の農業(⑫)』によると、近郊農業は、精・楽・援・遊・学農にわかれるという。精農は企業型の営農、楽農は資産として土地を管理し、楽しみながら農業にかかわりをもち、地域に生きる喜びを見出している農家。援農は前者を支援し、積極的に参加、交流しながら農とふれあう型。遊農は身近な土や緑や農とふれあいながら、楽しく遊び、学ぶ型。学農は農を取り入れた社会教育の型。これらの力を引き出しながら、近郊農業の未来を開こうというのである。精・楽・援・遊・学の出会いからふれあいの輪を広げようというのである。その取り組みの事例を、今治市に隣接する朝倉村と、松山市近郊の小野地区に求めてみた。

 ア 緑ケ丘団地の家族ふれあい菜園

 **さん(越智郡朝倉村北 昭和15年生まれ 55歳)
 朝倉村は、「水と緑と文化の里」をキャッチフレーズに掲げ、いきいきとした夢と輝きのある新しいふるさと創生を指向したまちづくりに取り組んでいる。
 平成2年に完成した「緑のふるさと公園」は、自然にふれあい、歴史を学ぶ世代交流の場でもあり、まちづくりの拠点ともなっている。また、緑を守り育てる活動の盛んな地域でもある。朝倉村の中心より、石打(いしうち)峠を経て国道196号に至る途中の山際に、新興の緑ヶ丘住宅団地がある。ここに新しいふるさとづくりを目指しながら、土と緑と農による人々の交流の姿を訪ねた。

 (ア)「緑ケ丘」家族ふれあい菜園

 「2市(今治市・東予市)と1町(玉川)に囲まれ海に接しないこの村の人口は約5,200人あまりですが、県下13村中で人口の増えているのは、おそらく朝倉村のみです(別子山村も1人増加)。この緑ケ丘団地(写真3-3-17参照)は石打峠へかかる山際にあり、峠を越えれば、直ぐに国道196号に出ます。また団地の直下を、瀬戸大橋と松山自動車道を結ぶバイパスが通過する予定です。市街化か進行しているといいながら、まだまだ水と緑の自然環境にめぐまれています。この団地(85戸)は数年前に完成したのですが、自治会が発足してから4年目になります。団地の入居者の全員が都会でくらしていた人たちです。農業の経験者、農村出身の人もいないようです。このような新しい出会いの中で、お互いの、また地元の人々とのふれあいを求める声が、自治会の席で上がってきたのです。この声をとともに生まれてきたのが『家族ふれあい菜園』で、この名付け親が現在の朝倉村長武田愛三郎さんです。
 最初は、休耕農地を借りて、自治会全体で耕作する農園を予定していましたが、結局、希望者のみということになりました。
 農地の斡旋(あっせん)を村役場と農協に依頼したところ、都合よく団地のすぐ下の休耕地1.5反(15a)を借りることができました。借地料も安く、耕うん、区画、その他耕作に必要な用具なども、好意的にお世話してもらってスタートしたのです。話し合いのすえ、1区画の農園の広さは、手ごろな10坪(約33m²)、年間使用料を1,000円として、希望を募ったところ、21戸の家庭から申込みがあったのです。やはり、新しい団地ですから共働きの家庭が多く、主婦の方も、仕事や趣味で手が回らないことから、全家庭というわけにはまいりません。そこで、その年は残った区画で、『土に親しみ、育て、味わう』をテーマに、団地の子供たちによるサツマイモ作りに挑戦したのです。好評でしたが、子供たちにも、大人にもそれぞれの事情があり、今年からは休耕しています。この団地の住人は、65歳以上の高齢者が10人くらいで、あとは若い家族ばかりですから、いわば人生経験も浅く作物を育てた経験もないのです。最初は危ぶみましたが、『案ずるより生むが…。』の例えどおり地域と団地の人たちが何かと協力してくれ、特に近くの農家の人たちには、野菜作りについて親切な指導をしてもらいました。そこから小さいながらも、地元の人とのふれあいの場が生まれてきたのではないかと思っています。団地のお年寄り連中も『好きなときに体を動かすことができる。』といって喜んでくれています。」

 (イ)ふるさとづくり

 「地元の人とのふれあいという点でこの自治会では、当初より子供の神輿(みこし)について気配りをしたのです。地元の氏子の人たちばかりでは、担ぎ手が足りなくて苦労していることを知り、団地をあげて、子供とともに協力することに話がまとまったのです。
 大人にとっても子供にとっても、ここが、かけがえのない故郷となるのです。お祭りに神輿を担いだことは、子供にとっていつまでも故郷の思い出の一こまとなって残ることでしょう。今年のお祭りには、この団地組の神輿が子供たちの笑顔に包まれて、担がれるでしょう。この団地に住まいづくりをする人々の間に、この恵まれた美しい自然を子や孫に残さなければ、との思いがだんだんと芽生えてきています。団地の下の道端に、だれがいうともなく、四季の花を植え、広場には木陰(こかげ)となる樹木を植え、小さいことながらも住みよい団地づくり、まちおこしに取り組んでいるのです。現在家族ふれあい菜園は、1.5反の面積ですが、希望する人が増えて、区画が足りなくなってきています。休みの日には朝早くから、家族連れで野菜や花作りに親しんでいる姿をよくみかけます。通りがかりの農家の人も、作り方などについて、いろいろと話かけたり、丁寧に注意、助言をしてくれています。雑草の生えている区画もありますが、手作りの野菜の新鮮さを味わうとともに、多くの人々とのふれあいが生まれ、それが深まりつつあるということを実感しています。」
 ここ朝倉村は「緑の少年団発祥之地」として全国的に有名であり、その記念碑が「緑のふるさと公園」(写真3-3-18参照)に建立されている。また、その公園に全国各県の木が、日本列島の形にアレンジされて植えられ育っている。豊かな自然と美しい緑を受け継ぎ育て、次の世代に残していく心根は、新しくここを故郷とする人々の心に芽生えている。

 イ 手づくりのふれあい朝市-大尺寺営農集団婦入部-

 **さん(松山市北梅本町大尺寺 昭和3年生まれ 67歳)
 **さん(松山市北梅本町大尺寺 昭和9年生まれ 61歳)
 **さん(松山市北梅本町大尺寺 昭和14年生まれ 56歳)
 都市化とは、近郊農村地域に市街地の拡大することをいう。それを土地利用の面からみると、都市にかかわる施設が、中央部から周辺へ、そして住宅地がさらに郊外へと広がるという二つの面をもっている。都市化は、常住人口と通勤通学・買物などによる一日周期の人口移動の増加をもたらすという(⑧)。
 松山市駅を出た伊予鉄道横河原線の郊外電車は約15分で平井駅に、18分で梅本駅に着き、ここで上がり電車と離合後、2分で牛渕(うしぶち)団地駅に着く。この団地駅の北側に悪社(あんしゃ)川と内(うち)川に挟まれた舌状の洪積台地があり、その丘陵上の一角に、大尺寺(たいしゃくじ)の集落がある。現在は、陸上自衛隊の演習地、あるいは果樹園となっている。近年、伊予鉄道及び旧国道11号(現県道松山重信線)の沿線地域は市街化、住宅化の進行が著しい。
 石鎚山系のりょう線が輝きを見せる朝方、旧国道11号を車で東に向かい、丘陵台地にさしかかった道べりに、時ならぬにぎわいをみせながら、手作り市が開かれている。この朝市に直接携わる3人の女性の話しをまとめてみた。

 (ア)朝市の主役は女性

 「ここ大尺寺地区が県経済連より、営農集団として指定されたのは、かなり以前になります。このモデル事業を記念して形のあるものを、地区の婦人たちに残そうということから、朝市が始められたのです。発足した当初は、農協の役員さんや地区の男性の支援と、施設の提供を受けたのです。市の運営については初めてなので不安を抱えたままスタートしたのです。これが現在の100円朝市で今年で4年目になります。その当時には減反も進み、各農家には農協へ出荷した残りの野菜があり、その合理的利用について検討をしなければならない時期でもあったのです。発足当時の会員数は熟年の農家の女性24名でしたが、現在まで一人の異動もありません。市の開かれる火・木・土曜日に出荷される品数も、その当時から比べると2倍以上になっており、これからみても盛況と言うことができます。もともと、この地区は自然環境に恵まれた郊外の静かな農村ということもあって、女性の活動はのんびりとしたもので至って消極的だったのです。しかし、この朝市を開いたことから、グループの女性パワーは一気に盛り上がりをみせたのです。ある会員は、自分の家の休耕田の1枚を自分専用の野菜園にして、そこで朝市に出荷する四季の野菜や花作りをして、生産者直売の道を開いているのです。自分の畑で作ったものを、自分で値を付け、自分で売り、現金収入を得る、その上にお客さんとのコミュニケーションを楽しむ。ここに生きがいというか、張合いを見いだしているのです。」

 (イ)会員間のサービス競争

 「会員間の話し合いで出荷の時間は午前6時、明るくなってからと取り決めをして了承されているのですが、この規制は全く守られません。お互いが良いものを作ることで競争をし、出荷時間で競争します。朝早く懐中電灯の下で収穫して、すぐに袋詰めをして出荷する。それをお客さんもよく知っていて、新鮮さと良いものを期待して朝早くから集まっています。即売り切れたり、お客さんの喜ぶ顔をみたりすると張り合いが出てくるし、楽しみにもなってきます。いい意味での会員間のサービスの競争にもなっているのです。雨にも、風にも、暑さ、寒さにも負けず、火・木・土曜日は年末と年始を除いて無休です。共同出荷の残りの野菜を出す人、自分の野菜畑の端境期には、主要作物のモチ米や果物を出す人、自家製の加工品を出す人、切り花を出す人など品数も多くお客さんに喜ばれています。特に最近は切り花が多いようです。お客さんも馴染(なじ)みになると、出される品物を選択することに面白みを感じているようです。一袋が全て100円の据え置きで、中身の質、量は会員の自由ですから、同じ野菜の場合は、内容量の競争になりますが、飽くまでも選択権はお客さんにあり、取り替えも自由です。早く出されているものが最良とは限りません。出されたものを確保しておいて遅くまで待っていて選択し取り替えるところに面白さがあるとも言えます。馴染みになると、よく知っていて、『ああ、最終便がきたか…。』といってその便の品定めをして帰られます。」

 (ウ)楽しみの場であり生きがいの場

 「近郊農村における人々の付き合いの主体性は、もともと男性側にありました。この地区も土地柄からか、高齢の女性間の付き合いは余りありませんでした。若い人たちはPTA、婦人会、そのほか各種の会合などがありますが、高齢者の会合はほとんどないのが実状です。公民館や集会所の会合に参加することもなかったのです。朝市を開いてからは、24名の会員は強いきずなで結ばれているということができます。4年余りの年月がお互いの垣根を除いてくれ、同じような年ごろで母ちゃん農業の経験者であることと、『やればできる』という自信が生まれたこと、さらに協力の大切さが分かってきたことによるのです。この地域の農家の熟年の主婦で、若い人は別としてパートなど働きに出ている人は全くいません。朝市へ入会の窓口は開けていますが、月に2回、6時から11時まで、朝市に出て当番をしなければなりません。この条件があるため、それぞれ家庭の事情によって、会員の増減がないのです。
 協力と、きずなの強さが示されたのが、2年前の年末にお正月用の七草がゆ(春の七草、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ)のセット作りをしたことです。暮れも押しつまって、農協からこの会に、七草のセット、7千パック試作の依頼があったのです。大量ですからためらいもあったのですが、全員が『やろう。』ということになり、七草の準備から始めて年末の期日までに完納したのです。それ以来、セット作りを続けていますが、今年は目標を1万セットにおき、手分けして七草の栽培をしてきています。
 年を取るにつれて、お互いの会話、井戸端会議などによって、コミュニケーションを図るのが楽しみになってきます。早朝から来られるお客さんには年配の人が多いのですが、一緒になって会話と花や野菜を選ぶのを楽しんでいるようです。
 朝市へ出す品物がない日は何か物足りなくて、様子を見に市の方に足が向きます。そこでおしゃべりを楽しみお客さんから、おいしい漬物の作り方を教えてもらったり、お客さんの要望による野菜を準備しててあげたりと言う情報交換の場ふれあいの場にもなります。
 開設4周年記念市後の反省会には会員全員が集会所に集まり、感想を交えて意見発表会を催したのです。ある会員は、『自分で野菜を作り、それを売って得たお金で、だれに気兼ねすることもなく、初めて自分の欲しい服を買った喜び…。』について述べられました。会場はシーンとなって聞いていました。豊かになったといいながら、これが農家の主婦の本音で、自分の物を買うとなると、大なり小なり思い当たることです。『当番の日は、一切の家事から解放される公然の半日で、楽しみの日。』といっている人もいます。新年の祝賀会には、市の裏方さんとして、耕うんや運搬の重要な役割をしてもらっている男性から、その労に報いて招待してほしいとの申入れがありました。確かにその通(とお)りで、裏方さんの功は大きいものがあり、合同の祝賀会となり、大いに盛り上がりました。
 現在、この地区(写真3-3-20参照)は松山市のベッドタウンとして住宅化が進んできています。全戸数は、約150戸、専業農家はなく、兼業農家数は半分の約75戸、そのうち24戸が会員で、ほとんどの会員が、かあちゃん農業で頑張ってきた経歴の持ち主です。くらしの移り変わりとともに、安全で新鮮な野菜や果物を求められ、朝市も切り花が多く並べられ生産者直売の切り花市になってきています。会員の屋号も定まっていて、だれが生産し出荷したか分かる仕組みになっています。EM菌によるボカシ堆(たい)肥の研究やそれを施用し、その効果を試しながら、お客さんに信用され、喜んでもらえる野菜や花を作り、充実したふれあい朝市にしていきたいとの考えから、24名の会員がそれぞれ頑張って競争をしています。」

 ウ 緑の王国から

 **さん(松山市平井町 昭和11年生まれ 59歳)

 (ア)小野の里の由来

 「小野」の地名は、松山平野の東部、石手川支流小野川中流域に位置し、昭和36年(1961年)まであった村名である。村名は住民に信仰のあった小野薬師、小野川・小野谷の地名によるものといわれ、小野川は、小屋峠に源を発し松山市市坪で石手川に合流する総延長15km、流域面積35㎞²の1級河川である(⑭)。伊予鉄道横河原線(松山市-重信町横河原)の平井駅周辺は、かっては平井河原と呼ばれる小野川流域の原野であった。明治26年(1893年)、平井河原まで伊予鉄道が延長され(横河原までの開通は明治32年)、街村が形成されていった(写真3-3-21参照)。現在、平井駅を中心にその沿線は、松山市の第1種居住地域として住宅化の進行が著しい。昔の地名を残す小野小学校においても、7年度児童数1,140名、教職員46名と大規模校化が進んできている。この小野小学校における、地域の人々との交流を通して、作物を育てる喜びを体験し、ふるさとを知る試み、「ふれあい花園」の取り組みについて、**校長先生の話をうかがった。

 (イ)地域ふれあい花園運動の推進

 「4月より学校週5日制が、月2回実施となり、やがて週休2日制に移行していきます。それに対応して、本校においても学習指導や学校行事をはじめとして、あらゆる面の見直しを図ってきています。行事の精選は当然のことであり、学習指導の効率化とともに、新しい学力観に立った学習の展開が求められています。
 学校週5日制の趣旨は『学校・家庭・地域社会が一体となってそれぞれの教育機能を発揮して次代を担う子供たちの成長を図る。』ことを目指したものであり、『もっと自由な時間を与え家庭や地域での役割を見つけさせる。』ことにあります。このことから、新しく楽しい活動、親子と地域とのふれあい、教育力を生かして活動できるもの、そして学習にも役立ち生活に潤いのあるもの、さらに子供たちの人間形成の一助になるものとして、考えついたのが『地域ふれあい花園運動(仮称)』でした。この小野校区で、最も学びやすく身近なものを考えたとき、市街化が進んできているといいながら、郊外の特色である豊かな緑の自然と農地が多く残っています。これを何とか活用して、栽培活動を始めたら、地域の人々とのかかわりもできて来るのではないか、同時に本校のような大規模校の欠点である、体験学習不足も補えるのではないかと考えたのです。そこでPTAの会長さん、役員さん、教職員の皆さんと検討を加えながら、この活動に取り組んできたのです。本校の先生方は若い人が多く、花や作物を育てることに興味・関心を持っていても、実際に手で触れて耕作を体験した人はほとんどいません。現場における実地指導は若い先生には難しいのです。その若い先生を、われわれ先輩が指導することも大切ですが、地域には数十年間、農業のくらしを続けて来た人たち、あるいは食糧難時代に農業を経験して来た人たちも多数おられます。十人のお年寄りが集まれば、十人の先生がおられ生きた指導もできます。そいうことを踏まえて子供たちの家の近くで、この活動ができれば地域の人々を巻き込み、一体になって効果的学習活動ができるのではないでしょうか。
 いま学校では余りにも多くのことを抱えこみ過ぎています。その中には学校で指導できないことまで、抱えこんでいる傾向があります。この活動をきっかけにして、地域の人たちに助けていただき、子供たちが地域の人たちやお年寄りとかかわりをもちながら、作物を育てることのみでなく、いろいろなことを素直に教わることのできる子供に育ってもらいたい。また、教わったことに感謝する姿勢を育てていきたい、という期待をもってスタートしたのです。その当初は心配な点もありましたが、農協、公民館、松山市農業指導センターさんの全面的な協力によって、実現の運びに至っているのです。
 作物を育てるということは、若いお母さん方にとっても、初めてのことなので『親子で学ぶ』という姿勢を基本にして進んできています。実行に移してみると、育てる苦労は多いけれども、汗をかけばそれにこたえてくれる、苦しく大変なこともあるけれども、育っていく過程を親子で観察できる喜びも大きいものがあるようです。」

 (ウ)小野「緑の王国」の誕生

 「そのような思いを込めて、平成7年6月13日、21か所、36支部(支部ごとに生徒たちによる名前がついている)が誕生し、全体的には『緑の王国』としてスタートしたわけです。
 お母さん方の反応は、農園の実質のスタートが暑くなった6月中旬でしたので、猛烈な勢いで伸びてくる雑草の除去に追い回され、これは大変なことになった、との思いが強く、悲鳴と愚痴ばかりが聞こえてきたのですが、やがてトウモロコシやエダマメの旬ともなり、雑草との戦いも一応収まりをみせてくると、その苦情もだんだんと少なくなり、やがて秋風とともに消えていったのです。実りの秋を迎えて、子供たちとじっくり観察しながら、楽しんでいる様子が伺えるようになってきたのです。あるお母さんは、『里は農家ですが、手出しも手伝ったことも全くなかったので、野菜一つ作るにもこんなに苦労と気配りが要ることを始めて知りました。作物を育てるにも、本気で取り組まなければ、育たないという貴重な体験をしました。』と話しています。また、鍬(くわ)を持ったことのない都会育ちのお母さんが、もたもたしているのを見て、地域のお年寄りが助けている場面も見られました。
 新しい団地住まいの人たちには、『地域の農家に迷惑をかけてはならない。』との強い意識がありましたが、これを取り去り、ふれあいの心が芽生えてきたことを感じています。特に農園作りを始めると、どうしても教えてもらったり、協力をお願いしなければならないことがあったりします。そこで農家の人に声をかけると、すぐに気持ちよく積極的に助けてくれ、世話をしてもらうことができて有りがたかった。かんがい用水の問題、作物を支える小さい竹の利用にしろ困ったり、必要に追われて、相談を持ちかけると、即座に了承してもらえて、子供たちとともに感謝の気持ちを持っているようです。
 農家のお年寄りは、孫が作物を育てることに興味をもってくれるようになり、孫と対話ができるようになったと喜ばれています。
 いままで本校の栽培活動は、2か所の畑と、校内の狭い学級園で実施してきたのですが、それを地域のそれぞれ家の近くへ返して、そこで観察したこと気の付いたことを、学習活動に生かそうということで進めてきたのです。王国で4年生が作った立派なヘチマを、子規記念博物館の主催するヘチマ展に応募出品をして、そこから興味関心をもたせて、子規という人物を理解しながら学習に入っていきます。
 緑の王国がスタートして1年足らずですが、地域の理解と協力を得ながら、一応順調に経過しています。地域の人からは、農地の提供なども協力するから、継続するようにとの励ましの連絡もあります。各支部では秋作や冬作に取りかかった王国もあるようです。スタートした当初は、必要な資材は全て竹1本まで、学校で準備してほしいと連絡してきたのですが、いまでは、各支部で話し合いをしながら進めていくから任せてほしいとの希望などもあり、だんだんと地域ぐるみのもの、自分たちのものになってきています。
 子供を育てる、人を育てるという教育の基本は、『生きものを大切にしていく、いとおしむ』ことにあります。子供たちが、自分の手で種をまき、育っていく過程をみながら、それを肌で感じ取っていくことのできる恵まれた自然環境が、家の近くにあるのです。
 植物は成育の途中で枯れることもあるでしょう。それはそれとして生命の大切さを感じとってくれればと思っているのです。心の教育は家庭、学校、地域が一体となっての取り組みが必要と考えています。」

写真3-3-17 石打峠の麓 緑ヶ丘団地

写真3-3-17 石打峠の麓 緑ヶ丘団地

朝倉村緑のふるさと公園より。平成7年11月撮影

写真3-3-18 緑のふるさと公園

写真3-3-18 緑のふるさと公園

朝倉村南。平成7年11月撮影

写真3-3-20 兵りょう台地上の大尺寺の集落

写真3-3-20 兵りょう台地上の大尺寺の集落

葉佐池古墳側から。平成7年11月撮影

写真3-3-21 平井河原の面影を残す1級河川小野川

写真3-3-21 平井河原の面影を残す1級河川小野川

バックネットは小野中学校。その右奥に小野小学校がある。平成8年1月撮影