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河川流域の生活文化(平成6年度)

(2)小田川を深く研究してみよう

 **さん(喜多郡五十崎町宿間 大正10年生まれ 73歳)

 ア 小田川研究会の始まり

 「今から13年前、60歳で退職。それまでは、働かないかん、子育てせないけん、そのほうに追われていましたから。さて、何をしようかということになって、これでまだ遊んどったんではいかんというんで、ちょこちょこといろんな所へ行って、パート的に仕事をやりました。それに、何かボランティア的なこともやらにゃあいかんということを考えておりました。
 それまでは、自然に対しても、『緑だっていっぱいあるじゃないか、これで何を自然にしたいんだ。』というような感じだったんですがね。で、ちょうどそのころに、五十崎町の合併30周年記念のシンポジウムがあり、その講演を聞いて、ま、一番にはわたしらが遊んだときの川をふりかえってみて、やっぱり自然環境とかいうもんに関心を持ち出して、五十崎のわたしらが遊んだ小田川はどうだと、改めて見直すようになったんです。
 シンポジウムじゃのいうのは、どこへ行っても、その時は声を大にしてやるんですがねえ、だいたい言いっぱなし、聞きっぱなしというケースが多いんです。それではいかん。景観とか、川の浄化とかをもっと掘り下げて、取り組んでみようというので、『町づくりシンポの会』ができまして、これはもう年齢を問わず、男女を問わずで、そういう思いの者が寄って始めたわけです。
 昭和45、46年ころから、どの川も徐々に、堤防とか河川敷の改修とかをやり始めたんですが、そのころには、コンクリートのブロックで固めることが一番頑丈でいいと、大半の人が思っていたわけです。わたしらも、そのシンポの会で小田川を振り返ってみて、上(かみ)も下(しも)も、そこまでコンクリ(コンクリート)でできとることに、ハッと気付いて、『これではダメだ。まだ末改修なところだけでも、コンクリはやめようじゃないか。』というふうになったんですわ。
 五十崎の町づくりは、小田川を抜きにしては考えられないということから、もっと深く研究してみようというて、シンポの会の中に『小田川研究会』というのを発足させたんです。わたしが年かさじゃったけん、あんたが会長だということで、今日まで続いております。
 グループごとに分かれて、景観だとか、水の浄化だとか、生物の生育状態だとか、いろいろな研究をやったんですよ。愛媛大学の水野先生だとか、松山の新田高校の桑田先生だとかを呼んで、魚取って調べたり、バードウォッチングをしたり、やったもんですわ。そしたらねえ、まず、一番いけんのは水が少ない。それから、その水が汚い。それにしたがって、魚族、生物が少ないということがわかったんです。それでまあ、大変驚いたし、これは何かせないけんということでねえ。わたしらが子供の時分には、この川は遊び場ですから。夏はとくに、学校から帰ったらすぐ川へとんでいって遊ぶ。そのごろは、魚が手づかみで取れるほど、おったです。手拭(てぬぐい)でいくらでもすくえるくらいおったですがね。」

 イ 水量の減少とその原因

 「川を研究してみましたら、水の量は、そうですなあ、昔の3分の1、いや、それほどもないかもしれんくらい。わたしらんときは、この役場の前の所でも、背が立たなんだですよ。子供の時分には、小田町から長浜へ向かう筏(いかだ)が係留してあるので、その上に乗って、水浴びをし、魚釣りをしてね。そりゃあもう、淵あり瀬ありでしたけんね。深い所は3mもあって、もう大人でもとわんほどの深みがありました。それほどの水量があった。気象庁なんかで調べてみましたらねえ、ここ20年くらい、多少の上下はあっても、降水量は変わらないんですよ。2,000mm近いものがあるんですけんね。
 なぜこんなに少ないかいうたら、戦後の食糧難の時代に、食べ物がない、米がないというので、上流の方で何十haというて山を開墾したんですよ。
 それと、戦争で、あの大都会がもう全部焼け野が原になった。復興作業には住宅がいるので、木材は飛ぶように売れたんです。わたしもそのころには、ここの『木買い』をやってたんで、ようわかっとります。木がある程度まで(直径15cmくらい)になったら、山主がまだ、5年も10年も売らないというのを、『売れ、売れ。』言うて、金で釣り、話術で釣り、泣き落としでやりして、結局はね、買って山を裸にしたんですな。
 それから、当時は、町の人もまだガスがないので、風呂でも何でも燃料は全部薪(まき)だったんですね。スギ・ヒノキなんかは、火力も弱いし燃料にはよくないんですよ。それで、落葉樹のような雑木を自然に育てておったんですよ、燃料に売れるから。ところが、燃料革命で薪がいらんようになり、かろうじてシイタケの原木に一部売れたくらいで、これも値段がだんだん安うなって、買手が少ないということで、落葉樹を伐採してスギ・ヒノキに切り替えた。
 針葉樹も、適度に間伐をしよったころはよかったんですよ。スギ・ヒノキもええ木が育つし、保水力も保てるんです。それに、昔は、間伐材も無駄じゃなくて、それがまた有効に使われて、稲木の杭・炭坑の杭本・作業現場の足場に売れよった。最近は、足場も金属のパイプになってしまって売れない。下草刈りの手間を省くために最初から密植しても、人手も足りないので間伐ができず、ヒョロヒョロの線香のような木しか育たない。それで、保水力のない貧相な山になってしまうんですよ。
 やっぱりねえ、南向きのようなところへは落葉樹の方がふさう(ふさわしい)んですよ。そして、北向きのような山、谷間(あい)のような山が針葉樹がふさうんで、いいものができるんですよ。面河(おもご)のように落葉樹の国有林がそのまま残されとると、川にはきれいな水がいつも流れる。落葉樹は、毎年毎年葉っぱが落ちますんでね。それがだいたいクヌギでも15年くらいは置かな切りませんからね。切っても葉っぱがなくなるわけじゃないんで、何年も積み重なって、腐葉土になってスポンジのようになっとんですよ。雨が降ったらべっちり吸いこんでね、それが、じわじわじわじわ出るんですよ。これが、水の浄化につながる。そして山の保水力につながったら、もういっぱい降った雨も徐々に出るから水量が減らなくて、きれいなと。」

 ウ 小田川の景観

 「我々が、井戸の中のかわずではいかんから、まず、よそへ行って研修をしようということで、大分県のほうからねえ、高知県の鏡川とか、山口県の錦川、仙台の広瀬川、ほうぼうの川を見て、『ここらの川はええのう、昔のままだ。』と思いました。そりゃあねえ、千曲川じゃの、信濃川あたり、四国では四万十川ねえ、本当にまだ自然が残ってますよ。『こりゃあ、五十崎はいかんわ。』というようなことでねえ、そして、水もきれいにしよう、景観も大事やということでやったんです。
 自然石を使ってほしいということは通ったんですが、水害に備えてコンクリで固めた。そうすると、やっぱり、魚族の保護・繁殖にとっては、すきまがないわけですけんねえ。これでもいけないということで、3年にわけて、スイスへも勉強に行ったんですが、ここはまた、日本とは格段の違い。まず考え方が違う。ま、このまま日本へ取り込むことはできんけれども、参考にしようというのが『近自然河川工法』だったわけです。
 技術者と膝(ひざ)を交えて話したわけですけれども、スイスも日本もさも似たり。雪がたくさん降りますしねえ、水量も多いんですよ。従って、水害も多いというように、日本とつい(同じ)で、戦後は洪水の洪水じゃったというんですわ。それで、できるだけ流れを速くするために、蛇行していた川をあえてまっすぐにしたんですわ。そして一時はそれで洪水をしのいだんですよ。ところがじっと考えたら、こりゃまちがいだったと。我々よりは20年も先にそういうことを考えたということです。
 そういうように、ザーッと流れるような格好にするということは、やっぱり自然に逆らうし、生物・魚族が繁殖・保護できないというようなことを感づいてねえ。その改修をしたまっすぐな川を、また蛇行させて作りかえよるんです。そこへも行って見せてもらいましたがねえ、再改修して蛇行させたとこにだけ魚がおるんですよ。で、まっすぐなとこにはいないんですよ。というのは、まっすぐで瀬も淵もない、隠れる場所もない。
 蛇行といっても、いっぺん直線化した川をそういうふうにするんですから、もともとの蛇行に比べればうーんと緩やかなカーブだけれども、やっぱり淵や浅瀬ができて、その淵には魚がいっぱいおる。川の中にね、少しずつずらしながら石を置いていくと蛇行になるんですわ。そうすると、深みになったり瀬になったりしていくわけです。だから、川幅をさらに広げたわけじゃないんです。
 しかも、コンクリを使わんかわりに、その石かけ(石垣)ヘヤナギの苗木を植栽するんですよ。差し込んでおいたらそれが芽を出してね、もうみごとなヤナギの林になっているんです。それへ野鳥がくる、陰ができる、すきまができる、魚がそこへ繁殖するようになってね。それはもう、いよいよ自然。彼らは、ヤナギが大変繁茂しすぎて雑木になって、お金を入れて剪定(せんてい)をしたり間引きをしたりしておると、嘆きのようにおっしゃいましたがねえ。
 川の中に川を作ったという工事、その考え方がね、日本ではちょっとできないですなあ。何でまたぞうろやるんだということになると思いますが、これがね、自然とか環境を大切にする違いですね。
 まあ、そんなことを勉強して帰ったので、わたしらで俗に『からづき』というんですけれども、この小田川にも、コンクリを使わないでただ石だけを置く区域も作ってほしいと要望したんです。この右岸の所を、500mくらいかな、1t、2tの石を置いてね、すきまを作るようにしてもらったんですよ。これを『多自然型』と建設省が言い出したんですが、近自然河川工法よりも、もっと範囲の広い多くの自然を取り入れるということでね。」